普天間問題への回答と新内閣の寿命

 前任者と前々任者の不人気にも支えられて、新政権は60%台の支持率を獲得した。首相自身の重厚感にとりあえず国民はほっとしているようだ。個々の閣僚は必ずしも適材適所とは言い難いが、現実に取り組むべき問題は山積している。9月1日の就任直後の電話会談で、オバマ米大統領はかなり異例のことだが、野田首相普天間問題を最優先に解決するよう求めたという。
 普天間問題は、自民党政権時代も含めて迷走を重ねたうえで結局、当初の辺野古でのV字滑走路案に戻ってきた。それは今年6月の日米の外相・防衛相会談でも再確認された。環境アセスを年内に終えれば、国は公有水面埋立法に基づいて県知事に埋立て申請をするのか、特別措置法を作りその権限自体を国に移すのかを決断をする段階にある。
 沖縄の基地に関しては、もう一つ尖閣諸島を含む離島防衛という課題がある。具体的には、与那国島石垣島への自衛隊の沿岸監視部隊の配備や宮古島市下地島にある空港の活用が検討されているようだ。下地島沖縄本島と中国大陸の中間にある。島の人口は30名で、隣接する伊良部島の人口は6000名弱。長さ3000m幅60mの滑走路の両端に計器着陸装置を持つ日本で数少ない空港のようだ。いずれも県や市の了解が必要とされるが、日本以上に中国が敏感に反応している。
 1997年12月に当時の橋本総理に名護の市長さんは海上ヘリコプター基地の受入れを申し入れると同時に辞任した。14年前のことである。2004年には宜野湾市でヘリコプター墜落事故が起きたが、本土の関心はあまり高くはなかった。米国側にも言いたいことはいっぱいあると推察される。事故の危険はゼロにはできないので基地の移転にも同意したが、選挙対策自治体との調整といった日本側の理由で、移転は遅れに遅れているからだ。一方、地元にも論理だけでは中々理解できない主張や事実がある。県知事はチルトローターの新型航空機オスプレイは墜落の危険があるので配備されれば、反対運動が手が付けられなくなると発言しているが、そんな危険な乗り物で大事な兵員を運ぶ米軍の司令官はいない。よくテレビに出てくる騒音で悩まされている小学校は、良い移転先があっても反基地闘争の象徴として残されているという人もいる。
 沖縄には、基地の騒音と危険性に悩む住民、基地経済に依存せざるを得ない住民、そして地元振興策で潤う建設関係者が混在している。また全国から集まった基地反対運動の活動家がいる。
 田久保忠衛先生が書かれた「南の国境画定」(地球日本史3 西尾幹二編 扶桑社文庫 2001年4月)という論文を読むと、この辺の事情が少し見えてくる。沖縄の人々には、左右を問わず、自分たちの運命を自分たちではどうすることもできなかったという怨みと悲しみがあるというのである。
 言語、風俗、宗教は日本と同じでも、歴史的には、いつも親日派と親中国派が存在してきた。伊豆大島ともつながる為朝伝説、14世紀後半に成立した明への朝貢、秀吉の朝鮮出兵に端を発する薩摩の琉球侵攻、270年間の日中両属時代、1855−59年には独立国琉球としての米、仏、蘭との条約締結、大久保利通の緻密な外交交渉の手腕、明治政府の琉球処分琉球沖縄県化)と征台論の関係、そして日清戦争後の下関条約での決着に至るまでの事情が簡潔に纏められている。   
 海外の新聞を読むと、状況の理解はまたかなり違ってくる。香港の新聞には「沖縄から米軍が出て行けば、中国海軍の東シナ海支配は強化され、西太平洋への勢力伸長も一気に加速される。中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めた時は、日本の国力は中国より上だったが、中国の国力の増強に伴い、日本経済の中国依存はどんどん高まっている。中日の主客関係が逆転すれば、日本が軍事的に中国と衝突してまで尖閣諸島を守る可能性は低くなる」というような論説が出てくる。8月10日に枝野官房長官が「尖閣諸島はいかなる軍事的な犠牲を払っても必ず死守する」と述べたのには、こうした論説が単なるお伽話ではないことを証明している。
 また韓国の新聞は、「那覇はその戦略的重要性から、米国は太平洋のキーストーンと位置づけている。韓半島有事の際に、米軍の第1次発進基地になるのも沖縄だ。緊急展開部隊とされる18千人の米海兵隊は、6−48時間の間にアジア太平洋地域のどこにでも投入が可能であり、ソウルは作戦半径1時間以内にある。海兵隊は、韓半島有事の際に北朝鮮大量破壊兵器を除去する任務を担っている。沖縄駐在の米軍が、韓国にとっても重要な理由もそこにある。」と論じている。
 普天間問題について言えば、副大臣首相補佐官の名前を見ると、そうしたことを解決するための布陣が既にとられているように見える。だとすれば日米会談の前に誰が沖縄に行くのか、いつ安全保障会議が開かれるのか、その際に事前に自衛隊の高級幕僚たちの意見を聞く場が設けられるのかどうかが、私の関心事項である。そうした動きによって、この内閣の寿命は、凡そ判別できるのではないかと個人的には考えている。