ノーベル賞と「血と労苦と涙と汗」

 多くの懸案を抱えながら国会を開けない民主党政権のニュースが報じられるたびに、次第にフォローをするのが馬鹿馬鹿しくなった。政権政党であるにもかかわらず、失敗を野党のせいだとする態度が醜悪だ。優れた政治家には、正しく将来を予測する能力と、それが外れたときにうまく弁解する能力の2つが必要だといわれているが、民主党の政治家にこの2つがかけているように思われてならない。もう終わりにすべきと思わずにはいられない。
 政党化して支持率が落ちたとされる日本維新の会では、橋下市長による軌道修正がなされそうだ。みんなの党たちあがれ日本との連携が進むのではないか。組織を固めるためにも、それらの連携をつくった上でその他の地域の行政改革政党と連携していくことが、政策的にも、年齢構成的にも良い組み合わせだと思えてならない。このグループが第二党となり、自民党と並立することによって、新しい日本が生まれるのではないか。そうでなければ、日本維新の会は単なるブームに終わるのではないか。そうした構図が生まれれば、外交安全保障政策と教育政策は同一で、地方制度、公務員制度、社会保障制度の改革がきっちりと議論される政治が生まれるのではないか。
 日本の駐米大使は帰任に当たってのブルッキングスにおける送別会で、中国・韓国の在米学者から「日本は右旋回しているのでないか」との厳しい質問攻めにあったことが報じられている。日本で起きていることは、中国・韓国の行動があまりにも理不尽なこと、左派の主張が非現実的であることが次々明らかになってきたからである。
 2012年のノーベル文学賞が中国の作家に決まった。平和賞はEU(欧州連合)だという。ふと1953年の文学賞ウィンストン・チャーチル(1874年- 1965年)だったことを思い出した。受賞の対象となったのは第二次世界大戦についての歴史の本だ。彼は第二次大戦を「避けることのできた無益の戦争」と考えていた。第二次世界大戦が終わって、彼は歴史を書きながら英国と欧州の将来を考えていたはずだ。「遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せる」というのが彼の考えだった。
 彼は英国貴族である第7代マールバラ公の三男の長男だった。つまり嫡流でないものの名門貴族の孫だった。彼の父親は蔵相などをつとめた政治家だった。母は米国の銀行家の娘だった。ハーロー校に学んだものの、フェンシングは得意でも、ギリシア語・ラテン語はダメで、成績は悪かったという。彼より成績が悪い二人は病気などの理由で退学したという。サンドハースト王立陸軍士官学校にも3度受験してようやく合格したという。たしかお金のかかる騎兵のコースだった。
 初めて閣僚になったのは35歳だったが、1940年にチェンバレンの後任として首相に任命されたのは65歳だった。国防相を兼任して挙国一致内閣を率いて戦時指導にあたった。ラジオや議会での演説を通じて国民に戦争協力を呼びかけ、総力戦を組織化してドイツの空爆に耐え英国に勝利をもたらした。しかし大戦の終わる直前の1945年7月におこなわれた総選挙で敗北し退陣した。
 戦後、トルーマンの招きでアメリカを訪問し、各地で演説を行ったが、1946年3月のミズーリ州フルトンでの演説でヨーロッパの東西分断を「鉄のカーテン」と分析した演説を行い、東西冷戦を予言した。この時期に「第二次世界大戦回顧録 全6巻」の執筆していたようだ。1948年に第1巻を出版し、最後の巻は1953年に出版した。チャーチルは、ものの見方が公平な人だといわれ、その本で2回目の首相に在任しているときに、ノーベル文学賞を受賞した。1955年に80歳で首相をアンソニー・イーデンに譲り引退した。今でも多くの英国人の尊敬を集めているという。
 チャーチルは、第二次世界大戦後、米ソの2国が大国として台頭してきて、そのままでは欧州が飲み込まれることを危惧していた。回顧録の第1章は、大戦終了後のロシアがドイツの資産を略奪するところから始まる。ドイツにあった動産を運び去り、人々の一部を奴隷として強制的に連れ去った。そして第1巻の最後は、東西ヨーロッパに「鉄のカーテン」が降ろされるところで終わる。
 避けることができた無益の戦争を引き起こしたのは誰なのか。英仏の側で責任を負うべきは誰なのか。明確に名指しはされていないが、チェンバレンの宥和策とその人柄が詳細に論じられている。チェンバレンの前の首相のボールドウィンは、外交と軍事について何も知らなくとも深い直感があったとされている。しかし世界に危機が迫った時には、どちらかといえば目標を決めて適確に能率を上げるタイプの自信満々のチェンバレンが首相になっってしまったのである。
 現在の日本の政府を、勘の悪い人たちが運営していると思ったら、年甲斐もなく寝れなくなってしまった。書棚で歴史的な演説を集めたペーパーバックを見つけた。チャーチルが65歳の5月10日に首相となり、5月13日に下院でした短い就任演説が載っていた。

下院での首相就任演説 (May 13, 1940)
‘I have nothing to offer but blood,toil,tears and sweat'
It must be remembered that we are in the preliminary stage of one of the greatest battles in history, that we are in action at many points in Norway and in Holland, that we have to be prepared in the Mediterranean, that the air battle is continuous and that many preparations have to be made here at home. In this crisis I hope I may be pardoned if I do not address the House at any length today. I hope that any of my friends and colleagues, or former colleagues, who are affected by the political reconstruction, will make all allowance for any lack of ceremony with which it has been necessary to act. I would say to the House, as I said to those who have joined the government:‘I have nothing to offer but blood,toil,tears and sweat'
We have before us an ordeal of the most grievous kind. We have before us many, many long months of struggle and of suffering. You ask, what is our policy? I will say: It is to wage war, by sea, land and air, with all our might and with all the strength that God can give us: to wage war against monstrous tyranny, never surpassed in the dark, lamentable catalogue of human crime. That is our policy. You ask, What is our aim? I can answer in one word: Victory-victory at all costs, victory in spite of all terror,victory,however long and hard the road may be: for without victory, there is no survival. Let that be realized: no survival For the British Empire: no survival for all that the British Empire has stood for, no survival for the urge and impulse of the ages, that mankind will move forward towards its goal. But I take up my task with buoyancy and hope. I feel sure that our cause will not be suffered to fail among men. At this time I feel entitled to claim the aid of all, and I say,‘Come, then, let us go forward together with our united strength.'