内外情勢 2012年6月

1.国内 民主党の「消滅」
 旧聞に属するが、6月の初めに、問責された2閣僚の更迭を含む内閣改造が行われ、防衛大臣には民主党に厳しかった森本さんが任じられた。防衛大、防衛省、外務省の出身といっても温厚な人柄とバランス感覚で国民に親しまれている方だ。正直に言って、この内閣の寿命はそう長くはないと考えるが、これでいつ総選挙があっても、日本の安全保障に影響はない。沖縄問題にも詳しい。2010年に海竜社から出された「普天間の謎―基地返還問題迷走15年の総て」は沖縄や民主党の人たちにもぜひ読んでいただきたいと願っていた。
 6月も半ばになって消費税と社会保障について民主党自民党公明党の合意がなされたことが報じられたが、よく新聞を読んでみると、社会保障の議論は先送りされ、増税については合意がなされたとのことだ。
 4月以降にあったことの全体を振り返れば、現役の外務大臣が中国の軍拡に対抗して防衛費の増額を口にし、防衛大臣の森本さんは長年、自民党の政治家に対しアドバイスしてきた方だと自民党の幹事長も認めている。社会保障政策は棚上げされ、大飯原発の再稼働は決まった。結局のところ、政策的な意味での民主党は、事実上、消滅した。次の選挙が来ればそのことはもっと明確になるのだろう。どんなに民主党が選挙を嫌がっても来年の7月には参議院の選挙があり、衆議院は、同時になるか、それより前かの違いがあっても選挙となることが決まっている。
 19日で大阪の橋下市長が就任して半年が過ぎた。毎日新聞によれば、市長選で掲げた具体的な公約62項目のうち、45%の28項目では政策実現の道筋がついたという。スピードを重視し改革を次々実行している。未着手は11項目で、具体的な方向性が定まっていないが検討中のものが23項目だという。市議会において大阪維新の会33人は過半数に達しておらず、公明党19人との協力が政策実現の鍵になっているという。選挙が延ばされて衆参同時選挙が来年の7月になると、多くの公約が片付き、本人自身の転出が可能になるのではないだろうか。選挙の専門家は、大阪維新の会の影響力の分析に忙しい。台風の目になることは確実だというが、既に政治スケジュールはそれを先取りして動いている。このままいけば、9月には民主党自民党選挙対策用に看板を掛けかえるのかもしれない。
 今月になって腹が立つ報道が2つあった。1つは、西村真悟さんが書いている。陸上自衛隊がレンジャー訓練を終えて駐屯地に帰る際の行進が、それに反対する変な人たちの視点から報道されたことである。自分もこのニュースを見ていて、申し訳なくて涙が出てきた。レンジャー訓練は3ヶ月の過酷な訓練であり、それを自衛隊が全国の連隊でやっていたからこそ、東日本大震災における救援活動で人命が助けられたのだ。訓練終了前の数日間は、食糧と睡眠をとらずに山岳地帯を行軍させて、落後しなかった隊員だけが基地まで行軍できるという栄誉を与えられるという。つまり、市中の行進は彼らにとって誇り高き凱旋行進なのだ。そんな若者に出会ったならば、自分の子供ではなくとも、拍手で応援するのが当然だ。彼らは冷笑を浴びながら誇りをもって行軍していたと思うとまた泣けてきた。50を過ぎて涙腺が緩んできた。
 もう一つは白熱電球の生産縮小の指導である。どこの何様なのだろう。その指導は文書で出ているのだろうか。選択の自由はどこへ行ったのか。日本で作らなくとも、海外から輸入されるし、まだ価格差も大きい。ようやく太陽光発電の買取値段が不当に高いと雑誌に書かれるようになったが、このごろ経済産業省もどうかしてる。もしかしたら、その上にいるバカな人たちの指示なのかもしれないが、外からはわからない。
2.海外 エジプトのクーデターの行方
 シリアは内戦状態になった。エジプトの大統領選挙では、ムスリム同胞団のモルシ氏が勝ったものの、大統領の権限は最高評議会の憲法宣言で劇的に縮小されてしまった。クーデターとみても良いのかもしれない。国内政策と外交、そして憲法起草過程について最終的な判断が軍と裁判所に委ねられているという。軍部は、自分たちが国家の安定を守っているのだと主張し、他方はそれは民主主義ではないという。立法権は最高評議会に移ったが、新大統領には閣僚任命権と法案への拒否権があると一方は言い、他方の議員は、その憲法宣言と闘うことを表明している。現状は国民の選択に反するものだし、国民には自分たちの憲法を作る権利があるという。エジプトはどこへ行くのだろう。
 多くのイスラム学者が、イスラムが平和の宗教であるという。そうなのかもしれない。ただジハードによって異教徒を征服し世界をイスラム化すべきことも説いている。多くの矛盾した内容をふくんでいるため、コーランは、いかようにも引用できるという。
 果たしてイスラム圏での民主化は可能なのだろうか。神と政治を分離できるのだろうか。北アフリカから中央アジアに至るまで民主主義国は一つもない。長期的な絶対王制や独裁体制は腐敗しやすい。かと言って民主化すれば、原理主義政権が出現する可能性が高くなる。政治的な混乱を嫌うのは、どこの国の軍隊も同じであり、軍事的要素を引き算すれば近代的官僚組織であり、存外、実力主義であり、教育組織でもある。今も60年前のナセル革命の時も、政治的な勢力としては軍とイスラム教組織しかないという。それが時に同調し、対立し、破局する。軍政を一概に悪とは決めつけきれない地域が少なくないと思う。むしろ政治分析の枠組みの研究が必要なのかもしれない。貧富の差、腐敗の程度、学校組織の在り様など社会全体の分析が必要になってくる。そうなるとメディアも「その場感覚」だけでは意味ある報道はできない。
 そのことは旧植民地の宗主国にも持ち込まれている。欧州でもイスラム人口が増え、各国にあるイスラム社会は原理主義の温床になっている。イスラム教徒はキリスト教社会とは同化しない。イスラムの人々は誇り高い。かつてはキリスト教圏よりはるかに進んだ文明をもっていたことも事実である。過剰な優越感が異文化を取り入れることを阻んできた。1970年代の石油危機によって裕福となり誇りは復活した。しかし軍政の研究と同様に、イスラム社会の研究は遅れているのはないか。大川周明井筒俊彦先生に続く研究者がどこかにいるはずである。