救国の処方箋  (1)

1.古事記に学ぶ救国の処方箋
 長部日出雄さんの「「古事記」の真実」(文春新書、08年)という本が面白くて、ワクワクしながら頁をめくった。天武天皇の業績、楽劇としての古事記源氏物語を生み出したもの、前史時代の記憶、火山信仰と稲作の普及、海人族の信仰、須佐之男命の荒ぶる悪行、宮崎の高千穂とフィリピンのイフガオ族本居宣長有坂秀世先生、吉川幸次郎先生の話、音読の重要性、出雲大社伊勢神宮。そして長部さんはその本をこう結ばれている。「日本人の根本的な宗教は、当方の考えるところ、次の三箇条に極まる。天地を祭る。天地に祈る。天地に感謝する。自分たちを生かしてくれる天地自然を崇拝し、守ってくれる何者かに五穀豊穣や家内安全や商売繁盛を祈願し、生きる営みのすべてを「カミサマ」の御心に適う「天職」と考え、食卓に向かうたびに「頂きます」と日々の糧を天地の恵みとしてありがたく頂戴し、暮らしに歌と笑いを重んじて楽しみながら毎日を元気にすごす。そんな風に生きていく人びとがふえれば、かならずや日本人の最良の資質が世界に向かって示されるに違いない。これが日本最古の古典「古事記」に学んだぼくの考えるーーー救国の処方箋である。」ふと東北の人々のことを思った。
2.民のカマドと天津罪(あまつつみ)の重さ
 野田総理は「福島の復興なくして日本の復興はない。」と言ったと聞く。言葉尻をとらえるわけではないけれど、日本の復興なくして福島の復興は実現できないと懸念される。復旧復興が課題とはいうものの、増税以外の政策はまだ見えてこない。新閣僚の問題発言が続き、経済産業大臣が辞任した。新財務大臣の「円高への懸念は各国に理解された」というコメントを見るたびに大きな不安に襲われる。そんなことはあるはずもないからだ。10月半ばに3次補正案を出して、増税を決めてそのまま来年度予算の編成にはいるという算段だが、それで良いとは思えない。「先ず財源よりも復興、増税よりも前に民のカマドを」というのが国民の一人としての願いだ。
 養老律令の施行細則である延喜式(927年)にある祝詞によれば、古来、我が国には「天津罪(あまつつみ)」と「国津罪(くにつつみ)」があり、「国津罪」とは殺人・傷害・・・などの刑法的な犯罪を意味し、「天津罪」はそれより高度な罪と考えられてきた。それは稲作と機織への妨害行為だった。(前掲書p.154−155より)両陛下がお手ずから稲作をし、養蚕に従事されるのは、こうした意味があったのだと初めて知った。稲作、機織ということではなく、むしろ日本古来の労働や職業、産業、先進技術に対する精神の象徴としてとらえたい。その価値観が明治維新後の発展と第二次大戦後の再起と企業家精神を生み出した。増税は必要だけれど、「雇用を産業を技術開発をどうするのか」を考えないまま増税することは我が国古来の精神に反していると思われる。
3.経済停滞の20年
 この経済が停滞した20年間我々は何をしてきたのだろうか。何が起こったのだろうか。たしかに当初はバブル崩壊に伴う資産価格の急落とバランスシートの悪化に伴う経済調整があった。日本人はコツコツとリストラをし財務諸表の改善を図ってきた。ハゲタカファンドにもやられた。多くの人間が資産価格の法外な高騰に腹を立てていたので、物価が下がるデフレのどこが問題があるのかに思いが至らなかった。そこに誤りがあった。仮にこの失われた20年に米国並みに成長していれば、GDPは25%増大し税収は30ー40兆円ほど増えている計算になるはずだ。その間、世界では経済も社会も大きく変わり、純粋な国内産業でさえグローバル経済に巻き込まれつつある。その動きを幾つかの視点でまとめてみたい。
1)知的労働の分業化 
 経済学者の中には技術進歩と生産性の問題だと分析する人がもいる。確かに欧米ではIT技術の進歩によりホワイトカラーの生産性が大幅に向上したという。同時に進んだグローバル化もあって、高い技術・能力・知識が必要なマネジメントや研究開発などの高度人材に対する需要は増しているが、中間層の労働需要は減っている。
