伊豆の地名と神々 谷川先生の考え方

 少し前になるが今年の8月24日に民俗学者谷川健一先生が亡くなられた。92歳だった。平凡社「太陽」の初代編集長だった。退職後、沖縄や宮古といった南西諸島をはじめ全国各地でフィールドワークを行い、日本の地名や、神社の祭神、旧家の伝承を総合することによって古事記日本書紀などの伝説や物語の解釈や古代学に新局面を拓かれた。
 彼の地名研究のダイジェスト版とでもいうべき「日本の地名」(岩波新書)の中から、伊豆に関連する記述を幾つか同書より抜粋引用する。
 全国80余ヶ所ある日和山の名称は鳥羽の日和山から始まるという。物資輸送を専門にした廻船業者が気象を観測した場所だという。伊豆下田の大浦、柿崎、石廊崎の長津呂、中木、妻良、子浦、岩地、大島の波浮などに日和山がある。
 伊豆の天城山は昔、狩野山といった。応神天皇5年に伊豆の国が命じられて作った船は枯野、あるいは軽野という。ともに、カラノ、カノとも読むようだ。天城湯ヶ島町には軽野神社がある。八丈島にはアウトリガー式の丸木舟があり、それをカンノと読むという。サンスクリットでは「ノー」が船を意味するという。もしかしたらカヌーとカノーは語源は同じかもしれない。
 クスの丸木舟は杉の丸木舟よりはるかに重く堅く、長年の使用にに耐えるという。クスノキを市区町村の木とする街はかなり多い。大阪15ヶ所を筆頭に愛知・福岡と続く。そういえば、いずれも歴史上、海運水運に縁が深い地域である。伊豆にはクスの大木が多くそれにちなむ地名と神社がある。タブの木もクスノキの仲間だそうだ。宇久須、大久須。熊野の那智大社の祭神は熊野夫須美命であり、これもクスノキをご神体とした熊野の神だという。「和名抄」には田方郡久寝(クスミ)郷、久豆弥(クツミ)神社がある。これに比定される場所は2説あるという。1説は伊東の葛見神社である。もう一つは、久寝郷を熱海に、久豆弥神社を熱海の来宮(木宮)神社に比定する考え方だ。それだけ来宮神社の影響力を大きく見る考え方だ。
 疑問もないわけではない。関東イワシ漁の初めの手石浦は、伊東の手石島近辺なのか、谷川先生の言うように南伊豆町の手石浦なのだろうか。個人的には、1588年に浄土真宗のお寺が開かれていることなどを論拠に、大日本水産史のように伊東の手石浦紀州雑賀の漁師がやってきたという説をとっている。  
 今年の夏は異常気象が連鎖していて、伊豆でも沖縄の魚として有名なグルクンの子魚が採れている。沖縄ではよく唐揚げにして食べられている魚だが、伊豆では珍しい。成魚は30㎝になるが、頭まで含めても10㎝位だろう。黒潮の関係でどの定置網にも20-30キロずつが入っていたという。「フィリピン沿海に始める黒潮の流れが、海の中の河のように、南から北に流れ、琉球弧や日本列島に、南方のさまざまな文物を運んできた・・・それは日本民族渡来の道でもあった」というのが谷川健一先生の考え方だった。
 1999年に書かれた「日本の神々」(岩波新書)という本は、谷川さんが国家神道神社神道と離れて、古風を残す民俗神や仏教の影響の少なかった奄美・沖縄の神々を手掛かりに、記紀以前の日本人の信仰の原型を探究した軌跡をまとめたものだ。その中には、伊豆の島々と神々についての記述があり、やはり、同書より抜粋引用する。
 古代人は国土が忽然と出現するのを神の仕業として畏敬した。・・・日本書紀には天武天皇13年(684年)10月14日に伊予や土佐などに大地震があり伊豆諸島の西北が二回にわたって三百余丈も隆起し、一つの島となった。鼓の音のようなものは、神がこの島を作るときの音響である。・・・伊豆諸島の神の名前がはじめてあらわれるのは「日本後紀逸文の天長9年(832年)5月22日の条まで待たねばならない。そこには伊豆国からの言上として三島神と伊古奈比竎のニ神が名神大社に列せられた。・・・ついで・・・御子神たちも誕生し、命名されていく・・・上津島(神津島)には(三島神の本后である)阿波神とその子である物忌奈乃命の二神が鎮座していた。この時の激烈な地異(神津島の周りの海中の野火・・火山噴火)におそれをなした朝廷はその2年後の承和7年(840年)10月14日に伊豆国での造島の霊験を理由に、それまで無位であった阿波神と物忌奈乃命の両神従五位下を授け・・・地方神でありながら、中央の宗教組織に組み入れられた。・・・
 式内社伊豆国に92座あるが、そのうち賀茂郡は半数の46座を占めている。・・・半数の23座が伊豆の島々に鎮座する。また三宅島は12座という多数を占めている。・・・三島神は三宅島から賀茂郡大社郷である白浜の地に移された。それが平安時代の末ごろ、田方郡伊豆国府の付近に移されたと見られる。それが現在の三島市に祀られている三島大社である。・・・古代人は自然の激烈な変動を神の仕業と見、そこから一つの神話空間作り出した。このように、谷川先生によって、伊豆の神話は、火山の噴火、御神火、御神明とともに生まれたことが明らかにされ、沖縄の神々とともに、日本人の信仰の原型を模索する手掛りとなっている。