教育勅語の真実

 韓国の歴史の本を読んでいたら、ふと小学校の時、古事記源氏物語の名前を教わる前に春香伝の名前を教わるというかなり偏った戦後教育を受けていたことを数十年ぶりに気が付いた。凡庸すぎて全く影響を受けなかったらしい。とはいえ教育勅語は日本史の本でその名前は習ったものの原文は今まで読んだことがなかった。その後も、1890年(明治23年)に内村鑑三先生が第一高等中学校の教員となって、その翌年の1月の教育勅語奉読式において「最」敬礼を行なわなかったことを非難されて退職に追い込まれた事件を何かの小説で読んだこともあり、読まず嫌いだった。
 大阪の橋下徹市長が、なぜ教育条例を発想されたかについては当初、よくわからなかった。というより、教育条例がなぜ問題となるかが、わからなかったと言った方が正確である。わかり易く解説されていたのは、教育問題の専門家である下村博文代議士だった。彼が教育勅語の重要性に言及されていたこともあって、それが何を意味するのか気にかかっていた。それで伊藤哲夫さんが10月に出版された「教育勅語の真実」(致知出版2011年)を読み、なるほどと感銘を受けた。
 教育勅語は、当時の教育の状況を憂えた明治天皇と内閣、地方に派遣されていた県知事たちの危機感を背景に成立している。同書によると、当時の教育が欧米人を一等高く見て、日本人を劣等な国民とし日本の歴史習慣を無視して欧米化せねば駄目だというような雰囲気になっていたという。立身出世主義が横行し師範学校の卒業生である小学校教員も義務年限を過ぎるとより良い就職を求めて奔走するありさまだったという。教育の内容は、すべて米国からの留学帰りが多い「学士会」の意向によって決まっていた。何せ、英語を国語としようと考えたこともある森有礼が1885年に初代文部大臣になる時代だった。教育勅語の起案は、明治天皇が、時の総理大臣山縣有朋らに「徳育に関する箴言を編纂して、それを子供たちに教えたらどうか」とご下命されたことに端を発する。欧米植民地の教育の歴史や諸外国の国民の行動との比較すると、たしかにここに大きな歴史の転換点となるポイントがあったと思われる。
 当初は儒教色、さらにはキリスト教色の強い原案がそれぞれ起案されたが没となり、結局は、明治憲法をはじめとして多くの法制度の基本を考えた井上毅(いのうえこわし)と、明治天皇帝王学を教えたとされる儒学者元田永孚(もとだながざね)が心血を注いで教育勅語を起案し、それが勅語となった。
 井上は、教育勅語は7つの条件を満たすべきと考えていたという。教育勅語は、教育内容についての天皇の考えを明示するが、①それを国民に強制しないこと、②信教の自由を侵さないこと、③良心の自由に介入しないこと、④政治の思惑に巻き込まれないこと、⑤儒教キリスト教などの考え方にとらわれず東洋・西洋を越えた不偏不党の教育の指針であること、⑥これをしたらいけない、あれをしたらいけない、などのせせこましい言葉ではなく大海の水のような言葉でなければならないこと、⑦宗派争いを助長したり巻き込まれたりしないものでなければならなかった。
 そう考えると、教育勅語自体は、それによって何かの思想を押し付けようとしたものではない。大事なことは、教育勅語の取り扱い方だった。社会の指導層や政治家が率先してその内容を実践しなければ意味がなかった。様々な教育勅語の解釈があるが、「解釈する前に勅語勅語として語らしめよ」というのが井上の思いだった。そして2年後文部大臣に就任し教育勅語を柱とした修身科の授業が創設される。修身科の創設により小学校の教育課程に明確な一つの芯がとおることとなった。教育勅語は日本の教育の柱となり、国民の間にまたたく間に浸透し、日本人の精神の骨格となったという。明治23年(1990年)10月30日、明治天皇内閣総理大臣と文部大臣を召され教育勅語をご下賜された。

教育勅語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト
(チンオモうにワがコウソコウソウクニをハジむること)
宏遠ニ紱ヲ樹ツルコト深厚ナリ
(コウエンにトクをタつることシンコウなり)
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
(ワがシンミンヨくチュウにヨくコウにオクチョウココロをイツにしてヨヨソのビをナせるは)
此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
(コれワがコクタイのセイカにしてキョウイクのエンゲンマタジツにココにソンす)
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ
(ナンジシンミンフボにコウにケイテイにユウにフウフアイワし)
朋友相信シ恭儉己レヲ持シ
(ホウユウアイシンじキョウケンオノれをジし)
博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ紱器ヲ成就シ
(ハクアイシュウにオヨボしガクをオサめギョウをナラいモッてチノウをケイハツしトクキをジョウジュし)
進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
(ススンでコウエキをヒロめセイムをヒラきツネにコクケンをオモンじコクホウにシタガい)
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
(イッタンカンキュウあればギユウコウにホウじモッてテンジョウムキュウのコウウンをフヨクすべし)
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
(カクのゴトきはヒトりチンがチュウリョウのシンミンたるのみならず)
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
(マタモッてナンジソセンのイフウをケンショウするにタらん)
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
(コのミチはジツにワがコウソコウソウのイクンにしてシソンシンミンのトモにジュンシュすべきトコロ)
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
(コレをココンにツウじてアヤマらずコレをチュウガイにホドコしてモトらず)
朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其紱ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
(チンナンジシンミンとトモにケンケンフクヨウしてミナソノトクをイツにせんことをコイネガう)
明治二十三年十月三十日
  御 名 御 璽
  
 教育勅語の12の徳目
親に孝養をつくしましょう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
人格の向上につとめましょう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)


Know ye, Our subjects:
Our Imperial Ancestors have founded Our Empire on abasis broad
and everlasting and have deeply and firm1y implanted virtue;
Our subjects ever united in loyalty and fi1ial piety have
from generation to generation illustrated the beauty thereof.
This is the glory of the fundamental character of Our Empire,
and herein also lies the source of Our education.
Ye, Our subjects, be filial to your parents, affectionate
to your brothers and sisters; as husbands and wives be harmonious,
as friends true; bear yourselves in modesty and moderation;
extend your benevolence to al1; pursue learning and cultivate arts,
and thereby develop intellectual faculties and perfect moral powers;
furthermore advance public good and promote common interests;
always respect the Constitution and observe the laws;
should emergency arise, offer yourselves courageously to the State;
and thus guard and maintain the prosperity of Our Imperial Throne
coeval with heaven and earth.
So shall ye not only be Our good and faithful subjects, but render
illustrious the best traditions of your forefathers.
The Way here set forth is indeed the teaching bequeathed by Our Imperial
Ancestors, to be observed alike by Their Descendants and the subjects,
infallible for all ages and true in a11 places. It is Our wish to lay it
to heart in a11 reverence, in common with you,
Our subjects,that we may all thus attain to the same virtue.
The 30th day of the 10th month of the 23rd year of Meiji.
(Imperial Sign Manual. Imperial Sea1.)