太陽光発電より食糧増産を  

 1993年のこの時期、梅雨前線が日本に停滞し、九州ではついに梅雨明けの発表がなかった。日照不足と長雨によって日本全国の作況指数は74となった。秋口から米価は上昇を始め、結局、260万トンの米をタイ、中国、アメリカから緊急輸入を行うこととなった。仮に今後そうした事態がおこったとしても、お金があるからといって、水と気候、技術と人材に恵まれた日本が食料を輸入することは、倫理的にも、多くの国々の社会を安定させるためにも問題があると思えてならない。
やや大上段に考えれば、長期的に地球規模の人口が100億人にもなる時代をどう生き抜くか、世界の平和と安定をどう形成するかといった「大きな政治」をお願いしたいと考える日本国民の一人として、現在の国会を見ると時に絶望的になる。宋の名臣言行録にいう「人を挙げるは、すべからく退を好む者を挙げるべし。退を好む者は廉謹(れんきん)にして恥を知る。」という言葉の意味を改めて実感した1週間だった。
 このところ世界の穀物産地で天候不順と天災が続き、農産物価格が軒並み高騰している。トウモロコシの産地アルゼンチンでは干ばつがあり、米国でも寒波による小麦の発育不良があった。小麦産地の中国では5月まで干ばつが続いていた。オーストラリアの大洪水ではサトウの価格が上昇した。世界の穀物在庫の指標となる米国のトウモロコシと大豆の貯蔵量は前例のない低水準だという。北アフリカや中東諸国は食糧の買いだめに走っているようだ。ジャスミン革命による独裁政権の崩壊の底流には食料価格の高騰があったからだ。中国の穀物在庫もかなり少ないといわれ、大幅な食料輸入に踏み切るのではないかとの噂が絶えない。
日本では、東日本大震災と福島の原子力発電所災害に伴うコメの減産分は、周りの県による生産枠の引き受けによってカバーされることが先日明らかになった。しかしスーパーコンピュータで天候不順の予測はできたとしても制御することはできない。また他国の政策を左右することもできない。国際貿易の単純な理論ではなく、世界的に見て自然条件が穀物や食料の増産が可能なところでは、食料増産をすべきと考える。
古くは池本喜三夫先生の農公園列島の理想、京大の柏久先生の山地酪農の教え、そして、今年、東大の獣医学教授を退官された酒井仙吉先生の所論には大いに力づけられた。輸入飼料に頼らない、石油に頼らない新しい農業と畜産業を創造すべきと考える。
 電力不足を背景に太陽光発電などの自然エネルギーの高額買取法案が話題になっているが、政策としては問題が多く思慮に欠けると思う。原発事故前から「地震国日本の原発は安全だが安心できない」とされていた。
 原子力の専門家でもある武田邦彦教授が出された「偽善エネルギー」(09年11月、幻冬舎新書)という本に、佐世保市の委託を受けて2年間太陽光発電の面積拡大の研究をした時の結論が書かれていた。太陽光発電が設置でき、自然の動植物に大きな影響を及ぼさない所に、できるだけ多く太陽光発電パネルを敷き詰め、どれだけ電力が賄えるかという研究である。結局、線路の脇や、道路の端、住宅やビルの屋根などに敷きつめても、佐世保の電力使用量の2%しか賄えないという結論に至ったという。更に条件を緩めて、南側の斜面にある森の木を切り倒して平地にし、希少生物が生息する沼地にパネルを敷き詰めても、電力使用量の8%しか賄えないという結論になったとある。
 あまり知られてはいないが、日本でもメガソーラーの実証研究はかなり行われている。今年、東電が川崎の浮島と扇島に作っている2つの最新のメガ・ソーラー発電所は、合わせて敷地面積合計34万㎡の広さで年間2100万kWHの電力量しか発電できないという。完成したらぜひ見学に行ってみよう。国土の狭い日本では、どんなに頑張っても太陽光発電原子力が代替されることはない。自然条件に恵まれたスペインでも補助金がなくなると同時に太陽光発電の拡大が止まった。
 耳鳴りのような音に耐えて風力発電をするのも良いだろう、可能ならば洋上発電もよさそうだ。ただ大きな音で沿岸に魚が寄ってこなくなるかもしれない。リーズナブルに自然エネルギーを活用することには大賛成だが、「自然エネルギーについてのみ、建設の時点で税金から補助金をだし、発電する時点でも補助金をつけて高く買い入れる」というやり方は正しいとは思えない。
 技術開発の費用や社会実験としての費用ならば話は別だ。むしろ同じ補助金を出すならば、あらゆる技術の可能性を追求すべきと考える。送電網を超伝導の新たなケーブルに置き換え発電端と送電端の間の送電ロスを最小化する。ピーク時とそうでないときの使用量の差を調整をする家庭用と業務用の蓄電池への投資を行う。需要のある地点で発電し、熱も使うコジェネレーションの地域を拡大する。家庭用の小型の発電機、ヒートポンプ、給湯装置、燃料電池などの活用、スマートグリッドも含めた総合的なスマートエネルギーに向けた施策の方が本質的だと思えてならない。
 太陽光発電派はそれが普及すれば量産効果によって価格が下がると言うが、ドイツの場合、実際に価格が下がったのは、量産効果ではなく、中国などからの海外調達が増えたからにすぎないともいわれている。
 設置場所として更に休耕田、耕作放棄地の活用まで言い出した時点で私にはついていけない。そんな土地が活用可能ならば、日本には水もあり、豊かな植生があるのだから、それらを活用して世界のために食料増産に転じるべきと考える。米粉のパンへの利用を増やすこと、輸入飼料作物に頼った畜産業を改革し、手入れのできていない1000万ヘクタールある里山に手を入れ、耕作放棄地を活用して世界のためにも、新しい農業を確立すべきと考える。
 昨日、テレビのニュースで地方の農業高校が高速道路の脇にある土手の草を、山羊の放牧に活用しながら除草していることが取り上げられた。こうした活動の方が、補助金目当ての太陽光発電よりも、よほど本質的な国土利用、国民の安全、世界の安定のための方策に思えてならない。