宗谷トンネルが拓く日本の新たな地平 第四の矢

    1.ソチでの首脳会談
    2.「引き分け」の意味
    3.宗谷トンネル
    4.日本の新たな地平 第四の矢

1.ソチでの首脳会談
 少し前のことになるが、ソチの冬季オリンピックの開会式に出席した安倍首相は、プーチン大統領と首脳会談に続けて非公式の昼食会を行ったという。
 そのことについて、香港の新聞が面白い見方を書いていた。「日中関係悪化の下での日露友好は見せかけ」だというのである。北方領土問題があり、過去の日露の戦争や冷戦時の東側陣営としてのロシアの冷酷なイメージがあるから、日本は親露になるはずないという。日中関係は無関係だろう。また2月23日の人民網日本語版も興味深かった。アベノミクスを分析し、輸出型経済である日本にとっては、中国市場こそ救命薬だというのである。そんな見方をしている日本人はほとんどいない。
 日露の交渉が順調に進んでいるのを中国は気にしているらしい。日露間の問題は大きくとも、その間が最も接近したといわれる1997年11月の「クラスノヤルスク合意」の時期と似た段階にあるのかもしれない。あれから16年以上の時が経って、その時点よりも様々な点で環境は整ってきているのかもしれない。
 ソチのオリンピック施設整備の有り様を見ていて、2012年に開かれたロシアAPECを思い出した。ウラジオストクで開かれた首脳会談は、ロシアがアジア太平洋の国でもあることを印象づけた。APECのために、会場となったルースキー島と本土の連絡橋が建設され、ウラジオストク空港の改修等が行われた。サミット準備のために50を超える施設が建設され、公共通信網が改修・整備された。ルースキー島の会場施設は、今は極東連邦大学の新キャンパスとして活用されている。
 東と西の両端で大きな国際行事を続けて開催したロシアはユーラシアの大国であることを改めて世界に印象づけた。
2.「引き分け」の意味
 安倍首相は政権が2012年12月に成立すると、すぐにプーチン大統領と電話し、北方領土問題の解決に向け平和条約締結への作業を活発化させることで一致したという。その辺の事情を、2013年の1月に本ブログでは「動き出したロシア外交」というテーマで取り上げた。現時点での考えを付け加えたい。
 今回のソチでも、安倍・プーチン会談の前に、森喜朗元首相が大統領と会ったという。2001年3月にプーチン大統領と「イルクーツク声明」を作り上げた時の首相が森さんだ。時に悪意ある報道に攻撃されるが、アフリカ、インドなどでも信頼されている。何よりも気遣いと面倒見が良く、プーチン大統領もそういう人柄なので気が合うらしい。
 日本政府は従来、4島の返還を求め、日本の主権が確認されれば、実際の返還時期や方法には柔軟に対応するとの立場だが、2013年1月のテレビ番組で、森さんの意見としては、択捉島を放棄し、国後、歯舞、色丹の「3島」返還で解決を図るべきだとした。まさに森さんの面目躍如たる発言だ。4島返還論について「ロシアがそんなに簡単に返すとは思えない。現実的にやれることをやる方がいい」と指摘し、プーチン大統領が「引き分け」との表現で日本側に譲歩を求めていることを踏まえ、日本の首相は積極的に応える必要があると強調していた。
 国際交渉において、難しいのは自国民の期待値の管理である。最終的にどうなるかはわからないが、日露双方の人的な配置と組み合わせ、双方の政治経済事情などからいって、再び北方領土問題は動き出したとみていた。
 昨年秋に、たまたまロシア関連の本を読む機会があり「引き分け」の意味が必ずしも島の数や返還面積の問題を言っているわけではないことに気が付いた。関連する全ての本を読んだわけではないが、「引き分け」は目的ではないからだ。ロシアにとって、ロシアの国益が交渉のベースになるからである。
 1997年11月の橋本・エリツィンの「クラスノヤルスク合意」に至る過程を調べる中で、面白い政治家の名前を見つけた。長年国会議員として活躍され、1989‐91年には海部内閣の外務大臣を務められた中山太郎先生だ。1924年8月生まれなので現在89歳のはずだ。お医者様で、ご両親も弟さんも国会議員だった。憲法改正や臓器移植の問題に詳しい人だった。
