モンクット王工科大学物語 もう一つの東海大学

 タイのMITと言われているモンクット王工科大学の物語を読んだ。タイの製造業を支えている大学だ。モンクット王は、日本ではラーマ4世として知られている。というより、ユルブリンナーのミュージカル映画王様と私」の王様のモデルとして知られている。でもタイの人々にとっては自分たちの王様を軽く扱うなという思いが強いらしい。それもその通りだ。その大学と日本の東海大学が親子兄弟のような関係にあることを初めて知った。ここの教授には東海大学出身者が何人もいて、少し前の学長先生も東海大学のOBだったりする。
 この4月に国際開発ジャーナルの荒木光弥さんが出された「一つの国際協力の物語」という本にその物語が書かれている。240頁の本の中に、3つも4つも、あるいはそれ以上の物語や歴史が詰め込まれ、織物のように日本とタイの現代交流史が描かれている点で、凄い本だと思った。成功物語は、光のところだけ描くと、とかく単調になり易いが、これはそう感じられなかった。これは国際協力のまぎれもない稀に見る成功例であり、日本人として誇りに思う。東海大学の卒業生が読めば、もっと誇らしく思うだろう。のちに日本電電公社の初代総裁となった逓信省の上司の梶井剛さんと部下の松前重義先生の関係も興味深かった。2人のものの考え方や個性が、モックット王工科大学には確かに息づいているような気がする。松前重義先生には、なぜかこうしたエピソードが本当に多く、驚かされることが多い。ある本に、無装荷ケーブルは、まさしくノーベル賞級の発明だとNECの会長だった関本忠弘さんが書いていた。
 東海大学の名前の由来も初めて知った。東はアジア、海は太平洋だという。アジア太平洋大学だからこそ、ヨーロッパとの関係が深いのかもしれない。昨年の洪水のときに実感したタイの繁栄と日本企業の関係の深さは、この本に出てくる人たちとその他多くの方たちの思い入れによって築かれたのだと思う。
 もう何年もタイに行っていないが、学生時代に出会ったタイの友人たちの顔が思い浮かんだ。チュラロンコン大のM君やN嬢はどうしているだろうか。M君はその後、大手の保険会社に入り、研修のグループを連れて東京に来たとき連絡をくれて、僕らの共通のマドンナの話で一晩盛り上がった。「メナムの残照」の筋も主人公の名前もとうに忘れていたが、三島由紀夫の「潮騒」を読んだ時のようにワクワクしながら読んでいたことを思い出した。
 その小説のモデルとなったのが中村明人中将のお人柄であり、その中村中将とピブーン首相の関係、そのピブーン氏が晩年、日本に亡命し、1964年に神奈川で亡くなったことなどは、この本で初めて知った。アジアと日本の間には、左派の観方で固まった教科書には載っていない心の交流がある。ミャンマーのアウンサン将軍と浜松の鈴木大佐の関係、インドのチャンドラボースなど、日本と関係が深いアジアの歴史上の人物の名前が何人も頭によみがえってきた。彼らと日本の先人たちとの関係を、政治にとらわれることなく、もう少し世の中に広めたいと思った。おそらく著者の荒木さんもそんな思いをお持ちの方なのだろう。
 高等教育への進学率が20%を超えるとその国の経済は離陸する。日本にとってはそれは東京オリンピックの年だった。モンクット王工科大学の歴史も、そんな歴史の法則にのっとったものなのかも知れない。しかしそこには、日本とタイの多くの先人の情熱が息づいている。「国は教育をもっておきる」と、ついこのあいだ、東海大学の先生に情熱をもって力説されたことを思い出した。こういう先生に出会う学生は、それだけで幸せだと思う。