ソチとウクライナ

 黒海沿岸のソチでの冬季オリンピックが終わった。新たな多くの物語が生まれた。ウクライナの騒乱は、ロシアが冬季オリンピックで動けないうちに始めたのかもしれない。欧米各国は新たな政権への移行を後押ししているが、ロシアは当然否定的だろう。ヤヌコビッチ大統領はキエフから東部へ逃げ出したと報じられている。投獄されていたティモシェンコ元首相は22日、収容先の病院から釈放され、次期大統領選に立候補する考えを示したという。
 ウクライナ東西の対立は著しく、ここ10年、かろうじて統合を保っていたが、場合によっては分裂するかもしれない。日本のメディアは大丈夫だろうか。いかにも西側が正しいようにレーニン像を引き倒す姿やヤヌコビッチ大統領の豪華な別荘の映像を流し始めたが、ロシアも、ウクライナ共産主義とはとっくに関係がない。報じられ方が、ルーマニアチャウシェスク政権やフィリピンのマルコス政権が倒れたときのようだ。事実は明らかに異なるだろう。キエフバリケードは既にとかれ、街の機能は正常化しつつある映像も同時に流れ始めている。
 いずれにしても、すぐにウクライナへの資金援助ということになる。既にヨーロッパは、奉加帳を回し始めたようだが、今回の騒動に火をつけて歩いたNGO団体を支援した国々はどのように責任をとるのだろう。ウクライナの分裂の可能性を見極めなくてはならない。仮に分裂が避けられたとしても、次はロシアの黒海艦隊の本拠地セバストポリのあるクリミヤ半島では分離独立運動が再燃する可能性が高い。
 ウクライナの首都キエフは9世紀後半から12世紀にかけてキエフ公国の首都だった。そしてキエフ公国が12世紀にモスクワを建設したという歴史がある。1654年にウクライナはロシアと合同し、当時のポーランドリトアニアに対抗することとなった。そしてその300年祭を記念して、ロシア人が多く住むクリミヤ半島がウクライナの管轄になった。ソ連のフルシショフ時代である。管轄が変わっても当時は同じソ連なので、何の問題もなかった。
 この後、ソチでは3月7日から3月16日まで冬季パラリンピックが開かれる。その間ロシアは表立っては動くことはないのかもしれない。このところ黒海沿岸の地図を良く目にするようになったが、ソチの北側はすぐウクライナである。
 ロシアにとっては、バルト3国とベラルーシウクライナはヨーロッパへの出入り口だ。EU天然ガスの25%はロシアから提供され、その天然ガスの80%が、ウクライナを通過していたと思う。その意味でもロシアは今回慎重だと思う。ウクライナの扱い方を間違えると、ガスプロムの経営を左右する。ウクライナは、原子力発電が5割を占める国であり、石炭とウランはあるが、天然ガスはない。1986年に原発事故を起こしたチェルノブイリは、キエフの北100kmにある。