TPPとグローバル・スタンダードの正体 

 数日前に、経済学者で国内では高名な大学教授がTPPへ参加すべきと論じている新聞への寄稿を読んだ。ただその理由が実にお粗末だった。自由貿易を支持していること、韓国がそれで上手くいっていることを理由に挙げていた。正気だろうか。
 今月米国のある投資銀行は世界各国の経済の中長期潜在成長力を表す指標で韓国を高く評価した。いろいろな指標から考えて、世界で3本の指に入る可能性のある国だという。しかし、つい1ヶ月前に その会社の実業部門は、韓国の資産運用事業から撤退するという計画が明らかになった。ドイツや米国の他の資産運会社も同じように韓国の資産売却を進めているという。辻褄が合わないのである。あと10年経ったら、未完の大国だったとでもいうのだろうか。
 TPPに入るべきか入らざるべきかと大声で議論している人たちが大勢いる。しかし彼らが何を言わんとしているのか、時間がたっても一向に理解できないし、得心が行かない。
 たいていの場合、自分はすごく単純な教えの方が分厚い解説書より優れていると思っている。それは、西欧でも、どんな社会でも新入りの成功を旧来の勢力は喜ばないという原則が働いているということではないだろうか。だから新入りが新しい学校に転校したり、異国の地で商売をするときに、主張することはいつでも誰でも同じだ。
 ①仲間に入れてくれ
 ②差別しないでくれ
 ③公平にやってほしい
 ④入れてくれない理由を教えてくれ
 ⑤その基準は何か、
と言い、続いて、
 ⑥その基準はおかしい
 ⑦もっと高い基準がある
 ⑧例えば、公平・平等・機会均等・自由・民主・進歩・人権等々
 ⑨この地域だけで別と言うローカルスタンダードはを作ることは良くない
と主張するのがグローバルスタンダードの正体である。日下公人先生の「道徳と言う土なくして経済の花は咲かず」という本に出てくる解説である。
 だから、TPPが出てくるたびに、頭の中で「仲間に入れて(門戸解放)」と読み変えることにしている。国内をみてみると、保護をうけていると自分で思っている人たちがTPP反対を主張している。なかには、そうした保護をやめて新たに産業革新をする必要がある業界もあるだろう。一つの国として考えれば保護が必要な産業もある。自然条件や資源の有無、すごし易い社会のあり方も違う。親子兄弟だって、困った時にいつでも無条件に助けてくれるわけではない。農業だけが問題になっているが、実際には医療制度や、金融関連、防衛産業が問題になるのかもしれない。
 言い争いになれば、最後は人数の多い国や弁が立つ国や腕力や実力がモノをいう。だから弁護士の語学力や人数、自立した防衛力の強さと独立性も必要だ。「国際町内会費」は1%では足りないのかもしれない。「郷に入れば郷に従う、契約書などなくても約束は守られる、常識から考えれば・・・」という普通の社会とはちょっと異なる考え方をもっている国や人々が主張している制度なのではないか。そんな人々とも折り合いをつける覚悟も必要だ。カナダやメキシコ、韓国の事例研究が必要である。
 ただハッキリしていることは、権力が集中していて、ある日突然、その土地は俺のものだと言い出す国よりは、遥かにましなことである。