新しい日本政治の3つの潮流   

 その時々に感じたこと、考えたこと、学んだことを、微妙な問題も避けずに率直に文章にする作業を始めて100回を超えた。10月以降忙しいこともあったが、現実の政治を分析すればするほど、普段口にしない言葉を使いかねないため、書き始めた文章を途中で削除することも多かった。今から数年後に振り返ってみれば、2010年は大きな転換点となる年ではないかと思われる。政権交代して1年4ヶ月、社会党無き社会主義政権の迷走が10ヶ月、国家の問題をハンドリングできない市民運動政権となって6ヶ月、あまりにも問題が多すぎて個別に論じても仕方がないような気もする。新聞では大連立構想民主党内の対立が連日報じられているが、それには全く心が動かない。もはや連立のタイミングを失っている。消費税だTPPだと発言されても空虚に感じる。また後継と目される民主党首相候補たちも揃ってカンが悪いうえに、民主党を1つにまとめきれそうもない。だから菅内閣が退陣しただけでは物事はすまないと思われる。たとえ暫定予算を組もうと、ジタバタされるよりも一日も早い解散総選挙をするほうが日本にとって傷が少ないと考える。「民主党らしい政策を行い、今年はマニフェストの見直し修正を行う」と民主党の若手有力政治家が正月のテレビで述べていたが、将来有望と目されているだけに彼に本当のことを言う人はいないのだろう。はっきり言って権力ボケだ。悪口を言い過ぎると口が曲がるので、2011年の年頭にあたり、もっと大局的に新しい日本政治の争点となる3つの潮流について述べたい。
   1.新たな冷戦の始まり
   2.国民倒閣運動の胎動
   3.地方制度革命
1.新たな冷戦の始まり
 世界の指導者がいっせいに交代する2012年に向けて東アジアの情勢は、予断を許さない。北の核燃料施設の建設、砲撃事件も中国軍部の承認なしには難しかったという。誰が得をしたのかを考えればそうかもしれない。北朝鮮への対応について中国頼みの状況がつくられた。当たり前すぎて誰も言わないが、年末の防衛大綱では主たる仮想敵国がロシアから中国に公式に切り替えられた。現在民主党政権の不人気は、官房長官を中心とする尖閣諸島事件の処理の不手際やいい加減な発言を聞いて、今後、韓半島で予想される激動や中国の策動に、現在の民主党政権ではきちんと対応できないと、国民が感じているからである。かつては中国も経済が成長し豊かになれば政治を自由化し普通の大国になるだろうという期待論が日本全体にあった。しかし貧富の差が大きく「党軍複合体」が構成する現在の指導層は、事実と異なる反日教育を修正し友好の礎を築く方針が出せない。むしろ国内の矛盾や対立が大きくなればなるほど、日本を標的にしてくるものと考えられる。日本人にとって更にやりきれないのは、戦後賠償の代わりに提供された巨額のODAや資金協力は全てこの党軍複合体の強化にあてられたと考える人もいることである。個々の中国人には何も含むところはないが、零八憲章の自由を認められない国が世界をリードする国となるべきではないと考える。日本は望むと望まないに関わらず、平時より中国との冷戦に対応しなければならなくなった。そうした意味で海上保安庁職員によるビデオ投稿は意義深いものであり、政権の不手際は万死に値する。
2.国民倒閣運動の胎動
 良いこともあった。尖閣諸島事件をきっかけに、10月以降、週末ごとに3000人を超える極めて普通の日本国民が国旗を持ちながらデモを始めたことは新鮮な驚きだった。そして年末には倒閣運動としての性格を強めた。大マスコミは無視して右翼のデモとしか報じない。しかし実態は動画サイトの映像を見れば明らかである。生まれて初めてデモに参加する方も多そうだ。秩序正しいデモである。前首相の発言のブレ、中国政府の言動の傲慢さ、反日デモの暴力性をみて考えた人たちの集団である。この問題が発生したことによって、日本の左派や左翼の評論家やコメンテーターの語っていた安易な日中友好平和論、歴史認識が誤りであること、保守派の論客たちが年来唱えていたことが真実であることを多くの国民が学習し納得した。年末には関西のテレビ局が南京大虐殺をとりあげ、証拠とされていた写真が全て偽物であることを証明した歴史学者を登場させた。これにより南京事件が如何につくられ利用されてきたかが明らかになった。こうした流れがじわじわと全国に広がっている。
