ルトワックの観方・憲法・歴史の転換点と変容

「中国の政治システムは、・・・日本への敵意を必要としている。仮に日本が尖閣を土産に差し出しても、・・・実は琉球がほしいと言うだろう。・・・もし日本が戦う姿勢を示さなければ、中国は益々圧力を強める」「(韓国の)憎しみの原因は、韓国が日本の植民地支配と戦わなかったからだ。だから戦った安重根を顕彰する。韓国の日本に対する態度は、日本が何をしようと関係ない」というのがルトワックの観方だ。
 国会の議論を聞いていると、安倍政権が世界の平和を乱しているかのように聞こえてくる。世界の現実を見れば、中国が問題なのは、はっきりしているし、韓国のエキセントリックさに米国も気がつき出した。国民の一人として野党の政治家に最も聞きたい議論は、ルトワックの観方を踏まえて、中国・韓国にどう対応するのかということだ。
 憲法憲法学者の議論は40年前、60年前とそう変わらないので、あまり興味がない。自衛隊ができた時点で、既に憲法解釈改憲もなされているし、基地を提供していること自体が、集団的自衛権の行使と考えるからだ。また選挙で選ばれた政治家による民主主義を信じるがゆえに、官僚内閣制の象徴である内閣の一部門である内閣法制局憲法解釈の優位を認めるべきではないと考える。
 昨日の静岡新聞の論説で、竹内宏さんが日韓基本条約から20年間の日韓関係を書いていた。興味深い指摘だ。長銀は、既に70年代後半に韓国経済における資本蓄積と中小企業育成の重要性を指摘していたという。その2点が今も韓国経済の病となっていることは明らかだ。そういえば、80年代の前半、日本経済研究センターにも韓国貿易会から研修生が来ていた。
 考えてみると、様々な分野・事象の歴史的な転換点が、ベルリンの壁の崩壊、天安門事件、日本のバブル崩壊と80年代後半に集中している。中国は天安門事件への対応として反日教育を始めた。韓国では、冷戦の崩壊と民主化運動の中で北の勢力が浸透を始めた。韓国が中国との国交回復をしたのもこの頃だった。そして戦後の日本人の中で、最も早く個人的に韓国フアンとなり、70年代に現代自動車の素晴らしさを讃え、家族ぐるみで韓国に通い、韓国語まで習得した作家の豊田有恒氏が、韓国の変容に警鐘を鳴らし出したのが90年代初めだった。