その中山先生が72歳の時に、1996年9月の日露修好40周年シンポジウムで提案された「アジア・エネルギー共同体構想」がクラスノヤルスク合意の大きな切っ掛けとなったと思えてならない。その安全保障、エネルギー・環境問題、国民の合意形成を踏まえたスケールの大きな構想力と行動力には本当に驚かされる。残念ながら実現しなかったが、「日本国内に列島縦断パイプラインを引き、シベリア・極東の天然ガス産地とパイプラインで結ぶ。アジア・エネルギー憲章を作り、それをアジア全域に拡大して、地域の安全保障の基礎とする」というその構想は、明らかに時代を先取りしたものだった。しかしコスト・プラス・利潤という規制に守られた日本のエネルギー業界ではその当時コストの引き下げをどう実現するかという意識がなく、この構想は実現しなかった。中山さんは、イルクーツク天然ガスを中国・朝鮮半島経由と、サハリン・北海道経由の2つのパイプラインを引くべきという意見だった。
 中山先生の提案から3か月後の1996年12月、その年、ロシアの駐日大使となったアレクサンドル・パノフ氏が自民党の外交部会の調査会で話した講演が、時間的には後先にはなるが、プーチン大統領のいう「引き分け」のイメージを最も明確に説明していると思う。パノフ駐日大使は、「領土問題は原則的には解決可能であること。ロシアの改革対する協力はモスクワとの関係で将来に向けた見通しを生むものと考えるべき」といい、その領土問題解決の7つの条件を述べたという。パノフ氏のコメントに目を付けたことは筋が悪くはないらしい。佐藤優氏によると、パノフ氏は、2001年3月の森・プーチンの「イルクーツク声明」を策定した際のロシア側責任者で、現在もロシアの対日政策に無視できない影響を与えているという。おそらくプーチンさんの知恵袋の一人なのだろう。モスクワ国際関係大学で日本史と日露関係を教えていたこともある専門家だ。
   「引き分け」の意味
 ①どちらか一方の勝利、敗北と受け止められないこと。 
 ②双方の国内が割れていて、世論の支持がない派閥同士が特定利益のために歩み寄るものではないこと
 ③両国にとって政治経済軍事などの国益になることをリーダーだけでなく国民が認めていること。
 ④冷戦時代の紋切型のイデオロギー観を全面的に早急に改めること
 ⑤軍事力の削減に向けて両国が国防政策を見直すこと
 ⑥貿易・経済・科学・技術における協力関係を拡大し深めること
 ⑦南クリル諸島(国後・択捉)のビザなし交流に続き貝殻島の昆布漁方式で漁業協定を締結し共同経済活動地域の検討を開始すること。
 そして交渉の順序として、まず、両国関係を発展させ「交流が日常生活に欠かせないもの」となり、新しい雰囲気を作り出すこと、次に平和条約の話し合いをすること、南クリルでの協力関係を発展させるという順序で日露関係の進展を行うべきというのがパノフ大使の意見だった。
 「両国の国益になり、それを両国の国民が認め、交流が日常生活に欠かせないものとなる」ために、何をすべきだろうか。ロシアはもう共産党一党独裁の国ではなく、資源ナショナリズムはあるが自由主義経済で動いていて、エネルギー資源に恵まれ、国土は広く、国民の教育水準は高く、日本経済と補い合うところも多い。お互いに相手の国の伝統的な文学をそれぞれの国民が実に良く読んでいるし、クラシックな音楽や芸術も盛んだ。ロシアの人々は総じて親日的だし、中国・韓国のように、タメにする反日教育をしていない。ロシア周辺の旧ソ連圏の国々に行けばもっと親日的だ。官僚制の煩雑さには辟易するだろうが、日本もその点では、社会主義的な国だった。プーチン大統領がいわれたように「日本とロシアは自然なパートナーであり,政治・経済等あらゆる分野での関係発展により難しい問題の解決のための良い環境ができている」という言葉には素直にうなづけるのである。この秋にはプーチン大統領の訪日が決まったという。大統領は,農業,鉄道,インフラ等の分野で、具体的プロジェクトを進めたいという。大統領の最終的な目的は、広大なロシアの極東地域やシベリア地域を開発し、そこに雇用と住民を生み出しロシアの経済基盤を強固にすることだ。
