失敗百選を読みながら 経験の伝達

 中央高速の笹子トンネルで崩落事故が起こり、何名か亡くなられている。天井コンクリートパネルの中央取付金具の不備ではないかといわれている。まだ真偽はわからないが、メンテナンスのための打音テストをやっていなかったらしい。作られてから35年経っているという。先週の半ばから、ちょうど東大の中尾政之先生が書かれた「失敗百選」(2006、森北出版)という本を再読していたので、感じること、考えることが多かった。
1.事故報告書
 福島原子力災害については、当事者の東電以外にも3つの報告書が出ている。政府、民間、そして国会事故調の報告書だ。2011年5月には、失敗学の畑村先生を中心とする政府の委員会の報告書では、国や東電に「安全文化」が欠けていたと指摘していたと思う。それは原子力の部門に限らないのかもしれない。
 民間事故調は、高温超伝導の北澤先生を中心とした独立委員会で、2012年2月に報告書を出された。「特に国の原子力安全規制が国際的に遅れていた」と主張しているらしい。報告書は書籍化されて今までに10万部売れたという。
 国会事故調は、それより報告時期が少し遅れ、「福島原発事故は人災」と断定したことで知られている。日米の医学教育や医療政策が専門の黒川清先生を中心とした委員会だ。電話帳のような本だったと記憶しているが、今までに3万5千部も売れたという。そうした報告書を自分で読む人がこれからも増えるのではないか、この冬、自分もじっくり読み比べたいと考えている。
 総選挙の争点の一つは「脱原子力」となっているようだ。個人的には、何の腹案もなく「10年だ20年だ」と言われても全く納得がいかない。メディアで報じられる限りだが「廃炉にする決意が大切だ」という。それでは「最低でも県外に」というのを、「10年、20年」といった年数に置き換えただけのように感じる。
 週末の報道番組を見ても、少し検討しているかに思える政党でも、シンクタンクの人と議論したというのが根拠だった。それでは根拠にならない。何を考えて、どう判断し、何をやるのかの検討結果を発表していない政党の議論には付いていけない。自分の頭で考えていそうな人が実に少ない。大雑把であっても、その施策が実現したときの電気料金が幾らになるのか、経済や雇用はどうなるのか、答えられそうな人も少なそうだった。
 また大前提として、日本の電気料金を、これから半減しなければと考えている人はほとんどいない。ほかの国の電力が下がるのに、日本だけ上がるのならば、産業は衰退し、雇用はなくなる。エネルギー代金の支払いで国民経済が回らなくなる。今の国際収支の黒字もいつまでも続く訳もないからだ。
 個人的には、最終的に1KWHあたり10円以下にできない技術には意味がないと考えている。再生可能エネルギーでは、地熱発電のみがこの価格を実現する技術的可能性がある。高温岩体発電などはもっと進むのではないか。
 民主党菅首相辞任の際の置き土産の自然エネルギー完全買取り法案は、早く廃止すべきとだと思えてならない。完全買取の意味は、初期の導入費用を国民の負担で賄うことによって、その「技術の量産普及により発電コストを引き下げる」ことに主眼があったはずだった。そうはなっていないことは、ドイツやアメリカの状況を見ても明らかだ。金儲けの手段であり、品のない言葉で言えば、「ほとんど詐欺師か、詐欺師の褌担ぎだ」と考えて良いと思う。
 実験目的ならば、話はまったく別だが、高額買取は国民経済から考えて無駄そのものだ。電力技術にはもっと開発すべきものがある。原子力政策について言えば、自民党の石破氏の原子力についての考え方が一番まともだと思えてならない。
2.失敗の分析
 「失敗百選」(2006、森北出版)は、178の工学的な失敗事例を分析している。理工系、文科系をとわず多くの人が読むべき本だと思う。人は誰でも同じような失敗をするからである。失敗のシナリオやパターンを学びながら、リスクを管理していくことが重要だ。
 ただ失敗事例を集積しても、その事例と自分が現在直面している問題の類似性に気が付かない人もいる。経験とか勘をどのように伝えるべきかは、工学ばかりではなく社会の大きな課題となっている。
 失敗の原因は、4つの視点で大別され、12の中分類からなる41の原因・要因で分類されるという。すこし旧ソ連で特許発明の分析研究から始まったトリーズ(TRIZ)という発明方法論とも似ていると思われる。失敗の原因を事前に意識して予知能力を高めれば失敗を予防できるという考え方だ。大きな事故と日常生活の失敗の原因には類似点があり、大事故は実に些細なことから始まる場合が多い。
