翻訳大国日本の流儀

1.翻訳大国日本
 少し前にネットにのった韓国のペジェ大学のカン・チョルグ教授の「明治時代の日本の翻訳政策が国家繁栄をもたらした」という記事を読んで、考えたことを書きたい。
 韓国では、少し前に、英語イマージョン(没入)教育を全面的に採用し小中学校での主要教科目を英語で進めて高校を卒業するだけで英語を自由に駆使できるようにする計画があったという。結局、断念されたが全国民の英語公用化が本当に国家競争力を向上させられるかが疑問だったという。カン教授は翻訳こそが国家繁栄の近道という考えらしい。その実例として日本を取り上げている。日本の初代文部大臣だった森有礼(1847〜1889)と、土佐出身で英国に学んで最後は米国で亡くなった自由民権運動の思想家の馬場辰猪(1850〜1888)の議論を紹介している。
 森は「日本が独立を守るためには国語を英語にすべき」として英語義務教育を実行しようとし、馬場は「日本で英語を共用化すると上流階級と下層階級の間に格差ができて話が通じなくなる」という理由で反対した論争である。後に国語国字論争に発展した議論である。結局、日本は翻訳主義を選んだことにより、1870年、政府機関に翻訳局を設置して国家が西洋書籍を組織的に翻訳し英語水準に関係なく誰でも近代的知識に触れられるようにした。そのことでアジア最多ノーベル賞受賞者を輩出したことを韓国に紹介している。韓国では専門的な学術書籍は翻訳されることは少ないというのが教授の主張のようだ。
 面白い見方だと思った。確かに日本は、統計で確かめた訳ではないが、世界の文献を読むためには、日本語を学ぶべしとといわれるほどの翻訳大国であることは間違いないらしい。だから中国で使われている現代用語、科学技術用語、西洋哲学の漢字や概念は、ほとんどが幕末と明治の日本人たちによって作り上げられた翻訳大国日本製の新造語である。
 その伝統があるために、日本の英語教育では、翻訳技術の習得が重視されているというとビックリされるかもしれない。大学入試でも高校入試でも、英文和訳、和文英訳は、英語の試験の王道だ。
 更に余計なことを書けば、中学校や高校の英語の先生は、ほとんど日本人で、教える技術は高くとも、平均的な中学・高校の平均的な英語の先生の英語能力は、TOEICでは、中学校の先生は600点台だし、高校の先生は700点台だという。だが英文和訳、和文英訳が入ると話は変わってくる。日本語の力がものを言うからだ。そうした先生方でもやっていけるのは英語がほとんど日常生活では必要ないからなので、あまり責める気にはなれない。
 韓国の場合も、李朝時代は漢文、戦前はハングルと漢字の混合文だったが、戦後、漢字の使用をやめてしまった。それだと学術表現が不自由になり、英単語や漢字がそのまま文章にでてくるという。最大の問題は、何よりも戦前や李朝の文献との絆が切れてしまったことではないだろうか。
2。日本の流儀
 考えてみれば万葉集古事記の時代、あるいはそれ以前から、日本は翻訳大国だったことに気がついた。表意文字だとされる漢字から、いつの間にか表音文字のヒラガナを作り出し、返り点をふって漢文を読み下してしてしまった国だ。
 学問としての儒教を学んでも、宗教としての儒教は、ついぞ受け入れなかった。だから、物事の感じ方、葬儀、死生観、祖先崇拝の方は仏教頼みとなり、結婚式ではキリスト教教会で愛を誓う。そして願い事や占いは神社に行く。
 今まであまり考えたこともなかったが、翻訳ならぬ翻案をしてしまって恥じるところが無い。京都の祇園祭にはユダヤ教まで出てくるという。
 江戸時代の読み書き算盤という意味での庶民の識字率・就学率は、幕末には7−8割に達していたという。国民の水準は昔から高かったのではないか。米国の黒船艦隊を率いていたペリーの日記である日本遠征記にも「読み書きが普及していて、見聞を得ることに熱心である」と記されている。
