英語もあるが、「理工学」教育の充実を

1.日本経済の3部門分析
 日銀の総裁・副総裁が決まりデフレ脱却路線が明確になった。2年以内に2%の物価上昇率を目標とするとの由だ。TPPや今後の経済政策についてもっとも納得できる議論をされているお一人に、ニューヨーク大学名誉教授の佐藤隆三先生がいる。
 古い橋やトンネルの修理、そして少子化を防ぐためにお金を使うことは正しいと認めた上で、政府支出と経済発展に関する3部門分析が重要だという。政府支出と民間の高付加価値部門(製造業・モノづくり)と民間のサービス部門の3つに分けて、日本の経済発展を考えるべきと説く。サービス部門は労働集約的で人手を要して生産性が低い。
 日本の高い経済成長を支えてきたこの3部門のバランスが崩れてしまったことに低成長経済の本質があるという。高成長路線に復帰するためには高付加価値のモノづくりの部門の国内回帰を促すこと、そして新たな新産業の創造を実現する以外にはないというのが経済発展論の教えるところだと説いている。製造業の復活と創造にお金を使えということだ。
 ちなみにTPPについては、米国を良く知る佐藤先生はTPP警戒派であることを付言しておこう。
 自分の周囲にも、これからは福祉だ観光だという政治家がいる。民主党がそうだった。それは否定しないが、成長率を上げたいならば、高付加価値部門を大きくするしか日本の繁栄は望めないのだと考える。そのことと教育との関連が、最近少しわからなくなっている気がする。
2.TOEFLは日本の大学入試には使えない
 自民党教育再生実行本部は、国内全ての大学の入学試験にTOEFLを使う方針を固めたという。大学の学部ごとに点数基準を定め、クリアした者に受験を認めるという。点数基準は各大学に自由に定めさせ、留学の活発化を通じて国際社会に通用する人材を育成する狙いがあるという。TOEFLを東大の大学院や国家公務員の上級職の試験に使うのは構わない。大学でも、今時、TOEFLでの英語試験の代替を認めないところは少ないと思う。1回の試験ではなくて年に何回か受けれるメリットがあるのは良いことだ。英文和訳や和文英訳といった伝統的問題形式がなくなるので、中学、高校の英語も少しは変化するだろう。
 ただ日本の大学受験の指標としての全面的にTOEFLを採用するのは問題がある。というのはiBTといわれる最新のTOEFLでは、ほとんどの大学受験生は120点満点で30-40点の間の点数となるはずだからだ。つまりTOEICで380-450点である。推測だが、少し幅を広げてTOEFL(iBT)25-45点なら9割以上の大学受験生はその間におさまってしまうのではないか。点差が付かないのである。大学側も120点満点の試験で30点を日本人学生の入学基準と発表する勇気のある学校は少ないのではないか。
 海外要員や将来の研究者や指導者には英語能力は必要であり、TOEFLの価値を認めるのに何の不満もないが、日本の大学入試には使いにくいことはハッキリしている。むしろTOEICの方が活用されるのではないかと予想する。自民党案はおそらく現場の現実がわかってない人たちの意見ということになるのではないか。
3.英語の習得レベルと時間 
 この1年間に、大阪市教育委員会山梨大学京都大学で英語の教育改革が動き出そうとしていることが報じられた。実際には、英語の教育改革を検討していない大学を探す方が難しいだろう。文部科学省の予算がグローバル化に重点を置いているからである。
 日本の大学で英語による授業を受けても良いと設定されている水準はiBTで61点、海外の大学の学部受入れ基準は80点、外資系企業で無理なく働ける水準は105点だとされている。TOEICではそれぞれ、650点、750点、900点である。
 大学受験時点で大方の日本人の学生は家庭学習も含めて2000時間ほど英語を勉強しTOEICで平均点として400点をとると言われている。いろいろな英語教育の統計を調べていると、TOEIC900点つまり外資系の会社に入って、コミュニケーションができるようになるためには、私見ではゼロからはじめて概ね4000時間の学習時間が必要だ。
 つまり普通の学生は、大学に入った時点ではまだ半分しか英語の勉強をしてないのである。だから、大学1-2年で週に3時間授業を受け、家で同じ時間が学習しても2年間×90時間×2で360時間にしかならない。全く学習時間が足りないのでできないのが当然だ。
 大学1-2年生のときには365日毎日3時間ほど勉強すれば、残りの2000時間の必要学習時間を上回るので、海外で戦える英語力となるというのが自分の見方だ。もちろん才能のある人はそれより少ない時間でいい。京都大学は、教養科目の半分を外人教師に担当させるというプログラムを始めると発表している。それは形を変えた「旧制高校の復活」とみることもできるし、語学は時間だという原則に忠実な先生がいるのだろう。英語だけでは、他の勉強に影響が出るので教養科目を英語で勉強するわけだ。
