雇用争奪

 日本の大手・中堅企業は10月の初めに、2012年春入社の学生を集めて内定式を開いたという。内定率は、大手が震災で選考を遅らせた4〜6月は低かったが、大手が一巡した8月には前年と同水準の59%となったようだ。来年の経済を考えれば、デフレが克服できないまま、円高が続き、政府が増税中心の復興を論じているので、厳しい雇用情勢が続く可能性が高い。ヨーロッパの信用不安もさることながら、米国ウォール街近くの公園で9月17日から始まった「雇用の拡大、金融機関の規制、貧富の格差の是正を求める」運動は、全米に広がっている。もしかしたらかねてから投資家のバフェット氏が予言していた米国民の反乱が起こったのかもしれない。
 従来、欧米の雇用においても、上から1-2割の層は、日本と同じように移動も転勤もあり、長期雇用されて管理職に昇進していくグループだった。またその下には、中間的職務、職員、工員という全く別の正社員の体系と組合があると言われてきた。この雇用階層全体が、様々な形で揺さぶられ、それが世界的に広がりつつあるというのが自分の見方だ。
 欧米では、近年、ホワイトカラーの生産性が大幅に向上し経済が活性化したとされているが、実態は、コンピュータ処理自体のより幅広い応用が可能になったことに加え、従来はホワイトカラー中間層が担当してきたプログラミングや給与計算、伝票処理といった仕事が、インドや中国などの海外に流出し、上・中流層の比率が大幅に減少したのではないかと考えられる。かつて米国では人口の5%の層が富の過半を占めると長らく言われてきたが、現在では1%の層が富の過半を占めると主張され始めている。残りの4%が中間層だという人もいる。
 こうした傾向は、デフレ円高に伴うグローバル化のなかで、これからの日本が新しい産業と雇用をつくり出せなければ、日本でも次第に加速する懸念がある。異文化の壁を乗り越えていく高い能力や知識が必要なマネジメントグループとその予備軍への需要、そして世界的に競争力のある技術や研究開発を行う高度な人材に対する需要は今まで以上に増しているものの、それは先進国と新興国の大学生が雇用の争奪をする状況になりつつあるのかもしれない。
 中間層の雇用の受け皿でもあった製造業の工場の本格的な海外に移転が始まりつつある。清掃、配管工事、トラック運転などの現場仕事はあるものの、海外からの低賃金労働者の移民・流入が多い国では、ここでも今迄の自国民の雇用を減らしている。更に最近ではこの動きが製造業にとどまらず、法曹、医療、新聞、出版、放送、教育といった、従来参入障壁が比較的高く、安定した高収入を得られた分野でも同様な変化が起きつつある。こうした動き全体を「知的労働の分業化」とみるべきかもしれない。日本でようやく議論が始まったTPPの問題は、単なる輸出関税の引下げと農業保護の問題ではなく、サービス分野の自由化と雇用の争奪の問題とみるべきことが論じられだしている。消費者は、より安価に専門サービスを享受できるようになる反面、大学卒業生にとっては世界的な雇用争奪の競争が起きているのである。世界全体では、1億5000万人が大学教育を受けており、そのうち7000万人はアジアの学生だという。
 グローバル化待ったなしの日本が、どのような政策を打ち出し、新たなイノベーションに挑戦し、世界の雇用を如何に拡大していくかが問われている。企業の内部で考えても、新たなイノベーションへの挑戦とともに、大卒総合職と非正規・派遣社員の組み合わせといった人事制度しかもたない会社が多いため、この中間層をどう処遇していくのかということが難しくなっているだろう。この面でも制度の改革が不可避となる。ポイントは、異文化の壁を乗り越えるコミュニケーション能力にあるのかもしれない。
 非正規・派遣といったフリーターとなるのは、総じて対人折衝が苦手な人達だというのが、貧困問題や人材雇用サービスの専門家の一致した見解のようだ。新たに就職した学生が早期に離職をしてしまうことの原因の多くは人間関係にあり、その人間関係の悪さはコミュニケーション能力の不足によって起きている。このことは、かなり前から非進学校の高校の先生方が心配され、その是正を教育目標にされていたことが知られている。
 コミュニケーション能力は、集団の中で「生きる力」であり、コミュニケーション能力の根底にある語彙力が重要だ。基本的な漢字や簡単な文章が書けず業務日報などを作成できないために解雇されるような事例もあるという。グローバルな企業では、英語やその他の言葉で業務日報を書き円滑なコミュニケーションをとることも要求されるだろう。進学し大学や大学院経由で就職する卒業生であっても、コミュニケーション能力の低下という全般的傾向はそう変わらないのではないかと推察される。米国の大学でも、1990年代半ばにはコミュニケーション能力の不足が問題とされ、英語作文教育や外国語教育などが強化され、理系の授業の教え方が変革された大学があった。今では日本のほとんどの大学で、リメディアル教育の一環としてコミュニケーション力の強化が課題とされている。ベネッセと朝日新聞が組んで、今年より日本語の語彙・読解力検定を始めている。多くの大学は、正規の授業やゼミとは別に、小学生から高校生レベルの国語、数学、英語の補習授業を行なっている。
 就職試験の最初に、エントリーシートの記入や英語の試験を行うことは、大量のエントリー人員の足切り試験とも考えられるが、そうした試験で、コミュニケーション能力や異文化への対応能力を問うているとも考えられる。日本語や英語のコミュニケーション能力を強化することも大事だが、あまり言われてないが、学生時代から年齢やバックグラウンドの異なる人たちと適度な距離感をもって接することができるかどうかも、コミュニケーション能力の大きな部分を占めている。キャンパスに外国人留学生や社会経験を持った年配の大人をうまく招き入れることは、これからの大学経営のポイントとなるかもしれない。海外の大学では全体の2割は社会人経験をもった学生だという。そのことにより何よりも大学の先生方が自分の講義に手が抜けなくなる効果が大きいと思われる。