東日本大震災を経験したあとの安全保障の議論

 今月の1日から5日間、防衛省は、午前9時18分にマグニチュード9.1の「南海トラフ巨大地震」が発生したとの想定で、15の府省庁、30の自治体、在日米軍も含めて3千人が参加した大規模な図上演習を実施したという。東海から九州までの7県で震度7の揺れが観測され、32万人が死亡、34万人が助けを求めているという想定らしい。年末までに具体的な行動計画を取りまとめるという。
 東日本大震災では2万人が亡くなり、40万人以上が避難したといわれている。そのとき自衛隊は災害出動に10万人が動員され、残りの人員が国土防衛の任務に就いた。日本が震災で混乱している中で、この時とばかりに、中国は日中中間線上の海底ガスの採掘を本格化させ、韓国は竹島の施設を増強した。中国は、自らの失政の責任転嫁をするために尖閣諸島や沖縄への領土的野心を露わにし、韓国は、歴史を直視することなく反日教育をベースとして政権基盤を固めようとしている。ならば自衛隊の規模・人数は今のままで良いはずがない。また首都圏での大地震や東海から南海にかけての三連動地震のような巨大地震が対応するためには、人口の集中度から言って、東日本大震災の2-3倍の人員の動員が必要ではないだろうか。その上に、米国は今後10年間に55兆円の軍事費を削減することを既に決めている。それにどう対応するのか、本当は党利党略を離れて、政治が論じなければならない。
 災害復旧本部で中央官庁から派遣された若手の官僚が、寝ないで仕事をしようとするのを叱りつけたのは、彼らよりも年若い自衛官だったという。十分な睡眠をとってこそ長丁場の非常時に対応できるからだ。そうしたことを日本の普通の教育課程や試験勉強では教えていない。選挙のために報道される政治家の経歴を見ていても、若いころから、選挙運動や市民運動労働組合運動に従事していたり、弁護士、学者、医者などのキャリアを積んだ人が多い。それはそれで大事なことだが、非常時に役立ったのは、集票能力やパーフォーマンス能力ではなく、本当のリーダーシップと本当のフォロワーシップだった。寝食をともにしながら組織を動かす経験と感覚だった。それは、福島原子力災害の時に現場に派遣されていた、あまり有名ではない友人の民主党の代議士の実感でもある。
 今ではあまり言われなくなったが、昔、学校で理想の国として教えられたのは、1815年に永世中立国として認められたスイスだった。スイスの人口は760万人。職業軍人の数は4千人と少ないが、スイスの国軍は、人口の5%にあたる38万人を予備役として平時から訓練し、有事の際は焦土作戦も辞さない毅然とした国家意思を表明している。本当は選挙の前に、そうしたことについての政策議論がほしかったと思っているのは、自分だけだろうか。