 何も忙しい大学時代にそんなことをせずに、小学校や中学校で毎日1時間の英語の授業をやれば、大学のときは別のことをする余裕ができるという計算もある。大阪の橋下市長が教育委員会に出している指示を自分なりに読むとそう解釈できる。英語について言えば、それは能力ではなくて、かけている時間が、問題の本質だと思う。言語構造が似ている韓国の人は英語ができるというが、調べてみると大学入学前に結構時間をかけて勉強している。国際教養大学国際基督教大学にはもともと英語が得意だと言う学生が集まるが、カリキュラムとしても大学1-2年生のときに英語の習得に重点を置いているのである。
 ただ国民全体として考えた時、国民全てが4000時間をかけて外資系の企業で働ける英語能力習得すべきとは思えないのである。もっと軽めのコースや他の言語のコースあっても良いはずだ。
 他の言語の習得や、産業創造に必要な理工学や文理融合型の「失敗学」の習得をしている国民の多さが、産業を創造し、諸民族の宥和を生み出すというわが国の特徴を活かす道だと思えてならない。それは、小学校からもっと徹底されて良いのではないか。わが国のロボット工学は鉄腕アトムから生まれていることを否定する人はいないと思う。小学生には小学生なりの科学技術や産業創造の志を養うべきではないか。
4.「理工学(STEM)」教育の充実を
 科学技術研究所が出している「科学技術動向」誌の本年1・2月号に「米国における科学技術人材育成戦略」で報告されている動きが興味深かった。第二期オバマ政権は「理工学(STEM)」教育の強化に動き出しているという。エンジニアリングやヘルスケアなどの雇用が拡大する分野を支えるのは「理工学(STEM)」教育だとして数学や科学の教員を10万人増やしてコミュニティカレッジなどで200万人の労働者の教育に当たるという。
 まさしく世界的に起きている雇用争奪への対応を打ち出したようだ。STEMとは、科学・技術・工学・数学の頭文字である。自分はそれに理工学という訳語をあててみた。そのなかには当然ながら生物学がはいる。米国では数年前から文科系においても、生物学が大学の教養課程で必須となっている場合が多い。生物学やバイオテクノロジーの理解無しに新しい社会や制度は考えられないからという理由だそうだ。特に1980年以降、生物学の技術革新は著しく、他の教科とくらべて高校の数学教科書内容が様変わりしている。
 もう一つ気がついたことがあった。実は20年以上前から、米国の理工系の学部は「IC」に席巻されてされていたことを思い出した。集積回路のことではなく、インド系と中国系の人たちだ。欧米では、ここ数年、ホワイトカラーの生産性が大幅に向上したとされるが、実態はコンピュータ通信の利用により業務が削減され、従来はホワイトカラー中間層が担当してきた仕事が海外で行なわれるようになったことも大きい。産業革命は膨大な数の中間層の労働力が必要になったが、IT革命は労働需要を減らす。残った高度な仕事もインド系や中国系の人たちとの争奪になっているというのが実情だ。
 日本の経済社会も、新しい産業と雇用をつくり出せなければ、そうなるのではないか。もちろん英語教育の充実によって異文化の壁を乗り越えていくグローバル人材とその予備軍への需要は増しているが、国際化を受け入れると国内には清掃、配管工事、トラック運転などの現場の仕事しか残らない。理工学教育があれば高度な仕事が自国民に残るのである。
 さらに従来、安定的だといわれている法曹、医療、新聞、出版、放送、教育等の高度なサービス業の分野も技術革新にさらされている。複雑な所得税の申告もネットでソフトウェアでできるようになり、弁護士もデータ分析ソフトを使ってが同種のパターンなどを見つるため、少ない人手で済むようになった。米国は、STEMつまり理工学教育を強化して、新しく生まれる仕事や比較的給与が高い仕事に対応できる人材を大量に育てようとしているように思われる。
5.産業の創造の伝統
 日本の工業所有権制度は、1985年4月18日で創設百年を迎えた。その時、日本の工業化に貢献した10名を選び業績を顕彰した。そうした人たちのことを教科書の中にもっと組み込んでも良いのではないか。そうした物語を聞かなくなって久しい。
 自分なりにそのコンテンツを要約抜粋してみた。今知られてる人も知られてない人もいた。その作業の中で気が付いたことがあった。他の後発国との差は日本が新たに産業資本と産業を創出してきた国だという単純な事実だ。
 それは戦後の経済復興だけではなくて日本の伝統だった。皇室が、今でも「稲を育て、カイコを育てておられる」ことは、単に農業が大事だということだけではないと思えてならない。当時から先進技術を大切にし、自らも労働するという志の象徴ではないだろうか。古事記では百姓のことを、オオミタカラと読むことを多くの日本人に広めたい。

***************(以下,工業所有権百年WEBより抜粋引用)
豊田佐吉の木製人力織機
 豊田佐吉は、慶応3年(1867)静岡県に生まれた。第3回内国勧業博覧会に出展された機械のほとんどが外国製であったのをみて、国産機械の研究開発への意欲を高め、木製人力織機を完成し、その商業的成功を背景に、3年後、木製動力織機を完成した。明治36年緯糸を自動的に補充する画期的な自動杼換装置を完成した。これが自動織機の最初の発明となった。そしてその蓄積を基盤としてトヨタが産まれた。
