歴史的事実の交錯

 両陛下がエリザベス女王様の即位60年で英国に行かれているご様子が朝のニュースで報じられていた。本当に楽しそうなご様子が画面から伝わってくる。夜にはバレーボールの国際試合が行なわれていた。天皇陛下が皇太子時代に英国に行かれた時は、飛行機ではなく、米国のプレジデント・ウィルソン号という船を使われて米国に行った。それから英国に行かれたはずである。その船には米国遠征に向かう早稲田大学のバレーボールチームが同乗していた。彼らが、全米各地を転戦し、6人制バレーボールを日本に輸入した。それまでは9人制だった。時間差攻撃も、回転レシーブも9人制の技術だった。そうした技術をベースに東洋の魔女が勝ち、ミュンヘンでは、男子も勝った。日本の技術も時が経つにつれて当たり前となり、しばらく低迷が続いている。日本コールの黄色い声援や、あまりにも日本選手の顔ばかり写すテレビ中継も、無関係な芸能人の応援団も出なくなったので、スポーツとしては少し面白くなった。
 その他のニュースを振り返れば、のんびりスポーツ観戦をしているわけにはいかなくなる。5月14日から4日間、第4回世界ウイグル会議代表大会が東京で開催されていた。その直前の週末の日中韓のサミットで中国は、世界ウイグル会議議長のラビア・カーディルさんをテロリストと呼び、日本への入国に抗議した。日中韓の3ヵ国の首脳会談が開かれている際に、東京にある中国大使館から、日本の複数の国会議員に「会議の開催は中国への内政干渉であり、日本の安全の害になる」と手紙をだしていたようだ。「日本の安全の害」とは何のことなのだろう。恫喝されればされるほど、軍備を早急に強化すべきとの国民的合意ができる。そして野田・胡錦濤会談は設営できなかったという。結構なことだ。会いたくない人には会わなくとも良い。
 かつては清廉なことが取り柄だと宣伝されていた中国共産党と軍は、経済の発展に伴って、集団で権力を独占する貴族そのものだと考えることが可能だとみる尊敬すべき先輩がいる。そして中国は議会制民主主義を採用していないために、権力と金が取引され、汚職腐敗が蔓延し、社会は富裕層と貧困層に分裂しているという見方が徐々に説得力を持ち始めている。多くの日本人は、ただただ中国が安定的な社会に平和に移行することを願っている。将来中国が世界を指導する国になっても良いと思う。しかし零八憲章程度の自由が認められない国が世界を指導することは迷惑だ。
 現在の中国は、歴史的には、支那満州、モンゴル、チベット、新疆ウィグルの地域からなっている。1911年の辛亥革命で倒れた清朝は、満州人・モンゴル人・漢人チベット人イスラム教徒の連合帝国だった。イスラム教徒には、トルコ系の言葉を話すウィグル人と中国語を話すイスラム教徒の回族がいる。辛亥革命前の清朝の統治制度の本質は、支那の地域は、1644-1911年の間、満州人が支配する植民地だったことだ。万里の長城の北側は支那ではなかった。アヘン戦争をきっかけに、清朝は欧米列強の草刈り場となった、そしてその戦いの中で、漢人清朝内部での地位を徐々に上げていった。だから現在の共産中国は4000年の歴史のある国ではないことはハッキリしている。
 多民族国家をうまく運営できないからと言って、周りの国に文句を言われては迷惑だ。チベット僧の焼身自殺による痛ましい抵抗をみても中華民族思想が幻想に過ぎないことが明確になりつつあるように思われる。
 もともと清朝の本拠地である満州にしても、1858年のアイグン条約、1860年の北京条約によって、黒竜江以北及びウスリー川以東のいわゆる外満洲地域はロシアに割譲された。その後、南の地域も徐々にロシアの支配下にはいっていた。満州は人口希薄な地だった。日清戦争もあったが、1900年の時点で満州を事実上支配していたのはロシアだった。そしてその頃の朝鮮は風前の灯火だったというよりほとんどロシアの植民地となる寸前だった。
 その頃の日本人は、朝鮮半島がロシアの植民地となれば、次は日本を狙ってくると考えていた。モンゴルの「元」が朝鮮半島を支配した時、朝鮮の人々とともに日本に攻めてきた記憶があった。当時の日本人は、ロシアが、モンゴル帝国のもとに育った世界帝国であることを認識していたのだろうか。深刻な危機感を感じていた。そして日本は、自らの国運をかけてロシアと激突したのが日露戦争である。その勝利によってロシアの満州における鉄道・鉱山開発などの権益は日本のものとなった。そして日本に負けたロシアでは社会主義革命がおこり、続いてソビエト連邦が成立する。第一次大戦後、体制を固めたソ連コミンテルンを使って、反日工作を行いながら、また南下を始めたのだった。宮脇淳子先生が言われるように、ソ連を思想的に見ることも可能だが、歴史上はじめて成立した欧州とアジアにまたがる世界帝国であるモンゴルの後継政権と考えることも可能であるとの考え方で説明できる事実が多い。
 朝鮮は地続きであり古くから満州との関係があった。現在の朝鮮族に区分される人々の多くの祖先は少なくとも400年の歴史があるというが本当にそうだろうか。清朝初期から満州にいた人々の多くは朝鮮語が話せず、満州族に同化していたはずだからだ。今後の研究課題である。
 満州の土地への異民族の移入は基本的に禁じられていたので、清朝の支配が緩んだ末期に、日本の満州利権獲得とともに満州に進出した朝鮮人が爆発的に増えたという事実とは合わないように思えてならない。辛亥革命の翌年1912年に成立した中華民国清朝領土の継承を宣言したものの、実態は各地域の軍閥による群雄割拠の状態であり、満洲張作霖軍閥支配下にあった。清朝崩壊後、流民となった漢民族も日本の管理する鉄道にのって満洲へ大量に流入したのは事実である。中国も、韓国も実証史学が育たない、学問の自由が存外ない国だ。だから、彼らの言う歴史には事実ではないことも多い。彼らの歴史は事実よりも、現在の政治が重んじられる。現在の政治は歴史的事実とは無関係になりがちだ。
 米国ニューヨーク韓国人会はニュージャージー州パラセイズ・パーク市の公立図書館に旧日本軍従軍慰安婦の追悼碑を建てたという。「アメリカの他の地域の韓国人たちと一緒に、日本帝国主義の歴史的蛮行や虐殺、自らの過ちを反省していない厚顔無恥の姿を世界に知らせていく」という。初代大統領李承晩の反日教育を事実だと教えられてきた人たちが最年長となったことが大きいのかもしれない。事実をきちんと反論しなければ、100年の悔いを残す。ただ隣人の悪口を言うのは、どうも日本人の性には合わず、楽しい作業ではない。