静岡県政を考える

  1. 1票の格差はこれでいいのだろうか
  2. 大きな行政改革と県会議員の仕事
     2-1 「東部政令市」という思考実験
     2-2 3つの政令市ができると県政が変わる
  3.地方自治のデザイン
                  3-1 地方財政と市町村の規模とタイプ
     3-2 舵をきるためのリーダーシップと合意の形成
  4.「伊豆は一つ」の実現

 

1.1票の格差はこれでいいのだろうか
 4月7日が4年に一度の県議会議員選挙だそうだ。伊東では定数1議席に、3人の候補が立候補されるという。これを機に普段はあまり考えることのない静岡県政を考えることにしたい。

 県会議員の定数は69人、静岡県の人口は外国人住民も会わせて373万人(平成30年4月)。有権者数は平成31年1月26日現在3,087,536人だそうだ。つまり44,747人の有権者に対して一人県会議員が選ばれることになる。だが個別に見ると市町村別に一票の格差が生じていて、それが存外大きい。

 一人当たり有権者数の試算(〇で囲んだ数字が議員定数
下田市賀茂郡   57,127 ①   
伊東市       60,928 ①
熱海市       33,611 ①
伊豆市       27,436 ①
伊豆の国市     41,352 ①
函南町       32,013 ①
三島市       92,227 ② 46,114
清水町・長泉町   61,119 ①
裾野市       42,931 ①
御殿場市小山町  87,710 ② 43,855
沼津市       166,405     ④ 41,601
富士市        209,600    ④ 52,400
富士宮市       110,215 ② 55,108
静岡市葵区       214,720 ⑤ 42,944
静岡市駿河区    175,867 ④ 43,967
静岡市清水区    202,821 ④ 50,705
焼津市       115,148 ② 57,574
藤枝市       121,392 ③ 40,464
牧之原市・吉田町    61,485 ①
島田市川根本町   88,738 ② 44,369
御前崎市       27,019 ① 
菊川市        37,435 ①
掛川市        94,877 ② 47,439
袋井市・森町     84,585 ② 42,293
磐田市         136,435 ③ 45,478
浜松市中区       194,043 ④ 48,511
浜松市東区       105,650 ② 52,825
浜松市西区      90,506 ② 45,253
浜松市南区      83,431 ② 41,716
浜松市北区      77,341 ② 38,671
浜松市浜北区     79,373 ② 39,687
浜松市天竜区     25,812 ①
湖西市        48,129 ①

 伊豆だけで見ても、清水町・長泉町選挙区と伊東市選挙区の1票の重さは、伊豆市選挙区の0.45人分の重さしかない。国会議員選挙の1票の最大格差は2倍以内であるべきという原則から外れている。国会議員選挙と県会議員選挙の1票の格差の在り方に本質的違いはあるのだろうか。

 

2. 大きな行政改革と県会議員の仕事
2-1 「東部政令市」という思考実験
 昨年12月18日、内閣官房まち・ひと・しごと創生本部が、新たな制度として、東京・神奈川・千葉・埼玉という東京圏を除く「中枢中核都市」を82市選んだ。いわば地方創世の拠点である。静岡県からは政令指定都市である浜松市静岡市のほかに、富士市沼津市が選ばれた。選ばれた市は、ワクワクする生活ができる地方経済の中枢・中核として投資が喚起され、①中央省庁横断的な個別チームによる支援、②交付税の上乗せが期待できることとなった。結構なことだ。
だが伊豆はそれとは別の道を歩まなければならない。

 富士市沼津市は、隣町であり、ともに工業都市であり、少し前まで人口規模がほぼ同じだった。大きな決断ができれば、静岡と清水のように合併して政令指定都市となってもおかしくなかった。だがそこを地盤とする有力な国会議員がいたうえに、同じ規模だったことが、かえって自然な発展を妨げていたと思う。
 有権者数でみてみたい。(カッコ内は人口,〇の中は小選挙区の区分)

政令指定都市 浜松市 656千人(805千人)
政令指定都市 静岡市 593千人(704千人)
*********************
         富士宮市110千人(133千人) ④
中枢中核都市 富士市 210千人(254千人) ⑤
               御殿場市 72千人( 88 千人) ⑤
       裾野市  43千人( 52千人) ⑤
       小山町 16千人( 19千人) ⑤
中枢中核都市 沼津市 166千人(197千人) ⑥
*********************
    小計      617千人(743千人)