 多くの問題は文理融合の問題であり、総合的な問題だ。自分は事務屋だ、技術屋だといっても結論は出ない。同じ原子力発電所であっても、女川原子力発電所では津波あっても、被害は出なかった。あの地震でも鉄筋コンクリートの重たいビルは津波にも強かったし、耐震設計されたビルは、M9でも大丈夫だった。女川原発にしても、例えば、5メーターの津波を想定するのか、10メーターか、15メーターの津波を想定するのかを決めるのは、専門家の助言を仰ぐにしろ、津波の専門家ではない素人が決めているのではないか。
 失敗は労働管理や外注管理といった分野でも生じているのではないか。例えば、福島原発の瓦礫の片付け作業にも失敗が生じているのではないか。東電からは危険手当が出ているのに、実際に作業する人間にお金が渡っていないのはどうしたわけなのだろうか。その搾取は明らかに合理的範囲を超えている。多くが報じられているにもかかわらず、ほとんど改善されていない。
 事故を防ぐには、マニュアルどおりメンテナンスすることが不可欠である。しかしメンテナンスを担当するのはほとんどの場合、子会社の保守要員だ。親会社の中核人材との間のコミュニケーション・ギャップがあって、事故の予兆があっても、何も手が付けられてなかった事例はかなりあるのではないだろうか。
3.失敗事例とその原因
 起こった事象はハッキリしていても、当事者がその原因と対策を全て明らかにはしないことも多い。訴訟が起きていたり、社外秘だったりする。最終報告書が出る頃には世間やメディアの関心が無くなっているからだ。事故の中には、その事故が起きた時点で科学的には未知だったこともある。その原因がわかった時点で、本当は政治家が対応を変えなければいけないこともある。
 この本に書かれていることで最も印象的なことは、大きな失敗は、(a)絶対に安全だと思っていたところで(b)予兆を無視して強気に出たところで(c)あっという間に致死的状態になって逃げる暇がないことが起きることである。
(1)技術的・力学的な設計要因
 ①材料の破壊(脆性破壊、疲労破壊、腐食、応力腐食割れ、高分子材料)
 ②構造の破壊(バランス不良、基礎不良、座屈)
 ③構造の振動(共振、流体振動、キャビテーション)
 ④想定外の外力(衝撃、強風、異常摩擦)
(2)使用時の技術的要因
 ⑤想定外の制約(特殊使用、落下物・付着物、逆流、塵埃・動物、誤差蓄積)
 ⑥火災・天災からの逃げ遅れ(油脂引火、火災避難、天災避難)
 ⑦連鎖反応で拡大
 (脆弱構造、フィードバック系暴走、化学反応暴走、細菌繁殖、産業連関)
 ⑧冗長系の非作動(フェイルセーフ不良、待機系不良) 
(3)人間や組織との関係が強い技術的な要因
 ⑨手抜き作業(入力ミス、配線作業ミス、配管作業ミス)
 ⑩設計で気を抜く(自動制御ミス、流用設計、だまし運転)
(4)技術だけではどうしもない組織的な要因
 ⑪個人組織の怠慢(コミュニケーション不足、安全装置解除)
 ⑫悪意の産物(違法行為、企画変更の不作為、倫理問題、テロ)
4.人材の育成 
 こうした失敗学が注目を集めはじめたのは、新たな分野を切り開いてきた団塊の世代が退場しつつあることが理由だという。一つの設備や商品について、企画から設計、生産、販売まで全般を見渡してきた人たちが引退し始めた。
次の世代の中核人材はいつも一部分しか任せてもらえなかったために、全体としての知識の構造、特に知識の干渉、周辺の専門分野との関係が理解できずに「局所最適、全体最悪」を起こしやすいという。企業でも人を育てて使う余裕がないという。海外の新工場に出向させないと国内では個人の器量才覚を変態成長させにくいという。
 同じことが、様々分野で起きている。日本の官僚制や、政治の世界でもおきているのではないだろうか。政治主導だといっても、若いときから選挙ばかりで、組織の中で働いたことがない人や、仕事の制度や仕組みをゼロから考えたことがない人も多いようだ。
事業仕分けなどは彼らにとっては新しくとも、工場内で行なわれる原価検討会そのものだ。埋没原価の考え方もわからない政治家もいた。若いときから、物事の本質を国家という観点から俯瞰し続けている立派な人もいるが、学歴が良くても試験は得意でも、勘の働かない人がいる。党人派でも、田中角栄さんや山中貞則さんのような勘の良い政治家ばかりだったら、民主党の政治もこんなにならなかったはずだ。
 きちんとした国家観や共同体への健全な使命感がなければ、本当の意味での失敗を防ぐことができないという。その意味では憲法改正による自主憲法の制定は、きちんとした国家観を持つために必要なのではないかと思えてならない。
 失敗学を普及するためにもっと良い方法はないのだろうか。ロースクールビジネススクールのケースメソッドと似ているような気がしている。文理融合問題のケースメソッドは、どこの大学でも直接的には科目になってはいないが、これからの世の中には必要だと思われてならない。