バラマキよりも防衛力の充実を  

「弱体な国家は常に優柔不断である。そして決断に手間どることは、常に有害である。決断力に欠ける人々が、いかに真面目に協議しようとも、そこからでてくる結論は常にあいまいで、それゆえ常に役立たない。」というマキアべッリの言葉を思い浮かべながらニュースを見ることが多くなった。法人税実効税率の5%引き下げを「総理の決断、決断」と騒ぎ立てれば立てるほどその裏が透けてくる。景気の浮揚ではなくて、「政権浮揚」が目的だと解説されると大丈夫かとなる。経団連の会長まで嬉しそうにしているのをみると、この国は大丈夫かと心配になる。
 このひと月ほどyoutubeの日本語版のサイトが中国語の動画で埋め尽くされるようになった。ある評論家が中国の情報操作が日本でも始まっていると言う。Googleで検索してもチベットの記事がかなり少ないと言う。確かに変だ。しかし技術的には可能だし、単純な人海戦術的な方法も有効かも知れない。報道の自由、世論形成の自由を守るためにはそれに対抗するためのカウンター・パワーが必要だ。報道の使命はそこにあるはずだが、報道の自由を享受する国の人々の組織力は弱い。全ての報道機関が中国のご機嫌取りをする必要がないのに、中国北京発のニュースは欠かせないと考える。しかし周りの国々で報道された中国の姿が何なのかというところからスタートすることも可能なはずだ。テレビ報道も数あるテレビ局が全て海老蔵事件を追いかけるので、民主党政権はかなり延命した。しかしそうした報道であっても、注意深く観察していると、従来、民主党ベッタリだった評論家、ジャーナリスト、学者が驚くほど民主党を批判しだしている。今週は舛添さんを官房長官に輸血する計画、小沢さん抜きで大連立する計画があると報じられた。ハッキリしている唯一のことは、この政権は長くは続かないことである。「リーダーシップがない、決断力がない」と言われることがよほど気に障っているとと見えて、総理の決断を演出しているが、本当の問題は、民主党全体としての判断力がないことである。
 今回発表された防衛大綱は、国際情勢とは無関係な軍縮財政計画となってしまったのではないだろうか。基盤的防衛から動的防衛へという言葉はさておき、数字を見れば、陸自兵力は15万5000人→15万4000人、戦車は600両→390両、火砲は600門→400門、戦闘機は260機→現代化を推進、潜水艦は稼動年数を見直し、運用隻数を増やして16隻→22隻。単純な話が現在11兆円強あるとされる中国の防衛費が今後も10%程度の増勢が続くとすると7年後には22兆円になる。5年後とすると18兆円程度となる。これに対して日本はずっと現状維持の年間5兆円弱の支出で本当に国を守れるのだろうか。個人的には中国が10%伸ばすのならば、他の経費を削っても日本も10%の防衛費の増加を暫くの間続ける必要があると考える。そうしたところで予算は5年後に8-9兆円にしかならず、GNPの2%に満たない水準である。そうしたうえで、初めて専門家に何とか現在の戦力格差の拡大を防ぐように工夫しろと命じることができるのではないか。今回の防衛大綱をわが国の断固とした国家的意思の表明とし、抑止力の基盤とするために徹底的な議論をお願いしたい。その上で、中国等が軍縮に踏み切ったのを確認したならば、減額等の措置をとればよいのではないか。どうしても防衛費を据え置くとするならば、様々な異論はあっても、やはり核武装をせざるを得ないのではないか。少なくとも、そうした議論のうえで、国会で防衛大綱をきめてほしいと考える。
 お金だけの点で言えば、子供手当ても、企業減税もその半分は貯金や内部留保に回ると言われている。農業の戸別補償政策も、減反政策を維持したままではバラマキ政策に他ならない。高校の無償化よりも奨学金の充実を図る方が重要だ。それができないならばせめて中学卒業で働く若者にもお金を支給したい。35人学級を実現するならば、退職した技術者を中心に小中学校の数理科学の先生としてパートで採用すべきではないか。マニフェストマニフェストと言ったところで、民主党内部の抗争のためにマニフェストが使われているだけであり、選挙の公約としてのマニフェストはとっくに破綻している。どちらを選ぶかは、総選挙で決めるべきである。次の通常国会は、総選挙の論点を明確にするための論戦の場と思って、たとえ暫定予算となっても、与野党とも徹底的な政策競争をお願いしたい。国会が始まれば、いずれにしろ総選挙を求める国民の声は無視できなくなるはずだ。