古典はその国の言葉で読む  井筒先生ノート

 井筒俊彦(1914-1993年)先生は、ギリシャ語、アラビア語ヘブライ語、ロシア語など20か国語を習得・研究し、禅、密教ヒンドゥー教道教儒教ギリシア哲学、ユダヤ教、スコラ哲学などを横断する独自の哲学の構築を試みた世界的な大学者である。今回はアラビア語トルコ語の2つの言語に絞って彼の見方を要約した。
 彼には、語学の天才的能力があり、三十数カ国語を使いこなした。アラビア語を習い始めて1か月で『コーラン』を読破したという。若いころから「古典はその国の言葉で読む」という方針でやっていたという。
 「文明を興した言葉は、みな抵抗がある」というのが持論。「ヘブライ語ギリシア語、サンスクリットなどの中ではアラビア語が一番素晴らしい。それから見れば、英語、フランス語、ドイツ語のような近代的ヨーロッパ語は平凡で、言語的には、簡単すぎる。難しいという人の気持ちがわからない。現代語のうちでは、ロシア語はすこし抵抗があった。アラビア語だけは語彙が恐ろしく豊富で、しかもひとつ一つの語が多義的で流動的。文法は優しいが、実際にテクストが読めない。アラビア語は書いてないことを読まなければならない。」(司馬遼太郎対談集「九つの問答」より)
 今回、2009年10月に出た著作全集に未掲載の文書をまとめたエッセイ集「読むと書く」より、アラビア語トルコ語について井筒先生ノートを作成する。以前より、この2つの言語について両方を知る人の包括的な見方を知りたかった。ユーラシアの諸民族の歴史を考える上で、この2つの言語に関心があるからである。
1.アラビア語
 ムハンマドと回教の出現が、アラビア語の位置づけを決定的に高めた。イラクから北アフリカまでの原住民の言語を死滅させた。サラセン文化が花開くにつれて、学術、文芸の共通語となって、ペルシア語、トルコ語ウルドゥー語(ヒンドスターニー)等の語彙、文法、表現法に侵入してこれをアラビア語化した。トルコ語やイランの辞書からアラビア語を除くと半分が空欄になってしまう。回教徒たる以上、学者、知識人であるためには、国籍・民族を問わずアラビア語を自国語以上に完全に習得しなければならなかった。人口が増加している人々と交流する為には、回教を根底から理解しなければならないが、それは正確なアラビア語の知識なくしてあり得ない。アラビアには神話も、小説も、戯曲もない。あるのは抒情詩だけだが、これが素晴らしい。歴史は15世紀に出たイブン・ハルドゥーンを除いて批判精神に欠けていて、歴史の資料として扱えない。16世紀にトルコが回教世界の実権を握ると詩も散文も衰退した。ナポレオンのエジプト遠征以後、刺激を受けたが、西洋の影響が決定的になったのは、第二次大戦後のことであり、エジプトとシリアを中心に、詩人、小説家、評論家が輩出している。
2.トルコ語
 シベリアから中央アジアを経てバルカン半島に至る広大な領域でトルコ語が使われてきた。この民族の歴史と性格を究めることなしに過去の世界を論ずることが出来ない。偉人ケマル・パシャの大改革により新興イスラム世界の第一線に立っている。ウラル・アルタイ語として、モンゴル語ツングース語と親族関係にあるが、分離してから時間が経ち、10世紀の半ばからイスラム化し、文化的にも独特の発展をした。イスタンブール方言は表現、発音とも優美である。文法は論理的、規則的だ。ペルシャの影響を受けてトルコ文学が始めて興ったのは14−16世紀の半ば、19世紀初期までが第二期で古典的トルコ文学が発達した。ペルシャ語だけでなくてアラビア語の影響が大きくなった。1853−1856年のクリミヤ戦争は民族的覚醒を促し、新トルコ語運動があった。ケマル・アタチュルクは従来禁じられていたコーラントルコ語訳を断行し、礼拝にもトルコ語を用いることを命じ、トルコ語からアラビア語ペルシャ語要素を駆逐し、アラビア文字を廃し、ローマ字表記を採用した。