偸梁換柱の計 がんばれ前原     

 ハノイで予定されていた日中首脳会談が前原外務大臣の態度を理由に突然キャンセルされた。これには5つの要因があると考えられる。①尖閣諸島について日中間の密約があると雑誌アエラが報じたものがネットで中国に流れ、政府は日本に甘すぎると考える普通の人たちのデモが止まないこと。②そしてそれが政府への批判に結びつき出したが、強引に押さえ込みすぎると過熱しかえって危ないこと。③実務家グループを代表する温家宝首相の持論である「政治改革をしなければ経済発展の成果が失われる」という主張が、人民日報などを通じて保守派から批判をうけていること。④習近平氏が次の最高指導者となることが決まり、保守派が少し元気になっていること。⑤前原外相が中国の思い通りにならないので、彼を取り除きたいと考えていること。
 全く中国側の事情なので、日本政府には「APECに誰が来ようが来まいが、来たら歓迎すれば良いし、来なければ向こうが損をする」と腹がくくって毅然とした対応を期待したい。会談が中止になったことを理由に前原外相を批判する与野党の政治家には兵法三十六計の勉強を勧めたい。中国共産党の宣伝工作部は香港メディアを使って「前原外相は菅内閣の中で唯一の悪いヤツだ」と主張している。これは典型的な「偸梁換柱(とうりょうかんちゅう)の計」(はりをぬすみ、はしらをかえる)として記憶に値する。よほど前原さんの中国に対する見方が的確なのだろう。 
 11月の半ばに横浜で開かれるAPECでは、2020年を目標としたAPEC域内の経済統合の構想が検討される。いつの間にかTPPという耳慣れない言葉が、大きなテーマとなっていた。Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement環太平洋戦略的経済連携協定の略だという。例外品目なく100%の自由化を実現する質の高い自由貿易協定である。TPPは、ニュージーランドシンガポール自由貿易協定をベースに、チリとブルネイが加わって2006年5月に発効した。これに米国、オーストラリア、ペルー、ベトナム、さらにこの7月にマレーシアが加わり9カ国となり2011年11月の合意を目指している。中国、カナダ、フィリピンも参加を検討しており、韓国の参加も時間の問題といわれている。そのためAPEC自体をTPPグループがリードする可能性が高くなっている。
 日本は、もともと農産物の市場開放に対する国内の反対が根強いこともあって、自由貿易協定の締結が周回遅れとなり、日本の製造業にとって大きな障害となりつつあった。TPPが注目を集めたのは、昨年2009年11月には米国オバマ大統領が「広範な加盟国と高いレベルの地域協定を作るために環太平洋経済連携に関与する」と表明したときだった。米国はTPPに参加することにより東アジアの経済連携から排除されることを免れ、2国間のFTAでは開放できなかった市場へのアクセスを確保し、将来的には質の高いFTAのメンバーとなることができるからだった。TPPは、中国を世界経済の自由な枠組みに引き入れるための手段という意味あいもありそうだ。 
 あまり思い出したくないが、オバマさんがTPPと言い出した頃、日本の首相は沖縄の基地は県外にと主張し、中国、韓国とともに東アジア共同体構想を推進するという幻想に酔って迷走を始めていた。そして次の首相といわれた与党の幹事長は、民間ベースの交流として大勢の国会議員を引き連れ北京に年末の挨拶に行っていた。その小沢グループが中心となってTPPを慎重に考える会が110名を集めたことは興味深い。
 補正予算外国人地方参政権の議論の動きをみていると、政府は公明党との事実上の連携を模索しネジレ国会を乗り切るつもりのようだ。いずれにしろTPPへの加入には並行して抜本的な農政改革を必要とし、税制改革も、官僚制の手直しもやらなければならない。デフレ解消策も必要だ。年末には中国の軍備拡張に対応した防衛大綱も決めなければならない。民主党政権は、普通の政権以上に、幾つもの大きな渦潮に巻き込まれ翻弄されながら、支持率を下げている。そのなかで中国が前原大臣を批判すればするほど、彼は大きな政治家への道を歩き出しているように思えてならない。がんばれ前原。