孫武との対話 孫子の兵法を読む

 中国浙江省温州の高速鉄道の追突事故の続報が日本でも多く報じられた。山東省、江蘇省上海市浙江省福建省広東省といった海に面した地域は中国で最も経済的に進んだ地域であるだけでなく、歴史的・文化的にもなじみのある地名が多い。浙江省省都杭州は、江蘇省の南部にある蘇州と並んで地上の楽園とされたところである。省内には、古くからの港町寧波、天台宗の発祥の地であり最澄が学んだ天台山国清寺、魯迅の出身地でもある紹興酒紹興、白楽天や蘇東坡が愛した西湖がある。温州は最も経済改革が進んだ都市であり、中国で経済感覚が最も鋭いことで知られる温州商人の故郷だ。中国の高速鉄道はちょうど1ヶ月ほど前にその特許を海外に申請したことがわかり日本の関心を集めていたが、事故以上に事故処理の仕方に関心が集まっている。
 この8月大連で建造されていた中国の空母がいよいよ試験航海に出ることが報じられている。実際の軍事バランスの変化よりも心理的な影響が注目される。韓国では日本の国会議員が空港で韓国への入国を拒否された。あたかも犯罪者やテロリストのような扱いである。保守派の議員ではあるが言動人品風格とも尊敬されている数少ない議員の方たちなので、折からメディアにおける「韓流」問題などとともに、今後の日韓関係と民主党外交の評価に大きな影響を与えるものと考えられる。北朝鮮は食料不足もあって米国との交渉を急いでいる。内政、外交上の閉塞感、停滞感は目を覆わんばかりの惨状だ。
 「孫子の兵法」を書いた孫武は、大小120の国々が群雄割拠する春秋時代の紀元前6世紀に斉(山東省)に生まれ、呉(江蘇省)の将軍となった。今から2500年ほど前のことである。それを数百年後に魏の曹操が編纂した13編392文6000字から成る。その実践的考え方は、儒教老荘思想以上にヨーロッパにも影響を与えている。
1.始計篇
 「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず。」戦争は軽々しく始めてはならない。国家の生存を図るためには軍事のことを洞察しなければならない。企業間競争を生き抜くためには市場や競争環境のことを考えなければならない。
 統治の基本として5つの要件で彼我を比較し、実情を把握することが大事だ。戦略も思考も比較することから生まれる。企業においても競合企業の研究が必要な理由である。①道(民意を統一しうる基本方針)②天(タイミング、陰陽、気温、時節)③地(距離の遠近、地形、土地の広さ狭さ、環境条件の有利不利)④将(指導者の知恵、信義、仁愛、勇気、威厳)⑤法(制度や組織の運用と訓練)。
 「兵は詭道なり」戦争にしても、商売にしても相手の裏をかくことが重要である。良い意味のずるがしこさが必要ととく。「算多きは勝ち、算少なきは勝たず」勝算がなければ勝てない。冷静に事態を算盤で考えなければならない。思い付き、行き当たりばったりで指導されては迷惑だ。
2.作戦篇
 「日に千金を費やして、然る後に十万の師挙がる。」莫大なお金を費やさなければ10万の軍隊を動かすことはできない。しかし目的のためには金を惜しまないことが重要だ。
 「兵は拙速を聞くも、未だ功の久しきをみざるなり。夫れ兵久しくして国に利ある者、未だこれ有らざるなり。」全ての軍事作戦はスピードが重要であり、長く出兵して国家にプラスであったことはない。それは災害の復旧復興においても同様だ。「敵を殺すものは怒りなり。敵に取るのは利は貨なり。」敵を殺すことだけを目的とするのは思慮のない用兵である。敵の兵員、器材、物資、資源を獲得し自国のものとすることが重要だ。「兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず、故に兵を知るの将は、生民の司命、国家安危の主なり。」はたして日本には国家の命運を担う指導者は現れるのだろうか。
3.謀攻篇
 「用兵の法は国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。」「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。」最高の戦争は、相手のはかりごとを未然に打ち砕くことである。次は敵国の同盟関係を破棄させて孤立無援の状態に追い込むことである。その次は敵の軍隊と交戦することだ。最もまずい方法は敵の城を攻めることである。そうだとするならば、ここに離島防衛ついての考え方の基本がある。下地島対馬尖閣諸島の防衛拠点を固めるべきと考える。「攻城の法は已むを得ざるがためなり。」城を攻めるには数倍の兵力が必要なため得るところは少ない。勝って何を得られるかを考えることが重要である。「彼を知り己を知れば百戦してあやうからず。彼を知らずして己を知れば一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、毎戦必ずあやうし。」
4.軍形篇 組織
 「善く戦う者は不敗の地に立ちて敵の敗を失わざるなり。この故に勝兵は先ず先に勝ちて、しかる後に戦いを求め、敗兵はまず戦いて、しかる後に勝を求む。」どの組織にもその組織を支えている立派な人がいるが、その人は持て囃されず、目立たないところにいる。名将に赫赫(かくかく)の武勲なし。「勝者の民を戦わすや、積水を千仞の谿(せんじんのたに)に決するがごときは形なり。」
5.勢篇 用兵
 「衆を治むること寡を治むるが如くなるは分数、是なり。」多数の統率も少数の統率も同じである。要は組織と編成の問題である。指揮するのは通信連絡の問題である。「戦いは正を以て合い、奇を以て勝つ。」戦闘は正攻法で敵を受け止める直接的な力(正)で構成し。勝敗は敵の意表を衝く間接的な力(奇)をもって決せねばならない。「激水のはやくして石を漂わすに至る者は勢いなり。」勢いに乗ることが大事であり、戦いの本質をよく弁えた者は抵抗できない力をここぞというタイミングで投ずる。