 既に日露の間では、サンクトペテルブルグウラジオストクへの自動車工場の設営などの事業が進んでいる。しかしそれは、世界中どこの国ともやっている。「両国の国益になり、それを両国の国民が認め、交流が日常生活に欠かせないものとなる」といった状況を作りだせる仕掛けは何なのか。
3.宗谷トンネル
 答えはプーチン大統領の過去の発言の中にあった。かつて日本と韓国を地下トンネルで結ぶ計画があることを紹介した際に「ロシアと日本を結ぶ鉄道トンネルを作る方が両国にプラスになる」とプーチン大統領が言ったという。宗谷岬とサハリンの最南端の岬の間の宗谷海峡の距離は43km、最深部の水深は70mである。サハリンと大陸との間の間宮海峡は距離は7.3km、最浅部は8mと冬の間は凍結して徒歩で横断することも可能だという。そこにトンネルや橋が建設され鉄道が整備されると、バイカル・アムール鉄道、シベリア鉄道を通じて日本はユーラシア大陸と一体になり、将来的には、東京発・モスクワ経由・ロンドン行の列車が走る状況がくれば、全く新しい日本とロシアの関係が生まれる。そのためにも平和条約を並行して交渉する必要があるというのが自分の考えだ。日韓トンネルの場合、九州と対馬の距離は132km、対馬と韓国は距離50km、最深部の水深は220mであり、物理的条件だけ考えてもその建設は難しい。
 ロシアの大都市はシベリア鉄道沿線にある。もし北海道とサハリンがシベリア鉄道がつながれば両国の国民の交流は日常的なものになりお互いに今まで以上に無関心ではいられない。さらに日本にとっては、ロシアの極東管区・シベリア管区の資源開発が身近なものとなる。モンゴル、カザフスタンといった中央アジアの国々、コーカサス諸国を経由してトルコやサウジアラビアといった中東の国々、ウクライナベラルーシを経由してヨーロッパ諸国と地続きになる。
 宗谷トンネルのプロジェクトのイメージはどのようなものになるのだろうか。最も参考になるのは、やはり英仏海峡トンネルではないだろうか。イギリスのフォークストン とフランスのカレーを結ぶトンネルの運営はユーロトンネル社が行っている。トンネル内を通過する列車は、ユーロスター、車運搬用シャトル列車と貨物列車である。海底中心部分で交差する直径7.6メートルのレールトンネル2本と、その真中にある4.8メートルのサービストンネルの3本のトンネルからなる。3本のトンネルをつなぐ連絡通路が各所に設けられる。2本のレールトンネルにはさらに列車の風圧を逃がすためのダクトが複数設けられている。トンネルを通過する列車を運行する会社は、ユーロトンネル社に対して線路使用料を支払う。線路使用料の額は、2008年以降は貨物列車1本あたりの平均で3,000ポンドまたは4,500ユーロだという。トンネルに着工してから4.5年で貫通。鉄道開業は更にそれから4年程かかり、建設費用は1.8兆円だった。おおむね20年前なので今ならば倍の3.6兆円だろうか。トンネルの距離が1割増しなので4兆円、間宮海峡の橋や周辺整備まで含めると5兆円のプロジェクトとなるとおいても良いかもしれない。  
 青函トンネル   全長 53.85    海底部長 23.3km 水深140m、海底からの深さ 100m
 英仏海峡トンネル 全長 50.5km    海底部長 37.9km  水深 60m 海底からの深さ 40m
 宗谷トンネル   全長 55km前後か  海底部長 43km   水深 70m 海底からの深さ N.A(地質次第)
 もちろん詳細は専門家が調査検討しなければわからない。地質によっては少し長めのルートなる場合もあるだろう。宗谷トンネルができれば、それを通してシベリア鉄道旭川、さらには苫小牧まで延伸するというのはどうだろうか。ロシアの規格に合わせて1520mmのレイルゲージの鉄道を引くのである。そしてそこで日本の規格の鉄道に載せ替えたり、船に載せ替えるのはどうだろう。日本では鉄道のレイルゲージが狭いために普及しなかった、トラクターから切り離したトレーラーを列車にそのまま積載するピギーバック輸送も、再び始まるだろう。韓国の釜山やウラジオストクを経由しないで荷物、コンテナ、台車をハンドリングし、更にロシアと共同で通関業務を行えば時間は短縮する。