 さらにマスコミでも年末より全国の山林と水源地が中国資本によって買収されていることが毎週のように報道され始めた。買収といえば、昨年の選挙の前後において、民主党自らマニフェストからはずした外国人地方参政権を導入すべきと発言した政治家が何人かいた。個人の見解にケチをつける気はないが、資金集め以外の理由で、なぜ、あえて、そのタイミングで発言するのか不可解だった。暫くして民主党の党内選挙にも外国人が投票でき献金できるというのはおかしいのではないかとの指摘もあったが、党則が改正されたという事実はまだ聞かない。外国に行って自国の地方参政権の付与の問題を外国の政治家に約束すること自体かなり異常である。今年も統一選挙でお金が必要な時期になるときっとそうした動きがでてくる。そうした動きは全て国民倒閣運動のエネルギーとなる。
 あえて大胆な予測をすれば、次に述べる地方制度革命とこの国民倒閣運動のエネルギーを結びつける人物と政党が、今後の日本の政治を形づくる気がする。
3.地方制度革命
 閉塞感を打破する動きとして、自らの手で自らの地方の政策を決めたいという大きな動きが生まれつつある。日本の地方制度は全国一様であり、その運営は中央省庁の統制を大きく受けている。これは、所得・消費・資産といった税源にどんな税金をかけようと、都市と田舎の格差が大きく、都市で集めた税金を田舎に再分配することで日本の国民生活が成り立っているからである。再分配の手段は、地方交付税補助金である。言葉を変えて言えば、東京、大阪、名古屋で集めた税金が田舎に分配されていることになる。そのうちの大阪と名古屋で制度改革の声が、優れたリーダーを得て政治運動となるに至った。社会保障制度は、年金財政といったお金のことを考えるときは中央の問題であるが、医療、介護といった問題の現場と現実は地方にある。更に農業改革を必要とするTPPである。首相は第三の開国だ、TPPだというものの、地方の国会議員さえ説得しきってないと思われる。現状では地方議会の選挙で負ける可能性が高いと考えるが、負ければ、TPPも再び腰砕けになるだろう。既存の政党は、国のベースとなる地方の制度について与野党ともにビジョンを欠いており、それが問題だと気がついている議員は少ない。公務員の削減の問題の本質も2重行政、3重行政の問題も霞ヶ関ではなくて地方部局と地方にあることがはっきりしている。まだ地方のリーダーたちも日本全体の制度がどうあるべきかあまり言及してない。ハッキリしていることは、道州制道州制と唱えたところで、最前線の仕事を担当する基礎的自治体をどの程度の規模と考え、どのような形で何をやるのかはっきりしないと将来が見えてこない。静岡県の人口は377万人とされているが、人口368万人の横浜市は基礎的な自治体と考えるべきなのだろうか。大阪の橋本知事が大阪について述べている問題は、全国の問題である。どこまで多様な行政体系が許容できるのだろうか。市民税10%削減は豊かな名古屋市だからできることではないのか。名古屋の市会議員の給与を半減した場合に専業政治家を育てることができるのか。兼業政治家でも中には立派な人もいるが、総じて専業政治家を育成すべき、専門家が行政をという考えが今まではあったと思う。それにも十分な理由がある。河村市長が言われるようにアマチュアリズム良いのかどうかは選択の問題だ。個人的に、自分の住んでいる町の現状を現時点で考えれば、給与をもっと減らし、議会の開会時間を夜19時から22時までに変更すれば、もっと見識のある商店主や経営者の人達が議員となるような気がしている。しかしそれでは裕福な人間しか市会議員になれないという批判も出てくるだろう。そうした地方の制度自体のあり方を住民が選択できる多様な制度のあり方が追求されるべきと考える。
 国民の1人として、これらの3つの潮流を軽々と乗りこなし、将来について楽観的で柔軟でバランス感覚にあふれた新しいリーダーの登場を期待している。それはもしかしたら女性かもしれない。