沖縄と東ティモールの歴史の類似

 オスプレイ配備に関して、沖縄の引退した大物政治家が「本土は沖縄をいつまで植民地扱いにするのか」と批判していることを、ある政治評論家が週末のテレビ番組で紹介していた。
 実は沖縄の歴史と社会を調べていて、大物政治家氏とは全く違う視点で気がついたことがあった。沖縄の人に怒られるかも知れないが、それは琉球王朝の歴史が、ポルトガルの植民地だった東ティモールの歴史と似ていることである。東ティモールは香料貿易の拠点だった。沖縄は、中国にあった明朝と清朝との朝貢貿易に熱心だった。普通の人々は、長い間、着の身着のままで人頭税や塩税で収奪され、隣村との交流を禁じられていた。学問は人口の1割の支配階級に独占された。東ティモールではポルトガル人と彼らの血が入った混血が支配階級である。沖縄では琉球王朝一族と朝貢貿易に従事した中国系帰化人のグループだった。
 明治維新となって琉球王朝一族が東京に居を移されると、本が読め、字が書けたのは中国系帰化人のグループだけだった。東ティモールからポルトガルが引上げると、多くの住民と人種的には同じ系統のインドネシア政府が面倒を見ることとなり、学校をつくり道路をつくった。東ティモール海域で石油が出ると、同じ白人の血が流れているということで「インドネシアの圧政」を口実に、欧州が騒ぎ出した。尖閣諸島も資源が出ると中国が騒ぎ出した。
 そのうちに東ティモールでは内戦が始まり、ボルトガル混血派が率いる独立派にノーベル平和賞が贈られ、インドネシアは国際的な通貨危機の際に東ティモールの統治を放棄させられ、東ティモールは独立した。しかし石油という地下資源があるにもかかわらず、今もってその政権は経済的に自立しておらず、国連機関を通じた資金援助を訴えるテレビ・コマーシャルで愛くるしい子供を使っている。