「竹島の日」の向こう側 韓国の歴史教育

1.2月22日は竹島の日 
 森元総理はロシアに行かれ、安倍首相は日米首脳会談のためにワシントンに向かわれた。中国の習近平氏が、3月の全人代終了後、ロシアを訪問することが発表された。日米首脳会談では「北朝鮮問題を最優先」に議論するとのことだが、北朝鮮問題と尖閣問題で強い連携が打ち出されるだろう。25日の韓国の次期大統領の就任式には麻生副総理が行かれる。「竹島の日」の島根県主催の式典に政務官を派遣することになった。日本は「竹島は日本の固有の領土だ」という見解を変えているわけではないのだから当然だが、韓国外務省の報道官は対抗措置をとるという。
 報道によれば、竹島の日の式典には、国会議員は自民党細田博之幹事長代行を含む18人を出席するという。細田さんは島根県選出の国会議員で自民党幹事長代行だ。もし竹島問題の本当のハンドリングができるとしたら、細田さんはその数少ない人の一人ではないだろうか。現在の沖縄政策は彼が数年前に描いた設計図によって動いているように見える。
 竹島は、事実としては、1952年1月18日に米国等の国際的な反対を押し切り、韓国によって不法占拠された。同時に、李承晩ラインが一方的に設定された。サンフランシスコ講和条約は調印されてはいたが、まだ発効していなかった。それは、領土や資源の獲得という面もあるが、何よりも、韓国国内の不満をそらし李承晩政権が延命するための方策だった。竹島占拠自体が反日感情をあおるための手段だった。だから韓国側の歴史の清算なくして、この問題は解決しない。ところがそのこと自体がまた、感情的な軋轢を生む。
2.韓国の歴史教育
 ほとんどの日本人は過去に何度も行なわれた安易な謝罪と和解は何ももたらさなかったことを覚えている。韓国にとっては歴史的事実はどうでもよく、日本人を謝らせること自体が目的だという尊敬すべき半島問題の専門家がいる。多くを知れば知るほど、彼の意見が正しいと思えてくる。多くの日本人は、李明博大統領の言動に驚いている。就任時点と昨年夏そして最近の言動の差は全く理解できない。
 中国人の反日感情と同様に、韓国人の反日感情は作られたものである。その歴史は李承晩時代に始まった。それは小中高校の授業を通じて教えられている。端的なのは歴史教育である。例えば、第二次世界大戦、即ち、太平洋戦争を例にとる。大東亜戦争と呼ばれてないのは仕方ないとしても、「日本軍は韓国軍と戦って負けた」ことになっている。そして「韓国軍は連合国の一員だった」という。そして1945年8月15日に「わが民族は日帝の支配から解放されて光復を迎えた」と高校の教科書に載っている。実際に韓国が米国軍政から独立したのはその3年後のことである。
 一般に韓国の歴史教育の全体像には、次のような特徴があるようだ。呉善花さんのコメントを箇条書きにしてみた。(黄文雄呉善花、石平「帰化日本人」李白社2008より作成) 
 ①民族文化の優秀性を強調するために他民族をけなす記述が多い。特に日本人は文化的に自分たちより劣等だと一貫して記述されている。
 ②中国との関係では、朝鮮半島諸国が中国を宗主国としてそれに服属していたことを教えられていない。モンゴル帝国に侵略され支配されたことも教えていない。
 ③4世紀から7世紀に百済新羅高句麗には高度な文化が栄えていたのに対し、日本は文化のない野蛮な国だったこと、日本に高度な文化を伝えたのは韓国であるという記述に終始している。
 ④豊臣秀吉は、その恩を忘れて韓国を侵略し国土を荒廃させた。
 ⑤近代においては、帝国主義的な支配を狙って侵略を開始し、武断的、暴力的、収奪的な統治を行なった。 
 ⑥歴史的な英雄は、いずれも李朝時代の人物でハングルを創始した世宗(セジョン、1397-1450年)、韓国朱子学を大成した李退渓(イテグ、1501-1570年)、水軍で有名な李舜臣(イスンシン1545-1598年)将軍である。
 ⑦反国家的人物の筆頭は日韓併合条約の時の総理大臣である李完用(イワニヨン)だという。
 ⑧総じて韓国は平和主義を貫いたが、それだけに数々の受難にあってきた、恨(ハン)の歴史だったと主張する。
 恨とは何かを達成できなかった時、激しく恨んだり、自らの不幸を嘆く気持ち。自然災害でも、自然を恨み、神を恨み、自らの不幸を嘆く。事態を受け入れることなくあくまで抵抗する。その恨みをバネにして生きていくのが人間だという考え方だ。
 こうした歴史教育が固まり、教えられ始められたのが李承晩時代である。もう戦前の実態を現実に知っている人はほとんどいない。過去の日韓併合時代の日本人の所業は、過去の事実とは無関係に、年々、極悪非道になっていく。