      長泉町  35千人( 43千人) ⑥
   清水町  26千人( 33千人)⑥    
 
       三島市  92千人(111千人) ⑤
       函南町  32千人( 38千人) ⑤
       伊豆の国市41千人 ( 49千人) ⑤⑥
 (上記、3市町村の合計規模はほぼ沼津市と同じ)

 長泉町、清水町がこの「東部政令市」に加われば、地図の形の上からはスッキリするかもしれない。そうなると人口でも浜松市に匹敵する規模となる。衆議院議員を選ぶ第5区と第6区の不自然な区割りは、そうした意味からも1日も早く解消しておきたいのである。
 もちろん都市の合併は人口規模だけで行うわけではないが、政治家個々人の選挙区事情で、都市の在り方を決めるべきではないことはハッキリしている。

 政治家の方々、そして政治家を選ぶ県民の皆様には、それぞれの都市や街としての長期の発展可能性を見据えた「思考実験」をしていただきたいのである。

2-2 3つの政令市ができると県政が変わる
 3つの政令市ができると県政は、確かに変わりそうだ。今まで、県の施設を作るのは当たり前のように、浜松市静岡市だったり、両市の中間地点につくらた。静岡市には静岡県立大学があるが、浜松市には公立とはいうものの、県が設置者となっている公立静岡文化芸術大学がある。県立のエコパ・スタジアムは袋井市にあり、静岡空港島田市牧之原市にまたがっている。
 
 東部政令市が出来れば今度は東部も県に対する交渉力が格段に改善される。公共投資の候補地になるかもしれない。日本屈指の観光地である「富士・箱根・伊豆」は、静岡県の東部と神奈川県の西部にまたがっている。浜松市静岡市に景色の良いところはあるが「富士・箱根・伊豆」とは較べるべくもない。かつて我が国が産んだ屈指の観光プロデュサーである「西武の堤、東急の五島」が競合した地域である。

 県議会の見え方も変わってくる。68人いる県会議員のうち42人が政令市の選出となる。
 県会議員定数        有権者数(人口)
15人 政令指定都市 浜松市 656千人(805千人)
13人 政令指定都市 静岡市 593千人(704千人)
14人 東部政令市       678千人(819千人)
富士宮市富士市沼津市御殿場市裾野市長泉町・清水町・小山町) 

 では他の地域選出の県会議員はどうなるのだろうか。26人が、非政令市の選出の議員となる。
 県会議員定数    有権者数(人口)
10人 えんしゅう地域 428千人(535千人)
湖西市御前崎市菊川市掛川市袋井市・森町・磐田市
8人 すんしゅう地域  387千人(468千人)
 焼津市藤枝市牧之原市・吉田町・島田市川根本町
8人 ずしゅう地域  345千人(400千人)
 三島市函南町伊豆の国市下田市賀茂郡伊東市熱海市伊豆市

 ここにおいて気が付くことがある。政令市の権限は、県とほぼ同等であるため、県立高校と県警以外のことは、ほとんど政令市の内部で話が済んでしまうのである。県立高校や県警は行政委員会の所管事項であり、委員会トップの人事以外はほとんど知事は口をはさめない。それゆえに全てが利権目的とは言わないが、大型プロジェクトの獲得ばかりに注力する政令市選出の県会議員がいても不思議とは思わない。

 県知事と政令市の市長の性格や相性、考え方の違いによって、県庁所在地の政令市に主導権争いが起こり、二重投資や二重行政の弊害が起こりがちなのは静岡市だけに限らない。

 大阪府大阪市はその弊害が最も大きかったため「大阪都構想」による改革が唱えられた。川勝知事が「県都構想」を唱えられたのもそのためだろう。

 これから日本の人口が減少していくことを考えると、国・道府県・市町村という三層制行政組織を簡素化し二層制にしていくことは、大きな行政改革となるかもしれない。

 だが二層制についてはもう一つそれを実現する方法がある。県庁を三分割し、①浜松市+えんしゅう地域、②静岡市+すんしゅう地域、③東部政令市+ずしゅう地域に統合する方法である。

 大きな行政改革について、県会議員候補の方々の見解を伺いたい。

 

