尖閣諸島事件の背景 中国から考えてみる       

 領海侵犯をした中国人船長が那覇地方検察庁によって処分保留のまま釈放となった。地検の独自判断だとの官房長官の説明を信じる人はおらず、事実上の指揮権発動と考えられる。この数日間で、中国が何を考えているか、中国リスクとは何なのかを、日本国民のほぼ全員が認識した。さらに中国が釈放された船長に対する謝罪と賠償を求めるにいたって、あまりの理不尽さにあきれ果てた。個々の中国人への反感は何もないが、普通に考えれば、これから脱中国シフトと日本の防衛力強化が進むと考える。世論は一様に筋の通らない日本政府の批判に向かっており、巡視船への体当たりビデオが公開されれば、政権は早晩退陣せざるを得ないと考える。今回の事件は、日本政府と日米安保を試しているという説を是認した上で、あまり指摘されていない幾つかの点につきコメントしたい。

 中国経済の動向
        為替レート  GNP    通貨供給量M2   外貨準備高   
  05年    8.19   22360億ドル  283012億元   8256億ドル
  06年    7.97   26580億ドル  345604億元  10726億ドル
  07年    7.61   33820億ドル  403442億元  15344億ドル
  08年   *6.95   43268億ドル  475167億元  19533億ドル  
  09年   *6.83   49093億ドル *610225億元  24259億ドル
  10年直近 *6.83             *649947億元  24733億ドル 
 
 まず第一は経済状況だ。中国の経済指標を観ると、ここ3年間、対ドル為替レートはほとんど変化していないことがわかる。ただドルの下落によりドル以外の通貨に対しては切り下げられている。ここには載せてないが、2009年の輸出、輸入は、リーマンショックもあり、それぞれ金額ベースで▲15.9%、▲11.3%(08年はそれぞれ17.3%増、18.3%増)となった。しかし通貨供給量M2は09年に3割も伸びている。住宅バブルは中心部の価格の伸びが止まれば波が波紋を広げるように収束過程に入る。世界経済の動向を考えれば、輸出先の景気が悪いので、中国の輸出がそれほど増えるはずがない。日本にとっての最大の為替の問題は、ドルではなく、ドルにリンクしている人民元に他ならない。増発された貨幣で、海外の不動産、株式、そして日本の国債を取得している。中国としての経済政策を考えても現在は通貨増発の出口戦略を模索する段階にあり、経済成長を抑えなければならない局面にある。しかし成長を抑えれば、不満は高まる。中国専門家のなかには、ここのところ強制立ち退きを原因とした焼身自殺が連日報道され、国民の不満は至るところで爆発寸前だったと分析する人が多い。このまま中国共産党第18回代表大会を迎えたくないと考えたグループが事件をエスカレートさせたのかもしれない。中国の反日運動は、いつも中国内部の権力闘争と結びついている。
 第二は沖縄の歴史に対する「迷惑な主張」にあると考える。日本では、沖縄の文化や歴史は、薩摩の征服から始まり、あまり教えられることなく明治維新後の琉球処分で終わってしまう。文化面から言えば明治以来、日本語のルーツがどこにあるのか論じられているが、韓国語、チベット方言、ビルマ語、タミール語など様々論じられても、いづれも同系であるとの決定的証拠は見つからず、唯一、沖縄語だけが同じ系統だと確認されている。また民俗学の研究によって、沖縄の宗教文化が仏教伝来前の日本の文化であることが明らかにされている。
 歴史について言えば、中国の共産党政権も台湾の政権も、「尖閣諸島に限らず、沖縄は本来、自国の領土」と主張してきたことはあまり世の中に知られてないようだ。それは14世紀以来の琉球王国の外交関係に遡る。沖縄本島では、12世紀頃より、国頭(くにがみ)、中頭(なかがみ)、島尻(しまじり)の3地域をそれぞれ豪族が支配をしてきた。14世紀半ばに明の太祖洪武帝が中国を統一すると朝貢が求められ、山北(さんほく)、中山(ちゅうざん)、山南(さんなん)と呼ばれ、3つの王号を与えられた。そして全体はそれまでは台湾を意味していた琉球と名付けられた。
 1429年に中山王国尚巴志王(しょうはしおう)が3国を統一すると、中山王国の王は代替わりごとに、明、清の皇帝に承認を求め、使者が琉球に派遣されるという朝貢関係にあった。1609年に薩摩の島津家久が3千の兵を送り、琉球王家を征服し、家康はそれを島津の領地と認めた。その後、うわべは独立国のように見せかけながら、島津が琉球王国の中国貿易を独占した。首里城の正殿は1階が日本式で、2階が中国式となっており、明、清の使節が来たときは2階で迎え、薩摩の使節が来たら1階で迎えたという。そして明治維新国民国家を成立させた日本は、1872年琉球王家の尚氏を藩王とし、1879年、琉球藩沖縄県とした。
 1912年国民国家として誕生した中華民国は、外国の君主が中国皇帝に朝貢して敬意を表し、中国の皇帝が外国の君主に地位の承認を与える関係を、「宗主国保護領の関係」と読み替えた。したがって過去に中国皇帝と外交関係にあった外国は全て中国領ということになる。尖閣諸島の領有権を初めて主張したのが1970年だろうとなんだろうと、もともと、沖縄は14世紀以来、明、清と朝貢関係にあったので、中国の領土であるというのが、中国の見方となっているようだ。この迷惑で一方的な考え方が、近年の軍事力の拡大とあいまって大きな災難を日本を含むアジアに呼び込んでいる。
 三点目は、日本について言えば、天安門事件の後、江沢民は若者が共産党に反抗することがないように愛国教育を実施し、「中国人民が軍国主義の残虐な日本に苦しんだときに、人民を開放したのが中国共産党であり、それゆえに共産党の指導に従わなければならない」と強調し、共産党支配の正統性の源泉を反日に求めたことが、若者たちの反日意識を育成することとなった。この問題に多くの日本人が気がついたのは04年重慶におけるサッカー試合だった。今でも共産党への幻滅が起こるたびに愛国運動を行い、日本への反日意識を想起させたいというメカニズムが働いてくるのではないか。
 中国は国としても、力は正義だと信じている上に、軍事力の行使を厭わない。だからプロの外交官が勧めるような「大人の対応」では、現実的な中国に対してあまり説得力があるようには思えない。特に大人しい日本に対しては中国国内の必要性がある限りは紛争をエスカレートさせてくるものと考える。