 1861年に函館のロシア領事館付主任司祭として来日したロシア正教会の宣教師、ニコライは、帰国後にロシアの雑誌「ロシア報知」に「国民の全階層にほとんど同程度にむらなく教育がゆきわたっている。・・・読み書きができて本を読む人間の数においては、日本はヨーロッパ西部諸国のどの国にもひけをとらない。日本人は文字を習うに真に熱心である」と書いたという。
 1865年に日本に来たトロイの遺跡発掘のシュリーマンも「教育はヨーロッパの文明国家以上にも行き渡っている。シナをも含めてアジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では、男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」と書いている。
 そのほぼ百年前の1774年には杉田玄白らによって解体新書がオランダ語から漢文に翻訳され、西洋科学技術の翻訳が始まっている。その際に「神経」「軟骨」「動脈」などの語が作られた。
 そしてアジアでは、小学校から大学まで、自国の言語で全ての教育できる稀有な国となった。だから大学生でも英語ができないとも言える。
 森文部大臣は在職のまま、大日本帝国憲法発布式典の1889年2月11日に国粋主義者に切りつけられ、翌日43歳で亡くなってしまう。その1年後の1990年2月26日の地方長官会議(府県知事会)の席上で、知識に偏る従来の学校教育を修正して、徳育を重視することが決議されたのである。当時の教育界では欧米人を一等高く見て、日本人を劣等な国民とし日本の歴史習慣を無視して欧米化せねば駄目だという雰囲気があった。教育の内容は全て米国帰りが多い「学士会」が決めていた。この決議が、かねて道徳教育に関心のあった明治天皇のお耳に入って、教育勅語が作られることになった。そしてその年の暮れに教育勅語が発布された。
 そしてそれから十有余年、日露戦争の後で、何故日本の教育が素晴らしいのかという話になって、教育勅語は道徳教育は世界標準となって、英訳され、仏訳され、独訳されていった。
 1945年、大東亜戦争に敗れた日本は、母国語を失いかねない危機に見舞われた。戦争中、玉砕するまで戦い抜いた日本人を見た米国人は、「日本人は間違った情報を教えられていて、正しい情報を得ていないに違いない。なぜなら、新聞などがあのように難しい漢字を使って書いていて、民衆に読めるはずはない。・・・日本に民主主義を行き渡らせるには、情報をきちんと与えなければいけない。そのためには漢字を使わせておいてはいけない」と考えた人が進駐軍の中にいたという。それで漢字廃止論が出てきた。ところが、1948年8月に全国270ヶ所の市町村で、15歳〜64歳の1万7千百人の識字調査が行なわれると、日本人は97.9%という高い識字率だと判明した。これには米国人が驚き、日本の教育水準の高さに感嘆したという。
 このアメリカ教育使節団報告書が戦後の教育を決めていた。道徳教育の世界標準だといわれた教育勅語は廃止され、六三制義務教育とPTA導入された。悪名高い教員組合の組織の自由などを導入され、個人的には古事記万葉集の名前を知る前から、春香伝の名前を教えられていた。唯一、実現されなかったのが「日本語のローマ字化」だった。
 そしてどうやら、今は何回目かの英語教育ブームがやってきているのかもしれない。小学校からの英語教育を主張する府県があり、英語で大学教育をしようとする国立大学がある。英語は時間をかければ、できるようになるので、もう少し安心した方が良いのではないか。
 最近英国のアナリストのアジア経済の本や日本経済の分析を読むことが続いたが、総じて日本の将来に悲観的で悪意を感じる。アジアの英字情報誌は総じて中国人によって経営されているので、日本に厳しく中国に楽観的だ。そんなことはあるかと個人的には思っている。現地の情報にしても、やはり英語だけの情報収集ではあまりにも偏っている。日本は翻訳大国の本領を発揮して、受信だけでなく、きちんと情報を発信し続けなければならない。