英文教育勅語、英語教育、教員教育

1.英文教育勅語の成立
 6月も終わりに近づいた。クォーター制の学校ではもう試験は終わったろうか。クォーター制では10週の授業、セメスター制では15週の授業を前提に授業計画が立てられる。あと1ヶ月でロンドン・オリンピックとなったが、話は、1907年のロンドンに飛ぶ。
 日英同盟を結んでいた日本が日露戦争に大勝利を収めたのを機に、英国大使館から、ロンドン大学で「教育勅語」の教育講演会を行うように依頼があった。そこで、ケンブリッジを首席で卒業し東大総長や文部大臣を務めた菊池大麓(きくちだいろく)男爵が派遣されることとなった。菊池男爵と文部省は苦心して英文教育勅語を作成した。これが英文版の起源である。
 ロンドン大学では、1907年つまり明治40年の2月14日から25回にわたって連続講義が行われた。25回になったのは、日本の歴史から始めないと、外国人に教育勅語を理解させることが難しいと考えたようだ。また学校教育における修身の授業の実際を紹介するためだった。
 このロンドン大学における「教育勅語」の講演会で英文教育勅語が披露されたのを知った国々から、教育勅語のドイツ語訳やフランス語訳の要望がでて、世界に教育勅語が配られることとなった。そのことによって教育勅語は、道徳教育の世界標準となった。日本でこのことを教えていないことは実に不思議だ。
 ロンドン大学での講義録は簡単に手に入れることができた。“Japanese education; lectures delivered in the University of London " by Baron Dairoku Kikuchiという題名でBIBLIOLIFE社から出版されている。オンデマンド印刷である。ただ英文以外の教育勅語はまだ入手できていない。
2.英語教育
 この7月からインターネット大手の楽天で「完全英語公用語化」が始まる。グループ会社7000人は、社内のどの場面でも英語によるコミュニケーションが義務づけられるという。業務に関する会話は、日本人同士であっても英語で行わなければならないのだそうだ。2010年5月にその方針を発表してから2年あまりたち会社が求める水準は、一般社員はTOEICで600点、係長クラスは650点、部長クラスは750点だという。それほど難しい水準とはいえない。
 というのは、外資系企業では、会議や交渉など難無く業務をこなすのには、900点以上のスコアが必要であり、なんとか英語でやっていけるレベルは、750〜850点あたりとみているからである。その上で、TOEICでは試験されない会話力と作文力が同等水準以上にできなければおそらく役に立たないだろう。難儀なことである。ということは、少しでも難しい仕事は、やっと基準をクリヤーした人に任せるのではなく、全て海外の大学や大学院を出た人に任せるということになりそうだからである。英語ができれば、頭が良いと思っているわけではないだろうが、本格的に国際化に舵を切りたいという経営者の意思の表明なのだろう。
 日本語と言語構造が似ていると言われる韓国語を母語とする韓国の大学生はTOEICで800点水準に達している人が珍しくないという。900点ないと大企業には、なかなか就職できないという。だから小中高大と英語に投資している時間がかなり違う。日本と比較して小学校の3年生から年間平均して200時間程英語の授業時間が違うのではないだろうか。
 それが10年間累積すれば、2000時間の差となる。その差で、大学入試で英語の勉強を止めた日本のTOEIC400点の人と韓国の900点の人との差をほとんど説明できると思う。英語が大事だと言われて久しいが、日本の中学校では英語の授業が減り、単語数が極端に減らされ、つまらない英会話の練習を強いられ、普通の語学学校では1年間でこなす材料を3年かけている。そうすれば誰だって英語が嫌いになる。個人差はあっても時間をかければできる英語で差をつけられるのは、大きく考えれば、カリキュラムの問題なのである。まして、役人や議員以外の日本人は、円高というハンデを背負って国際雇用市場で戦わなければならない。
3.教員教育
 先頃、中央教育審議会では、教員免許の取得ための教育を大学院まで入れて6年にすべきと話し合われたという。いつから教育審議会は、大学教授のための失業対策事業団になったのだろうかと思った瞬間に、加瀬英明先生が少し前に書いていたことが実感としてわかった。
 「福沢諭吉大隈重信東郷平八郎小村寿太郎後藤新平と、明治の日本を築いてくれた偉材を、生年順に思いつくままにあげても、傑出した日本人をつくったのは、日本の母たちによる躾だった。人類史に光を放った日本を産んだ、これらの母たちは誰1人として、中学校にも行かなかった。世界一の母が、その母たちの訓育によって、育てられた。躾を重んじることによってのみ、祖国日本が再生しよう。」
 本当の問題は、カリキュラムや学歴年限ではないのである。