幻のジャカルタ演説を読んで

 所信表明演説が行なわれた。内容はこの1ヶ月に内閣が固めてきた経済中心の演説だった。
 思えば、この政権は、多くの批判をされながら、3本の矢による経済の強化を訴えてきた。日銀はようやく金融緩和のスタンスに舵をきった。円は値戻しし、久方ぶりに1ドル91円を記録し、一時的に日経平均は11千円を超えた。多くのエコノミストとメディアは批判していたが、浜田先生だけでなく、クルーグマンスティグリッツファーガソンが支持する経済政策であることが明らかになって無知蒙昧と批判できなくなった。多くのエコノミストの言葉はCoolではあってもWarm Heartではなかった。
 アルジェリアの人質事件や国内で多くの痛ましい事件が起きてはいるものの、何より世の中が明るくなったと思う。今まで新聞やテレビニュースに接するたびに腹の立つことが多かったが、政権運営に心地よいスピード感と安定感があると思う。
 あれほど暴走行為や危険運転だと批判していた人たちが、今度は「安全運転すぎる」と言い出した。勝手なものだ。今週末、総理は沖縄に行かれるという。飛ばしすぎて、お体も心配だが、ぜひ沖縄本島だけでなく、与那国島石垣島に行かれる時間があれば良いと念願している。
 思うところあって、1月18日にジャカルタで行う予定だった演説原稿を読んだ。「開かれた、海の恵み ―日本外交の新たな5原則―」という題の演説である。まず題名の素晴らしさに驚いた。
 インドネシアはおよそ18千ほどの大小の島々からなる海洋国家である。島数は資料によって異なるので正確には分からない。その国で「5原則」というと、「パンチャシラ」を思うのではないか。数十年ぶりにそんなことを思い出した。サンスクリット語で「五つの徳の実践」の意味だそうだ。インドネシアの政治経済の本を読むと最初に出てくる国是として憲法で定められた5つの原則である。1945年憲法の制定に先立って1945年6月1日、日本軍政末期に開かれた独立準備調査会で、スカルノが発表した5原則がその前身だと習った。
 以下に、その内容をメモしたが、是非原文を多くの人に読んでいただきたい。文章に心と歌がある。ブータン国王陛下の国会における演説を思い出した。今回の歴訪に外交的意図があることは承知はしているが、それと同時に感謝の旅でもあったと実感した。そして、やむを得ないことだったが、この演説を是非インドネシアの人々に直接お伝えしたかったとも考える。
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「開かれた、海の恵み ―日本外交の新たな5原則―」 
1.国益における万古不易
 アジアの海の自由と平和、法の支配が重要だ。
 2015年に予定されているASEANの発展(経済統合)。インドネシアには世界有数の幅と奥行きをもった中間層が育っている。 
 繁栄と、体制の進化をふたつながら成し遂げた、美しい達成は人類史の模範である。
II 未来をつくる5原則とは
 第一に、思想、表現、言論の自由――人類が獲得した普遍的価値
 第二に、海は、力によってでなく、法と、ルールの支配するところ
 第三に、日本外交は、自由でオープンな、互いに結び合った経済
 第四に、文化のつながり
 第五が、未来をになう世代の交流
 36年前、当時の福田赳夫総理は、ASEANに3つの約束をしました。日本は軍事大国にならない。ASEANと、「心と心の触れ合う」関係をつくる。そして日本とASEANは、対等なパートナーになるという、3つの原則です。
III 日本を強くする
 わたくしにとって最も大切な課題とは、日本経済をもういちど、力強い成長の道に乗せること。伸びゆくASEANと結びつき、海という海に向け、自らをもっと開放することは、欠かすことのできない。日本には、資本、技術、社会の高齢化という点で歴史の先端を行く国ならではの経験、不況が続き千年に一度の災害に見舞われ多くの犠牲を生んだにもかかわらず社会の安定。日本女性のことですが、わたくしはこれらのポテンシャルを一気に開放し、日本を活力に満ちた、未来を信じる人々の住む国にしたい。日本人には「自信」がかけていた。だからといって悲観しない。それをなおしてくれる人があり、歌があるからです。
IV インドネシアにTerima kasih(「ありがとう」のインドネシア語
 インドネシアの人々は、日本人にたくさんの自信と、勇気を与えてくれました。兵庫県の病院で働くインドネシア人の女性がいます。被災地の、家屋の半分が流され、500人以上の人が命を落とした町の避難所にはいり、不思議な能力を発揮しました。「大丈夫です。これからみなさん、ピカピカの未来がくるので、一緒にがんばりましょう」それが避難所を去るときの、彼女のあいさつでした。
Wahai sakura,(ワハイ、サクラ)mekarlah.(メカルラー)
mekarlah dengan penuh bangga,(メカルラー、ドゥンガン、プヌー、バンガ)
di seluruh pelosok Jepang.(ディ、スルルー、プロソック、ジパン)
Mari Jepang,(マリ、ジパン)bangkitlah.(バンキットラー
bangkitlah, dengan percaya diri,(バンキットラードゥンガン、ペルチャヤ、ディリ)
di dunia ini.(ディ、ドゥニア、イニ)
 この歌は、歌詞がもともと日本語なのです。「桜よ」という、歌の一節です。「桜よ、咲き誇れ、日本の真ん中で咲き誇れ」「日本よ、咲き誇れ、世界の真ん中で咲き誇れ」と、歌ってくれています。ジャカルタに、大学生たちによる、日本語でミュージカルを見せる「エン塾」という劇団があり、5月1日、30を超す大学から500人の学生がつどい、すばらしい合唱をしてくれました。
 みなさんが好きだという日本の歌、五輪真弓の歌がいう、「心の友」です。そのことを改めて教えてくれました。Terima kasih(テリマ・カシ ありがとう)。
V JENESYS 2.0を始める
 わたくしは、20年、30年先のインドネシアを担う世代の人々、ASEANの将来を引っ張る若者たちに、日本を訪れてほしいと思います。ASEANや、アジアの若者をお招きするプログラムを拡充し、強化することにしました。
VI アジアの海よ平安なれ
 40年前、日本がASEANとパートナーになったころ、インドネシアの経済がこれほど伸びると想像した人が果たしていたでしょうか。インドネシア経済は、10階建のビル程度の高さだったものが、スメル山の高さにまで伸びたことがわかります。日本人にとって、スメル山とは、須弥山(しゅみせん)と称し、世界の中心にそびえる山を意味しました。
 わたくしはまた、アチェ津波が襲って以来の、みなさまの達成を、人類史が特筆すべきチャプターだと考えます。それは、復興と、和解、ひいては国全体の穏やかな民主化を、ともに達成した偉大な足跡でした。わたくしは、インドネシアの隣人であることを、誇りに思います。
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 もちろん有能なスピーチライターが付いているだろうことは承知しているが、久方ぶりに、「雄弁」という言葉を思い出した。沖縄では、是非、多くの沖縄の人々にお考えになっていることを直接訴えてほしいと願っている。