②御木本幸吉の養殖真珠
 御木本幸吉は、安政5年(1858)三重県に生まれた。明治11年に横浜で真珠の売買を見学した。明治21年に英虞湾でその養殖を始めた。帝大の教授から真珠は人工養殖できるかもしれないと言われ、4年間の研究の末、半円形の養殖真珠を造り出した。その後も円形真珠を人工養殖で造るための研究を続けて遂に技術を確立した。この発明をきっかけとして日本の真珠養殖業は産業として成長した。
高峰譲吉のアドレナリン
 高峰譲吉は、安政元年(1854)富山県に生まれた。明治12年東京大学工学部応用化学科を卒業し、英国に留学後、農商務省に入り専売特許局次長になったが明治21年農商務省を退職し研究に没頭した。明治23年に元麹とこれを使った醸造法の改良に成功しこの醸造法が、米国のアルコール製造会社に採用された。消化剤であるジアスターゼの製造方法を発明し、副賢皮質ホルモンであるアドレナリン抽出と結晶分離による純粋なアドレナリン製法を発明した。
④池田菊苗のグルタミン酸ソーダ
 池田菊苗は、元治元年(1864)京都に生まれた。明治22年東京帝国大学理科大学化学科を卒業し、明治32年から2年間、ドイツに留学し明治34年東京帝国大学教授に就任した。彼は様々の研究を行ったが、この中に昆布のうまみの研究があった。うまみの成分がグルタミン酸ソーダであることを突き止め、調味料の製造方法を発明した。このグルタミン酸ソーダは、品質が安定しており食物に独特のうまみを与えるため、食品添加物として広く普及した。
鈴木梅太郎ビタミンB1
 鈴木梅太郎は、明治7年(1874)静岡県に生まれた。東京帝国大学農科大学農芸化学科を卒業し、大学院に進み、スイスとドイツに留学し、有機化学を学んだ。明治39年に帰国し東京帝国大学農科大学の教授となった。当時、日本では陸海軍の兵士に脚気患者が多く、米糠中に脚気を治癒する成分のあることを実験的に確認し、この有効な成分が「アベリ酸」(ビタミンB1)であることを解明し、米糠中からビタミンを抽出し今日のビタミン学の基礎を確立した。
⑥杉本京太の邦文タイプライター
 杉本京太は、明治15年(1882)岡山県に生まれ、大阪市電信技術者養成所を修了した。当時、日本には実用的な邦文タイプライターはなかった。活版技術関係の仕事に従事した後、邦文タイプライターの研究に着手した。彼は、左右に移動する活字庫、前後に移動する印字部及び円筒型の紙片保持具によって構成する独創的な機構をもつ邦文タイプライターを発明した。これは邦文による書類作成事務の能率化に大きく貢献をした。
⑦本多光太郎のKS鋼
 本多光太郎は、明治3年(1870)愛知県に生まれた。明治27年東京帝国大学理科大学物理学科に入学、物理学者長岡半太郎教授から磁気実験の指導を受けた。明治40年、ドイツに留学し東北帝国大学理科大学の教授となった。第一次世界大戦が勃発すると磁石鋼の輪入が途絶したため、従来と比べて抗磁力が3倍と非常に強く焼入硬化型の永久磁石鋼としては最強の抗磁力を有するKS鋼を発明した。この磁石が住友吉左衛門の寄付によって完成されたのでその頭文字を採った。昭和8年にKS鋼の数倍の抗磁力をもつ世界一強力な永久磁石合金である新KS鋼(NKS鋼)を発明した。
八木秀次八木アンテナ
 八木秀次は、明治19年(1886)大阪府に生まれた。明治42年東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業し、大正2年から欧米で電波の研究を行い大正5年に帰国した。東北帝国大学工学部設立とともに教授となり、将来短波あるいは超短波による通信が主力となることを予見し研究した理論に基づき、いわゆる八木アンテナの基本となる「電波指向方式」を発明した。極めて簡単な構成で電波の指向性通信を、可能にした。
⑨丹羽保次郎の写真電送方式
 丹羽保次郎は、明治26年(1893)三重県に生まれた。大正5年、東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業し、逓信省電気試験所で民間の有力者の認められ民間会社に入社した。大正13年欧米の実状を視察し帰国後、写真電送の研究に取り組み、有線写真電送装置を発明した。取扱いが簡単で完全に写真が再生でき、電気通信界に大きな刺激を与えた。昭和4年、東京−伊東間で我が国初の長距離無線写真電送の実験に成功した。
⑩三島徳七のMK磁石鋼
 三島徳七は、明治26年(1893)兵庫県に生まれた。東京帝国大学工学部鉄冶金学科に進み大正9年卒業。卒業後は研究室に残り無磁性のニッケル鋼にアルミニウムを添加すると磁性を回復することを発見した。安定度が優れ、磁性の温度変化及び経年変化が小さい革命的なMK磁石鋼を発明した。はるかに廉価であり、発電機、通信機、ラジオ等のスピーカーなど民生機器及び産業機器用等の磁石として広く使われ、その後の技術進歩に大きく貢献した。
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