 これには、コンピュータプログラムの仕事の幅が広がり、より幅広い応用が可能になったこと、ホワイトカラーの中間層が担当してきたプログラミングや給与計算、伝票処理といった仕事はインドや中国などの海外に外注できるようになったことがきいている。この動きは日本語という障壁があった日本でも次第に加速しつつあると考えられる。世界全体で、2007年には1億5000万人が大学教育を受けており、そのうち7000万人はアジアの学生だった。先進国の大学生は、少ない給料で一生懸命働く新興国の大学生と競争することとなった。逆に清掃、配管工事、トラック運転などの現場仕事は海外に移転がしようがないのでむしろ増大しつつある。
 さらに法曹や医療さらには教育といった今まで参入障壁が高かった分野でも変化は始まった。法律事務所は裁判実務に必要な書類集めを調査専門会社に外注するようになった。医療の世界では、患者がオンラインで医療アドバイスを受けショッピングセンタの診療所で治療を受けるサービスが米国で始まった。24時間手術が可能な新興国の巨大病院の安価な医療サービスを求めて先進国からツアーが組まれるようになった。マスメディアは独占的な情報発信能力を失い、個人ライターが発行するとのメールマガジンと競争せざるを得なくなっている。大学は終身在職教授のポストを年間契約の先生と置き代え始めている。街の英会話教室は、パソコンのテレビ会議機能を使った英会話教室からの挑戦を受けている。こういった自動化、グローバル化規制緩和といった言葉で表されている事象は、知的労働の分業化が始まったことを意味する。消費者は、より安価な専門サービスを享受できるようになる反面、高度な人材の枠に入らない大学卒業生には厳しい社会かもしれない。
2)デフレという「サイレントキラー」 
 短期的に考えればデフレで打撃を受けるのは人々は少ないし、政治的発言力が小さい。デフレは安定的な決まった給与がある人にとっては実質賃金の上昇を意味する。公務員、大企業の労働者、規制によって保護されている産業で働いている人や年金生活者(物価スライド制に下方硬直性があるため)には一見有利で、小さな企業の経営者やこれから職業を得ようとする学生、労働条件などを交渉できないフリーターには厳しい環境が続く。しかしデフレで実質賃金が上昇し、生活水準が上がるのは短期的である。フリーターを含めて消費をしたがらない「サイレントテロ」人口の増大は、この20年間のデフレ経済への適応と考えても良いかも知れない。一般に、デフレが経済を停滞させる理由には次のようなことが指摘されている。
(1)実質賃金の上昇 実質賃金が上がれば、利潤が削減され、利潤が下がれば設備投資が減り、長期的な成長率も低下する。名目賃金を下げれば、さらに物価が下落し、経済が停滞する。
(2)実質金利の上昇 金利をいくら引き下げてもゼロ以下にはできないため、実質金利はデフレによって高止まりしてしまう。全体の経済すなわち市場が縮小する中で実質金利以上の投資案件を見つけることは難しい。
(3)資産価格の追加的下落 人々は債務を返済し資産を流動化しようとするために資産価格がさらに下落する。
(4)信用創造の縮小  利潤が圧縮され資産価格が低下すれば借入金が大きい企業の経営は難しくなるため、銀行からの借り入れは増えず、信用創造は行われない。
(5)労働生産性の停滞 雇用の停滞は若年労働者の技能を低下させ長期の労働生産性を停滞させる。これは日本のように新卒一括採用を基本とする社会では大きな問題となりつつある。
 デフレが日本の「サイレントキラー」となっているのではないか。このままデフレが続けば景気はいつまでも回復せず、税収が上がらず、いづれは年金基金も枯渇し、財政も年金も破たんせざるを得ない。そんな状況では銀行が破たんしても預金保護すらできないはずだ。デフレの克服なしに増税すれば、デフレはますますきつくなる。デフレを収束させるためには、通貨供給量を増やしお札を刷れば良いというのが、多くの識者の見解のようだ。先ずは国債の買い切りオペレーションの増額をする。続いて時限立法の防災都市の整備再開発の促進制度や農業用地の大規模化を促進する制度を作り、その担当機関が債券を発行し、そこに資金を供給する。他所の国で一般的にやっているインフレターゲットの本格的採用である。デフレを克服する過程で、円高は自然と適正な水準まで誘導される。一度インフレになればハイパ―インフレを求める壺のなかの魔神がでてくると真顔で心配する経済学者もいるが、目標水準を超えれば調節すれば良いはずだ。我が日本には、古来より魔神と戦ってきた自然を愛し勤労を尊ぶ人々がいる。