内外情勢 2012年11月

(1)もはや政権の体をなしてはいない民主党内閣
 田中文部科学大臣は「大学設置・学校法人審議会」が2013年度の開校を認可した大学3校について、認めないとした。文部省は3校に問題はないが、3校は来春の開校ができないという。変な話だ。短大の4年制へのシフト、看護系大学の新設など、地域の人々や関係者が何年も準備してきた案件だろう。本当に同情する。もう校舎と先生の準備と学生募集が事実上始まっているはずだ。
 大臣の言う、一般的な意味での学力の低下、就職環境の悪さは認める。明らかに変な大学が数校あることも承知している。それを問題にしたのはわかるが、この3校のことではない。小中高の学力低下の管理責任はむしろ文部省にあり、雇用確保の責任は、政府と日銀にある。
 彼女が、目立ちたいだけの、行政能力がない人物であることは周知の事実だった。傑出した首相の娘であることが売り物だった。組織の運営などできるはずのない人だ。よく任命責任というけれど、任命した人の能力が問題視されるべき稀な事案だと思う。直ちに文部大臣を解任すべきだが、首相の優柔不断さと政権延命への執着が、被害を拡大しそうだ。
 既に内閣改造で任命された法務大臣暴力団との関係を指摘されて交代した。前原国家戦略大臣も、不適正な事務所費の支払いと流用疑惑のゆえに結局は辞めなければならないだろう。
 そんな人事問題に関係なく、この内閣は、府県、市町村に対しても11月の地方交付税を予定通り交付できなかったことをもって早急に総辞職すべきというのが自分の見方である。国民生活を人質にして、野党の妥協を引き出し、政権を延命しようとしている。おそらく、野党の分裂を産み出すための法案を出してくるだろう。
 自民党は、国民生活への影響を気にして、太陽政策に転じたようだ。たとえ甘いといわれても特例公債の問題が国民生活に与える影響が大きいことを知っているからだ。しかしこのままでは、優柔不断な内閣の悪政が続く。
(2)第三極の集散 竹中路線ではまとまらない
 第三極の連携がはかばかしく進んでいない。道州制の推進にポイントを置く維新の会、国家主権の確立にポイントを置く石原新党行政改革にポイントを置くみんなの党という組合せは、悪くない組合せだと考えていた。
 維新の会は、道州制を実現するために、候補者が未定のまま、全国300選挙区に候補者を立てるとし選挙費用を自弁できるjことを条件に候補者を集め始めた。道州制を実現するためには、国政を変えなければできないからだ。国政を担当とする政党には、外交政策が必要と周りの人に忠告され、橋下市長の外交に関する発言が増えた。その発言は大枠では保守的なものだった。
 橋下氏の魅力のひとつは政策の柔軟性と発信力、ブレーンの活用能力とインプットしたことを自分の頭で考える能力だ。小泉政権の時に郵政民営化を推進した竹中教授をブレーンに置いたのだろう。国政の指導教官として最適だと考えたのかもしれない。
 しかし竹中氏の経済政策は米国流であり、時に米国の利害の代理人だと理解されてきた。外交安全保障は米国に追従するという考え方の持ち主だと考えられる。行政改革派ではあっても、歴史認識には疎いタイプだ。維新の会は政党となる条件を満たすために5人の世間的には無名の国会議員の入党を認めた。その顔ぶれと発言をみて、国民の維新の会に対する支持率が下がった。
 ここで神風が吹いた。80歳の石原都知事が辞職して、「自分は途中で死んでもかまわない。みんなで一緒にやろう。維新の会と連携したい」といった。それによって、第三極にまた追い風が吹き始めた。それぞれの主張の強いところだけ組合せると強力な政党ができる。第三極の連携ができれば大きな風が吹く。
 外から眺めている限りの分析だが、現時点では問題が幾つかあるようだ。それは竹中教授の考え方に、橋下市長がどれだけ影響を受けているか次第だと思われる。石原新党は、小泉政権時代に郵政民営化と竹中教授のすすめた路線に異議を唱えて自民党を離れた人たちの集合だからである。
 だから竹中氏を中核ブレーンとする限りは、彼らと維新の会は連携はスムーズにはできない。第三極の連携ができなければ風は起きず、石原新党なくしては、大きな起爆力にはならないとみる。橋下氏の器量が問われている。
 もう一つの問題は東京都知事の候補者として誰を推すのかという問題である。石原氏が4期目に都知事にでたのも、前宮崎県知事を都知事にはできないという考えだと推測している。彼では関東圏の知事がまとまらないと思う。東京都には石原氏の推す猪瀬副知事か、大臣経験と行政能力からいって舛添要一氏かの選択だというのが自分の現時点での見方である。11月の半ばには候補も出揃うのだろう。