3.地方自治のデザイン
3-1 地方財政と市町村の規模とタイプ
 少し静岡県政から離れて、地方財政と市町村の規模とタイプをみてみよう。

 まず税金。これも地方税のことばかり見ているとよくわからない。いろいろな名前のついた税金があるが、税金がかけられる対象は所得・消費・資産しかない。どの税をとっても日本全国税率が同じなので、どうしても都会に税金が集まってしまう。
 
 ナショナル・ミニマムを実現するために、あらかじめ国税として集めた税金の一部を、地方税の不足分を補うために地方交付税として足りない地域に配分する。
 配布の前提として、様々な規模とタイプの地方毎に行政需要を算定しなければならない。必要額を簡便に算定するため、行政費用の人口当たりの原単位を総務省で定めている。人口にこの原単位を乗ずれば、基準財政需要額が算定できる。
 
 この必要額を上回って地方税や収入がある地方を交付税の不交付団体と言い、その数が少ないことからプラチナ・チケットの自治体と言われる。大きな法人が集中している東京都や、大きな設備を持つ工場の固定資産税が期待できる自治体、原子力発電所やビール工場が立地する自治体は財政に余力があり、ナショナル・ミニマムに上乗せした行政サービスを提供することもある。それに加えて、都会へのアクセスがよいならば、かなり人気が集まる場合がある。

 こうした地方財源を均てん化する仕組みを、誇り高き自治省(現、総務省)の人たちは「世界に冠たる地方財政制度」と呼んでいた。ドイツのように街の規模が平均化されている国とは違って、日本の市町村は様々で、均てん化が難しいからだ。

 この基準財政額の算出方法を使って、一人当たりの行政需要額を市町村毎に計算しグラフ化してみると、3300の市町村が「U字カーブ」をなしていることを発見されたのは、関西学院出身の中井英雄先生(近畿大学教授を経て、現在、大阪経済法科大学教授)だった。
 横軸に人口をとり、縦軸に1人当たり行政需要額をとってみると、行政需要額が最も少ないのは人口30-40万人の街だった。それより人口が少なくても多くても、過疎と過密によって1人当たりの行政需要額が上がることを明らかにされたのは1988年のご著書だった。

 1989年1月から始まった「平成」という時代は今年の4月末で終わるが、この30年間に地方分権化と市町村合併が進み、3300弱あった市町村が1700程になった。
 田舎には過疎の村があっても当然と考える人が多いと思うが、米国には過疎の村はなく、ゴースト・タウンがあるだけだ。過密な地域は税率が上がり、お金持ちが新しい街をつくって逃げ出してしまう。全国一律の税率と地方交付税制度によって過疎と過密が支えられているのである。地方交付税制度によって、いつまで過疎と過密の街を支えるべきなのだろうか、コンパクトシティが唱えられているのも同じ理由である。

 どんなに優れた制度も、長く同じ制度でやっているとマンネリ化と弊害が出てくる。あえて例外を作り、地方を活性化しようとしたのが「ふるさと納税」制度だった。その制度にしても、amazonの金券を返礼金に使い実質3割以上の減税を行う自治体が出てくると「世界に冠たる地方財政制度」まで壊しかねなくなって、新年度から規制が厳しくなるようだ。

 衆議院の現在の小選挙区制が検討されていたのも、ちょうど1990年前後だったと記憶している。「300」小選挙区が基本だった。それは、なぜ「200」あるいは「400」ではなかったのだろうか。その合理的理由を調べていた時に見つけたのが中井先生の考え方だった。人口1億2千万人を300で割ると人口40万人となったからだ。
 ただ現実的に考えれば、当時の衆議院議員の数があって、それを小選挙区比例区に分けたというのが事実に近いかもしれない。当時の中選挙区制では同じ党の議員が複数選挙に出てくるために選挙に今とはケタ違いにお金がかかった。そのお金を調達するための不正も多かった。今はむしろ小選挙区制の問題点を論ずる識者が多いが、物事は直線的には改革できないということかもしれない。

 よく選挙で「県とのパイプとなります。県知事を紹介します。県の役人を紹介します」という事を売り物にする県会議員候補がいるが、県庁のある街でそういうことを言ったら笑われるのではないか。伊豆選出の県会議員の評価も静岡市で政治とは関係のない仕事をしている時に聞きたくなくとも自然に耳にしてしまうことが多かった。過去には、利権ばかり追いかけていると評判の県会議員もいた。日産のゴーン問題に限らず、悪事は一人ではできないからである。
 そうしたことを超えて、同僚の県会議員や県知事、さらには県の職員を説得できる議員であってほしいと願うのは私だけだろうか。議員は一人ではなかなか仕事ができないからだ。キチンとした問題設定と政策議論をお願いしたい。

