哲学なき政治、感性なき知性、労働なき富

「哲学なき政治、感性なき知性、労働なき富」というはインドの詩聖タゴールの言葉だ。それが国家崩壊の原因だという。そんな言葉が実感をもって感じられる世の中だ。彼は、1861年に生まれて、1941年に亡くなった。日本には5度来日したそうだ。1913年にアジア人で初めてノーベル賞を受賞した。1909年にベンガル語の詩集「ギーターンジャリ」を自ら英訳して出版した。そして今から100年前の1911年にジャナ・ガナ・マナ(インドの朝)という歌を作詞作曲しそれが後にインド国歌となった。バングラデシュ国歌(我が黄金のベンガルよ)も彼の作詞作曲という。米国のデモとともに、ギリシアのデモを見ていると考えさせられることが多い。国民に語らず、言葉なく米国に追従するだけの政治で良いわけはない。言葉がなければ哲学はなく、感性も知性も伝わらない。
 APECが終わり、新聞の論説にはTPPに関する論説が目白押しだ。現実的に考えれば、参加を表明したところで協議、交渉、締結、発効といった段階を踏めば、その発効は早くても2014年。それから関税が完全に自由化されるまでは10年かかるという。工業製品の輸出が盛んになるとはいうものの、その前にデフレと為替の問題を解消しなければ、日本の製造業はどんどん空洞化する。TPP推進派は反対派をビジョンがないと非難するが、推進派が一般論や教科書論以上の経済的な推進理由を説明できない方が問題だと考える。今回のTPP参加の表明は、経済的な意味よりも、中国に感じさせた何かが現時点での最大の成果なのではないか。今回TPPグループには日本、カナダ、メキシコ、台湾が加わり、アジアでも米国抜きにルールは決まらないことが確定した。個人的には、タイの洪水と日本企業の関係がクローズアップされていたこともあり、改めて日本経済の大きさの意味を再確認した。そうした選択の問題として説明されれば、多くの日本国民は納得したはずである。
 中国は日本のTPP参加表明に少し驚いたようだ。東京にある中国大使館関係者がTPPに参加しないように積極的な運動をしたことが週刊誌に小さく載せられていた。オリンパスの損失処理もひどい話だが、政府の統計すら信じられない国が作るルールには付き合いかねるというのが本音のところだ。既に中国ではバブルの崩壊が始まり、経済的混乱がどう拡大し、収束するのかを世界が懸念している。中央政府だけでは面倒が見きれないということなのだろうか、経済先進地域の地方政府にも独自の債券発行権限を与えたようだ。輸出の不振と環境問題の悪化が顕在化し、公共工事の不備が指摘されている。中国の経済専門家は一様に政権交代がなされる2012年ではなく、2013年を景気循環の底としてみているが、はたしてそうか。ヨーロッパの信用不安がアジアに影響するのは避けられないため、これが追い打ちをかけつつある。国内の不満を軍事力を使って外に転嫁するのではないかという意味でも中国の政治経済状況に目配りせずにはいられない。隣国韓国も、多くの不満を日本に転嫁しようとしているように見える。韓国のメディアで行われている議論を知れば知るほど唖然とせざるを得ない。
 日本はどうか。1980年代後半、日本銀行は大手銀行の貸出額を「窓口指導」を通じて直接コントロールしてバブルを発生させたが、大蔵省の総量規制によって引締策に転じバブルを崩壊させた。それ以来ずっと、なますを吹き続けている。財務省はこの20年一貫して増税を追いかけてきたが、若者の雇用不安と製造業の空洞化をどう見ているのだろうか。何兆円も使って為替に介入するくらいなら、もっとやるべきことがある。日銀が長期国債を引受けることは認めず、教科書通りに、国債発行のモラルハザードが起きるとか、ハイパーインフレになるとか言われると空虚に感じられる。それは「感性なき知性」の表れではないだろうか。
 1730年に大岡越前が、大阪堂島米会所に対し米の先物取引を許可したのが、先渡し契約の無い「近代的な商品先物取引の始まり」だとされている。当時は現物の米の代わりとして売買契約数を記した書付けを帳合米取引の会所に持ち合って交換し、期日に突き合せて決済していた。
 実はこの少し前にも世界に先駆けて発想された考え方がある。元禄・宝永年間の勘定奉行荻原重秀は、検地、代官粛正、佐渡金山の再生、長崎貿易の直轄化、大阪銅座の設立、東大寺大仏殿の再建と臨時課税、運上金創設、地方直し(給与制度の改定)、通貨の改鋳などを行ったことが知られている。ドイツの経済学者クナップが1866年にオーストリア政府が発行した不換紙幣が兌換紙幣と同じように流通している事に基づいて発表したのが1905年の貨幣国定学説である。荻原重秀は元禄8年(1685年)の改鋳後の貨幣の質が悪いことを指摘されて「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えると言えども、まさに行うべし」と述べたとされている。まさに名目貨幣という観念を持ちながら改鋳作業を指揮していたのである。
 今からざっと150年前の安政年間には大地震が群発したが、そのさらに150年程前の元禄・宝永年間にも日本列島では大きな地震が連鎖し富士山も噴火した。その中で幕府の財政を支えたのが勘定奉行荻原重秀である。6代将軍の家宣が即位すると新井白石が政府の顧問となり、重秀の貨幣観と次第に対立してゆく。新井白石の貨幣観の特徴は、第一に金銀という金属に対する神聖視であり、第二に単純な貨幣数量説である。物価が下落するのは良いことだという意見を持っていたという。そして「折たく柴の記」で重秀を弾劾した。そのため今もって、我が財政金融当局も経済学者も、新井白石の呪縛に縛られているかのように見える。
 天皇陛下のご病気が心配だが、もうすぐ新嘗祭である。新嘗祭元禄時代に復活した祭祀である。そこには、自分たちを生かしてくれる天地自然を崇拝し、守ってくれる何者かに五穀豊穣や家内安全や商売繁盛を祈願し、生きる営みのすべてを「カミサマ」の御心に適う「天職」と考え、食卓に向かうたびに「頂きます」と日々の糧を天地の恵みとしてありがたく頂戴し、暮らしに歌と笑いを重んじて楽しみながら毎日を元気にすごしたいという日本の理想が息づいている。そうした人々が世界に増えることを祈念して新嘗祭を迎えたいと考える。1000年以上も前から当時の先端技術である稲作と機織への妨害行為を「天津罪」とし、労働と先端技術を尊重することこそが日本の精神だった。守るべきは単に米作りや農家ばかりであるはずもない。