政治の崩壊 責任のとり方、とらせ方

 尖閣諸島事件は予想外の展開を見せ始めた。ビデオを投稿したとして自ら出頭した海上保安官のメモを見ればきちんとした判断力のある人だと思われる。「かくすれば かくなることは 知りながら やむにやまれぬ」行動であったと考える。内部告発であることを考えると、一部で言われているように漁船員逮捕のシーンと逮捕後の船の様子が公開されれば今以上の事実が隠されているとみる。
 一方で、官房長官は中国と「ビデオを公開しない。沖縄県知事尖閣諸島に上陸させない」という密約をしたとの噂が流れている。国会で明確にされるべきだろう。フジタの社員4名が拘束されていた頃だ。任意の事情聴取が数日続く海上保安官の取り扱われ方も気になるが、もっと大事なことが三つある。一つは尖閣諸島をどう守るかということであり、二つ目は密約、二元外交も含む尖閣諸島事件の処理の妥当性について検証である。そして三つ目は、責任のとり方、とらせ方についての考え方である。政局という観点から考えると、この三つ目が重要だと思われる。
 このところ幾つか気になる報道が続いている。菅首相は「中国側の意図が分からなければ、おれは判断できない」と苛立ちを周辺にぶつけているという。相手の国の意図を判断するのが首相の役目であり、それができない人は辞めるしかない。官房長官は、ビデオ問題に対して、政治家には一切の責任が無く、海上保安官の行動を認めれば、国家はもたないという。果たしてそうか。自首した海上保安官はなんらかの処分を受けることは覚悟している行動だ。いかに政権への政治的影響が大きくとも、暴力を伴ったテロ行為ではない。野党の党首や幹事長がいうような2.26事件とも事案の性質がだいぶ異なる事件だ。一方、中国漁船の行動は、中国国家の意図ではないとすると、日本の巡視艇へのテロ行為であり、明確な公務執行妨害である。何が起こっているのかを主権者である国民に知らせることを阻んだ官房長官と内閣は少なくとも政治的責任を取らなければならない。幹事長も「政治主導と、具体的に責任をとることはイコールではない」と述べ、記者団を唖然とさせたという。この事件で中国との秘密交渉を行ったとされる民主党の前幹事長代理の政治家は「今の時点で政府がビデオを公開することには反対している。海上保安官のやった行動を正当化することにつながりかねない」と述べた。海上保安官を罰するがために映像の全面公開に反対するかのような発言は論理が逆転し詭弁である。そして何よりも多くの民主党の国会議員が、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件のビデオ事件に対して、人ごとのような態度をとっている。
 与野党含めて、そんな判断しかできない政治家、政党のいうことは誰も聞かなくなる。そんな人間の命令に、誰が自分の命や国の命運を託すだろうか。出処進退、責任のとり方、とらせ方が判断できない人は、国民の指導者たりえない。この一事をもってわが国の既存の政治は崩壊過程にあるとみる。政権支持率は30%を割った。政治的事件は政治的に処理しなければならない。情理と志、国際関係における力学を踏まえた処理方針が打ち出せる政治家の登場を時代が待っているのかもしれない。