 「乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は数なり、勇怯は勢いなり、強弱は形なり。」混乱は秩序の中に生じ、臆病は勇気の中に、弱さは強さの中に胚胎する。秩序と無秩序は編成の問題であり、勇怯は用兵の問題であり、強弱は組織の問題である。「善く敵を動かす者はこれを形にすれば敵必ず之に従い、之に予(あた)うれば敵必ず之を取る。利を以て之を動かし卒を以て之を待つ。」
6.虚実篇
 「先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて闘いに趨るものは労す。故に、よく戦う者は人に致して人に致されず。」戦闘においては先に戦場を支配する要点を占領して敵を待つものが有利となる。それ故に戦いの機微を知る者は自ら選んだ戦場に敵を誘い込むが、誘い込まれることはない。「兵を形するの極みは無形に至る。無形ならば即ち深間(しんかん、深く潜入したスパイ)も窺う能わず、智者も謀る能わず」「兵の形は水に象る(かたどる)。水の形は高きを避けて低きに赴き、兵の形は実を避けて虚を撃つ。」
7.軍争篇
 「軍は輜重なければ則ち亡び、糧食なければ則ち亡び、委積(いし、物資の蓄え)なければ則ち亡ぶ。」ロジスティックスの重要性。「兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変と為す者なり。故にその疾きこと風のごとく、其のおだやかなること林のごとく、侵掠すること火のごとく、動かざること山ごとく、知り難きこと陰のごとく、動くこと雷震のごとく、郷に掠めて衆に分かち、地を廓めて利を分かち、権を懸けて動く。先ず迂直の計を知る者は勝つ。これ軍争の法なり。」戦争は敵を欺くことをことを根本方針とし、利益を持って行動し、部隊の集散、他国との離合を以て変化を形作る。それは風林火山のようであり、その体制がわかりにくいこと暗闇のようであり、物資を奪うときは兵士に分散し、土地を広げるときはその要のところ守り、すべてについてバランスをとって適切に行動する。遠い回り道を真っ直ぐな道とする計略を知る者が勝つ。
8.九変篇 
 「圮地(ひち、山林、崖、湿地のこと)に舎る無く、衡地(くち、交通の要地)には交わり合い、絶地には留まる無く、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。途も由らざる所あり、軍も撃たざる所あり、城も攻めざる所あり、地も争わざる所あり、君命も受けざる所あり。」無理無駄な戦いはしない。「その来たらざるを恃むこと無く、吾が以て待つ有るを恃むなり。その攻めざるを恃むこと無く、吾が攻むべからざる所有る恃むなり。」希望的観測や他人の助けを当てにしない。
9.行軍篇
 「客(きゃく)水を絶(わた)りて来らば、之を水内に迎うる勿かれ。半ば済(わた)らしめて之を撃たば利なり。」敵が川を渡ってきたならば半分渡ったところで攻撃すると有利だ。「宋襄の仁」はこの原則を守らないで負けた宋の襄公の故事をいう。「衆樹動くは来るなり、衆草障り多きは疑わしむるなり。鳥起つは伏(ふく)なり。獣駭くは覆(ふ、奇襲部隊)なり。塵高くして鋭きは車(戦車)来るなり、卑(ひく)くして広きは徒(と、歩兵)来るなり。」観察力が重要だ。
10.地形篇
 「地形には通なる者あり、挂なる者あり、支なる者あり、隘なる者あり、険なる者あり、遠なる者あり。」地形には接近の容易な地形、罠に陥りやすい地形、争っても利益のない地形、狭隘な地形、起伏にとんだ険しい地形、広々とした平坦な地形がある。
 「将、弱くして厳ならず、教導明らかならず、吏卒常無く、兵を陳ぬるも、縦横なるを乱という。」将軍が弱くて軍紀を確立できず、その指示命令は見識を欠き、将兵に対する作戦、戦闘指導は一貫性を欠き、その陣形は乱れ、軍隊は方向を見失って支離滅裂となる。あたかも現在の政府を見るがごとし。
 「卒(そつ)を視ること嬰児のごとし。故に之と深谿(しんけい)に赴くべし。卒を視ること愛子のごとし。故に之とともに死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わず。たとえば驕子(きょうし)のごとし、用うべからず。」
11.九地篇 状況に応じた戦い方
 「古の善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相及ばず、衆寡相恃まず、貴賤相救わず、上下相収めず、卒離れて集まらず、兵合うも斉わざらしめ、利に合いて動き、利に合わずして止む。」「敵衆く(てきおおく)整いて将に来たらんとす、之を待つこと若何。」「先ず其の愛するところを奪えば則ち聴く。兵の情は速やかなるを主とす。人の及ばざるに乗じ、慮らざるの道に由り、その戒めざる所を攻む。」敵が執着しているものを先ず奪えば、敵を意のままに動かすことができる。
12.火攻篇 火攻めの原則と方法
 「凡そ火攻に五有り、一に曰く人を火く、二に曰く積を火く、三に曰く輜を火く、四に曰く庫を火く、五に曰く隊を火く。」
13.用間篇 情報活動
 「爵禄百金を愛しみて、敵の情を知らざるは不仁の至りなり、人の将に非ず。主の佐に非ず。勝の主に非ざるなり。故に名君賢将の動きて人に勝ち、成功、衆より出ずる所以の者は、先知なり。先知は鬼神に取るべからず(鬼神に祈って得るものではなく)、事に象るべからず(天界の事象によってわかるものではなく)、度に験すべからず(天体の運行が決めるものではない)。必ず人に取りて敵の情を知るなり。」「明君賢将の能く上智を以て間と為す者のみ、必ず大功を成す。これ兵の要にして三軍の恃みて動く所なり。」