3-2 舵をきるためのリーダーシップと合意の形成
 1999年(平成11年)、2011年(平成23年)と2度にわたる地方分権一括法の成立によって、我が国の国と地方の関係は大きく変わり、従来の上下主従の関係から対等協力の関係になり、地方自治体の国に対する意識は大きく変わったとされている。
 
 高齢化、少子化に伴って今後の地方の行政需要は大きく変化する。集落の人口流出が進む中で、上下水道などのインフラの維持管理、公共施設の老朽化への対応、所有者不明土地・空き家の急増、子どもの減少に伴う教育環境の変化が予想されるのである。

 ピンとこない方も多いと思う。赤ちゃんの出生数でみてみよう。2018年、伊東市で生まれた赤ちゃんの人数は270名だった。15年ほど前の2000-2004年の半分位である。
   伊東市における出生数の推移
2000-2004年 607、565、609、542、568、
2005-2009年 466、473、470、449、439、
2010-2014年 431.444、373、428、367、
2015-2018年 336、331、325、270、

 様々な考えがあるのは承知しているが、小学校・中学校と長ずるに従って、学校の規模が大きくならないと社会に巣立つ訓練にならないし、課外活動の文化部や運動部の種類も限られてしまう。1学年300名ならば、全市に学バスシステムを導入し市内で1中学という考え方もあるだろう。或いは中等学校(中高一貫校)として2校にするという考えもあるのではないか。急激な生徒数の減少に制度仕組みが追いついていかないのである。そんなことが様々な分野で起きるのである。

 このまま成り行きで行くと、日本の人口が11,100万人となる2040年には人口規模で1万人未満の市町村が600ヶできるという。1700ある市町村の1/3が人口1万人を切るのである。行政資源が限られていく中で、全ての住民が満足するような施策はどんどん困難となる。物事の仕組みや制度を変えるのは通常以上の知恵と体力そして想像力がいる。

 そして今まで以上に議会の合意形成機能が重要になってくる。多くの変革を必要とするのは先に高齢化と少子化が始まっている地方からなのである。他人の意見を聞くことは大事だが、ボトムアップだけでは道を拓けない。

4.「伊豆は一つ」の実現
 自分は、地方自治制度の最大の論点は都道府県制度にあると考えている。静岡県を例にとれば、浜松、静岡という政令市がある。浜松市静岡市の市長は県知事とほぼ同等の権限と責任がある。政令市において、県知事は、県立高校と警察署長の人事、港湾管理を担当しているだけである。そのため県と市の二重行政の弊害が起きがちである。川勝知事は、今でも、静岡市の政治に口をはさみたくて仕方がないように見える。伊豆の人間からすれば、どこか変だ。ジオパークで浮かれている場合ではない。
 
 問題なのは県会議員さんたちを選ぶ制度である。県政全体を論じる視野をもった議員が選ばれにくいのである。それは個人の問題ではなくて、市町村別に県会議員を選出することになっているためだ。参議院議員を除いて県全体を選挙区としている政治家は、県知事しかいない。
 そのため、県知事選は知名度の戦いとなり、よほどのことがない限り「お殿様の政治」が続く。「伊豆は一つ」を実現するためには、せめて伊豆全体を選挙区として県会議員を選ぶべきだろう。そうなれば、付随的に様々な変化が生まれてくるはずだ。人口減少を前提とすると、国・都道府県・市町村という3層制の役所の世界を、もっと簡素に身近にしていかなければならない。

 アジアで初めてノーベル文学賞をとったタゴールは国家衰退の原因を「哲学なき政治、感性なき理性、労働なき富」だと考えていた。グローバリズムと金融セクターの肥大化が各国で引き起こしている問題をみると、その意味するところに驚かされる。
 タゴール流に考えると、地方衰退の原因は「計画なき行政、議論なき議会、戦略なき補助金バラマキ」にある。
 それでは地方が発展するわけがない。「計画なき行政」といわれると役所の人はムッと来るだろう。だが市町村の固有名詞の地名を変えれば、どこでも通用する基本計画や基本構想で良いのだろうか。総花的で百科事典のような計画では、何をやりたいのかさっぱり分からない。そんなものを計画やビジョンと呼んではいけない。立てた計画はすぐに倉庫に放り込み飾ってしまう。
 
