1972年1月の尖閣諸島 武藤貞一の大局観

 武藤貞一(1892-1983年)さんという戦前、戦中、戦後に活躍された評論家が80歳となる昭和47年(1972年)1月に書かれた所論を読んでいる。毛沢東1893年生まれなのでほぼ同世代だ。以下、その大局観に脱帽し、要旨を紹介したい。中国の活動の焦点の一つは、昔から沖縄にあったと考えてもよさそうである。
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 中国の日本解放スケジュール 
 中国ブームは藤山愛一郎に始まった。中共べったりだが、意外にも時勢にマッチして自民党造反派の頭目に担がれた。「北京マラソン」には、あとからあとから選手が出てきて、松村謙三の後継者三木武夫が先頭かと思ったが、大平正芳周恩来が目をつけた。周恩来は現実に政権を握る権力者を味方に取り込もうとしている。この「政権マラソン」と同時にもっと悪質の「賠償マラソン」が始まっている。東西財界の選手が北京詣でをしている。貿易増進が目的ではない。輸出が5億ドル、輸入が3億ドルの社会主義閉鎖経済では、計画に基づかないものは1品も買うはずもないし、対外輸出といっても輸出するだけの生産力がない。当時の日本はニクソン・ショックに産業界は打ちひしがれていた。巨額の賠償を要求されても、それはお金ではなくて物資・役務賠償として支払われた。日本の国庫から日本の産業界に支払われた。ここで中共の日本解放スケジュールを一覧表的に記してみよう。
(1)台湾無血横取り この謀略に手柄を上げたのは日本社会党公明党民社党だが野党なので適当に扱う。焦点は絶対多数の自民党
(2)尖閣諸島奪取 日本領土にあらずという根回しにこれから徐々に取り組む。日本のマスコミを先頭に立てる。北京詣でから帰った飛鳥田横浜市長は、日米石油資本が資源を独占するために尖閣諸島を中国に渡さないと宣伝しだした。尖閣は日本領であり、沖縄の一部であることを封じる謀略の前触れである。 
(3)沖縄の非武装中立地帯化 ただで日本に復帰させることはない。赤化の拠点として米国占領と入替わるのが中共の意図である。自衛隊の入島を妨害阻止すること。日本の親中派を総動員してあたる。名目は「基地も核も自衛隊もない平和な沖縄」だ。沖縄を実際上、日本から切り離し非武装中立地帯にするのが謀略の焦点。社会党は「沖縄軍事化決議案」を衆議院に提出した。
(4)日韓分断 韓国を切り離し、周四条件なるものが規定する「台湾」を韓国まで広げる。日本企業は台湾からの引上げと韓国からの引上げを迫られている。
(5)カイライ政権の樹立 自民党の親中政権を作らせ、中共の意のままに国交を樹立し、その後は用済みにして何らかの難題をぶつけて窮地に陥れる。その上で、社会党公明党等によるケレンスキー内閣を作らせる。このケレンスキー内閣を経過すれば終局の目的である「日本解放」はほとんど完成。
(6)四次防粉砕 四次防ができると憲法で永久化した武装解除体制が崩れる。日本を非武装の状態に置くことが日本解放に不可欠。日本の第五列(スパイ)をいっせいに活動させ「日本軍国主義復活」のプラカードを持たせている。
(7)安保廃棄・不戦条約 日米安保条約を廃棄させ、日本を丸ハダカにする。日本だけでなく、米国にも働きかける。近時、米国の一部に日本警戒論が出てきて日米安保を日本の再軍備を抑える道具とする考え方が出てきたのを周恩来は見逃さない。周が考え出したのが、中米ソ3国による対日不戦条約。3国による日本の共同管理の謀略。手先となってのが社会党公明党など。いくらお人好しでも見抜けないはずはない。
(8)内乱の激増と指揮 新左翼、過激派学生集団は「毛沢東党」である。そのゲリラ活動は中共の激励と指揮の下にある。武器援助を与え、武装蜂起、本格的内乱に移行するのは遠いことではない要所要所の焼き討ち、交通通信網の杜絶、ストの連発。本家の中国が革命を遂行するのに2千万人の人間が殺された。
 大約して以上のように進行させているのが現状ではないか。混乱して日本が賠償を履行するどころでなくなっても、直接上陸して欲する施設を保障占領すればよいと考えているのだろう。