政治ノート 「あかんたれ」解散の風

 国会軽視発言の責任をとって法務大臣がやめ、官房長官が兼務することとなった。しかしこの官房長官国土交通大臣に対しても問責決議案が提出されることとなる見通しだ。尖閣諸島事件の処理に関して、国益を損ねたこと、国民の知る権利を不当に制限したことに対し、誰かが政治責任をとらなければならない。忘れてはならないことは、大阪の検察の不祥事にも、まだ組織的なケジメがついてない。はっきり言えば、事実上の指揮権を発動しながら自分の決断でないと嘘をついている官房長官が在任のまま法務大臣を兼務し、那覇地検に「今後の日中関係を考えて・・・」と言わせた検事総長が司法行政のトップに座りつづけることは、日本人の行動美学に反すると思う。また海上保安庁長官に責任をとらせるならば、同時に、政治が判断しないために今まで現場の海上保安官に必要以上の心労を与えていた「国会と政治家」を代表して国土交通大臣が辞めなければ、「現場の志」が保てない。ケジメをつけ、責任をとるところから、政治主導の国家運営が始まる。
 問題は政権中枢の物事の判断基準が狂っていることだ。安易な判断と発言が人気の低迷につながっている。官房長官適任者が党内にいないならば、輸血をしなければならない。大胆な措置が取れない場合、この政権は続かない。人気の低落を考えると、よほどの人でないと、火中の栗は拾わない。仮に現在の首相が辞職し、民主党の他の幹部が首班に指名されようが、もう長くはもたない。やることなすこと政権交代を実現した「いい加減な」マニフェストとの齟齬ができ、党内が治まらず、党内を治めようとすれば、世間が治まらないからだ。予算審議は進まず、関連法案は通らない。早くも来年度は当初暫定予算を組むしかないとの声が出だした。政治の空白を予期して、もはや止めようのない解散風が吹き始めたとみる。
 大阪の人は、無能、無策、無気力のどうしようもない人のことを「あかんたれ」というらしい。もう「あかん」いい加減にしろと言う意味で、今回の風を「あかんたれ」解散の風となづけたい。対米関係の修復と政権の延命だけが目的では国家の運営は難しい。