 その結果が土地を買うだけ、建物を建てるだけの「行き当たりバッタリの行政」になり、私利私欲を図る政治家と見て見ぬふりをする職員を生み出した。川勝県知事は、かつて「今ある県議会は、職業政治屋の方がやっている。権力欲と金銭欲しかなく、見るからに表情が腐っている」と言っていた。言われて黙っている政党や県会議員はよほど後ろ暗いことがあるのか、人間ができているのかのどちらかである。
 同時に川勝さんのそうした傲慢な態度が県庁職員をして委縮させ、市町村との関係を悪化させている直接の原因に他ならない。それは県政の停滞と閉塞を招いている。川勝さんのスピーチは面白いとの評判だが、巧言令色、鮮なきかな仁である。メガソーラー一つをとっても、最初と最後で言っていることが全く違う。

 県会議員候補殿たちに明らかにしてほしいことは、やや厳しいことかもしれないが、第一義的には、県政全般に臨む考え方や、伊豆全体をどうするかのビジョンの表明であって、地元の街の経済振興策ではない。交通や通信機能が進んだ現在、県議会においてその個人の見識・発言・行動において尊敬され存在感を増していただくことが重要なのである。下から見ているとよくわかるが、国や県とのパイプがどうのこうのという人に限って、静岡や永田町で尊敬されている人は少ない。

 基礎的自治体である市町村にも、それとは別個のかつて経験したことのない大小さまざまな波が押し寄せていて、今までのやり方や経験が役に立たない。県はそれに対してどう認識し有効な対策を立てることができるのだろうか。
 平均寿命が延びて、以前は15-20年だと思われた年金生活が、30-40年になる。18歳人口が2018年の120万人から10年間で2割のペースで減少していく。2025年には団塊の世代700万人が75歳の後期高齢者となり、75歳以上人口が2200万人になること。その時65歳以上人口は3700万人となり人口の30%を占めてる。高齢化と少子化の影響がこれから数年のうちに今まで以上に切実となる。「高齢化先進都市」である地方の街において、日本を先取りしたもっと活発な議論と施策の形成は基礎的自治体に任せるしかないのである。

 待機児童の解消、学童保育の充実も大事だが、そこから更に進んで学バスの運行による小中学校の統廃合と特区制度等を利用した小中学校教育充実ができれば、そのこと自体が教育熱心な新たな住民を獲得する手段となりうるだろう。

 国語教育・語学教育・自然教育・スポーツ教育・音楽教育の専門家は結構身近にいるのである。年齢に関係なく学び、希望すれば、その能力に応じて社会に貢献し、収入を得る仕組みの整備することが必要だ。それには教育分野でも情報公開が必要だ。文部省の見解を伝えるだけの県の教育委員会はいらない。市立の学校なのだから、市の教育長がもっと学校経営の前面に出るべきと思うのは私だけだろうか。

 健康分野では、医師会、歯科医師会、薬剤師会、介護の専門家の協力を得ながら、予防医学・栄養管理・運動管理等の充実を図り、地域医療構想、地域包括ケアの充実を図るべきと思われる。伊豆においては、北里柴三郎先生以来の温泉療法も観光資源ともなりうると思う。東大が戦前、温泉研究所を作ろうとしたのは伊東である。加えて音楽・美術療法の充実が、文化の振興を幅広く、奥深いものとするだろう。

 プライバシーを確保したうえで、市民7万人の医療情報、健康情報、食事の情報が統一的に集積されれば、そのデータ自体が、大きな意味を持つことになる。大学や企業と提携し、そのデータの解析センターや、ソフトウェアの開発部隊を誘致することも可能かもしれない。それを核としてダイビングやサーフィンを楽しみながら知的な活動に従事できるリゾート・オフィスの整備を始めたらどうだろう。そこまでいけば、優れた小中学校があることが移住の条件となる。

 伊東ミュージカル劇団のテーマ曲に「幸せを運ぶ船」(羽毛田佳明作詞、西山淑子作曲)という曲がある。基礎的自治体である市町村が、人々の「幸せを運ぶ船」になれるかどうかは、個々の選挙の結果次第である。