 舛添さんのWEBには「過剰なナショナリズムを煽ることなく、ダイナミックな経済成長戦略を展開できるような中道リベラルの結集をはかりたい。政治は弱い者のためにあるのであって、弱肉強食の論理がまかりとおるようでは、日本は世界に誇れる社会を実現することはできないであろう。私たちが、日本に生まれてよかった、日本人でよかったと世界に向かって言うことのできるような素晴らしい国にする、そのために引き続き努力したい。第三極政党の協力については、まだ克服すべき問題が山積しています。多くの方から問い合わせのある都知事選挙出馬については、何も考えていません。」と書いてあった。
 小党で苦労をされて一段と魅力的になったと感じるのは自分だけではないと思う。それは石原新党に衣替えとなった平沼さんたちのグループ全員に感じる魅力でもある。
(3)ナイ教授の尖閣諸島問題解決法への疑問
 1日の静岡新聞にハーバート大のジョセフ・ナイ教授が「尖閣諸島問題の解決法」というテーマで寄稿している。ヨーロッパと比べてアジアでは団結の動きがないことが問題だとして、慎重な言葉遣いながら、尖閣諸島は棚上げしたにもかかわらず、都知事が大衆的な国粋主義と反中国感情を刺激している疑惑があったため反日暴動が起きたとしている。米国が日米安全保障条約の適用うける地域と宣言したことによって国家間での軍事的な衝突が起きる可能性が低くなり、東アジアの繁栄に対するダメージが防がれたという。
 中国が、漁船体当たり事件とその後の経済的報復によって、日本の民主党の親中政策を逆転させたのは失敗だったと説く。再び日中間にホットラインを設け、日中資源の共同開発の枠組みを復活させるべきというのが彼の意見である。
 賢い人の言い方だと思うが、石原都知事尖閣諸島の買取を宣言する前から中国の侵略は始まっていた。3月の時点で中国の国家海洋局の大型最新鋭の海洋監視船が、海上保安庁の巡視船の警告に対し「尖閣諸島魚釣島を含むその他の島は中国の領土だ」と主張し日本側に退去を要求したと報じられていた。
 中国軍の現役の将軍が、沖縄は日本の領土ではなく中国の領土だ、少なくとも独立させるべきだと主張していること、中国が武力行使をためらわないハードパワーの国であること、力の裏づけなしに日中資源共同開発のフレームなど機能しないことがわかっているというのが、日本が、今、経験していることなのである。
 石原都知事のグループにしたところで、右派だといっても、軍国主義の人も、他国に攻め入ろうなどと考えている人は誰もいない。自分の国の領土、国民を自分の手で守りたいと主張しているだけなのである。普通の国の基準で考えれば中道保守といったところでしかない。
(4)中国・韓国に対する考え方
 京都大学中西輝政先生によれば、中国で反日デモと賃上げストが合流したのをみると、満州事変が起きる前の「日支協調」が定着していた1920〜1930年代の中国で起きた現象と同じだという。当時は中国の紡績企業が、同業のライバルの日本企業に反日デモや従業員のストライキを仕掛けていたことが最近わかってきたという。過激化する反日デモに対して当時の租界警察が発砲して事件が拡大したのである。こうした反日の嵐が、満州事変や日中戦争の大きな背景だったという。
 「日本の侵略に全ての原因があった」とする戦後の自虐史観の教科書が採用された学校を出たほとんどの日本人は、こうした歴史的事実が教えられてこなかったので、判断を誤るのだろう。自分が比較植民地学という学問が必要だと思う理由もそこにある。
 温和な加瀬英明先生にして最新のメールマガジンにこう書かれている。「中国の訒小平時代に入ってからの目覚ましい経済発展は、日本国民の巨額にのぼる血税が支えた経済協力によったものだった。・・・日中関係は、キリスト教徒とイスラム教徒との間の不毛な対立と酷似している。・・・韓国も中華文化圏に組み込まれているから同じことだ。イスラムキリスト教圏間の不毛の対立を、日中関係にそのまま、あてはめることができる。・・・中国と韓国人は日本に対して抜きがたい優越感と、癒しがたい劣等感を合わせ持っている。私たちの日常の場でも、過剰な優越感か、深い劣等感をいだいている者と、交際することは難しい。」
 事実上更迭された前駐中国大使のものの見方は就任の前から変だったことが、最近ようやく報じられ始めた。「将来は大中華圏の時代が到来する。日本は中国の属国として生きていけば良い。それが日本が幸福かつ安全に生きる道だ」というのが持論だったいう。そんな人を大使に選ぶ政治家がロクデモナイこと論ずるまでもない。