 例えば、現在、極東からモスクワまで、スエズ運河を使って船を使い、ヨーロッパの主要港で積み替えると40日ほどかかるという。しかしシベリア・ランド・ブリッジ、今の言葉でいえばTSR(トランス・シベリア鉄道)ならば、ウラジオストクの港までの海路と通関で14日で、専用のブロックトレインで10−11日で計24-25日ほどだという。これを大幅に短縮できるのではないだろうか。
 また貨物の西行と東行のバランスを改善して、日本向けのロシア、ヨーロッパ、更には中央アジアの荷物をこれで運べば、コンテナを「空」で東行させる比率が低減できる。人口50万人弱のサハリンだけで考えると間宮海峡に架橋することすら経済的ではないという。大統領も含めて宗谷トンネルについてのロシア側の期待は大きいようだ。
 その上で決断してから8‐10年かかるトンネルの掘削に合わせて、シベリヤ鉄道の高速化と運賃引き下げを図るための新たな鉄道システムを両国の技術者で検討したらどうであろうか。高速化による時間短縮と低価格化は広大なロシアの経済を一体化する。速度の異なる列車が同じ線路上にあると、当前のことだが、その運用は難しくなる。新幹線やリニアの技術を踏まえてロシアの交通と物流を一新することが経済の活性化に資すると思えてならない。極東とモスクワの間の1万kmに10日かかるとすると時速40-50km、時速200kmならば2-3日である。また時速500kmのリニアモターカーは、日本よりも、国土が広大な米国やロシアにこそ、ふさわしい技術だと思えてならない。ボストンとニューヨークの間をリニアで結ぶ検討と同様に、モスクワとサンクトペテルブルグ間の検討があっても良いのではないだろうか。
 そうした技術と事業の上にベーリング海峡トンネルができれば、それが、ロシアと米国、カナダの文字通りの太平洋の懸け橋となる可能性がうまれてくるのではないだろうか。
4.日本の新たな地平 第四の矢
 宗谷トンネルがつくられ、間宮海峡に架橋されると、日本は、ロシアの極東、シベリアとつながり、ユーラシア大陸の国家の一つとなる。そうすると日本人の意識が変わるというのが、経済的な利益以上に大きい。イルクーツク周辺のモンゴルやブリヤートの人々と会えば、お互いの風貌が似ているので、驚く人々も多いだろう。シベリア鉄道が高速化されれば、鉄道沿線で、ロシアの人々だけでなく、モンゴルや、中央アジア、中東、ヨーロッパの人とも、もっと交流が盛んになるだろう。ちょっと敷居の高かったロシアの街が身近になり、人が集まる。その土地の風物・情報がわかれば、新たな産業機会を見つけ、ロシア語を学び、ロシアの法律を学ぶ、ロシアの人々とともに働く人も増えるだろう。
 ロシアの極東の経済市場は小さく、労働力も不足していた。物流の大動脈が整備されれば、季節の限られた北極海航路の整備開発よりも効果が大きいのではないだろうか。おそらく当初は、石油・ガス、石炭、海産物、金、ダイヤモンドに加えて、ウドカン銅山などの資源開発が進むのだろう。発電能力やインフラが整備されてくれば、精錬などの事業も立ち上がってくるだろう。
 世界は穏やかに見えてやや波乱含みな様相を呈している。シェール・ガスやシェール・オイルの生産が急増し、EU諸国はロシア・ガスの値下げを迫り、中国もロシアの石油を買いたたいている。天然ガスについては中国の新疆での生産が増大し、中央アジアからの輸入も大幅に増えている。ロシアは原油天然ガスの生産量で世界1位・2位を争う資源大国であり、国家歳入の50%を原油天然ガスに依存しており、また輸出比率では原油天然ガスが70%を占めている。原油価格や天然ガス価格が下落すれば、ロシアが苦境にたつだろう。しかし同時にロシアは教育水準が高い科学技術の国であり、難しい問題ほど解決するのが得意だと言われている。日本の技術や資本と組み合わせれば、新たな技術革新と産業を生み出せるかもしれない。
 シュンペーターは技術革新には5つの種類があるという。①新しい財貨の生産 ②新しい生産方法の導入 ③新しい販売先の開拓 ④新しい仕入先の獲得 ⑤新しい組織の実現
 宗谷トンネルをつくり、物流の大動脈が整備されれば、この5つの技術革新をそれぞれ実現する可能性がある。その意味ではこのプロジェクトは、アベノミクス第四の矢となる可能性を秘めている。むしろ、こうしたプロジェクトを実施するために、1日も早く北方領土の問題を解決し平和条約を結ぶべきだと思えてならない。