オキュパイド・ジャパンの記憶

 米軍戦闘部隊がイラクから撤退した。2003年に攻め込み2010年に撤退となった。あとはイラクの治安部隊の訓練、対テロ戦支援、米国国民の安全確保などを目的に5-6万人の部隊が残るが、2011年末までに完全に撤退することが合意されている。
 少し前に、ホルムズ海峡では日本の原油タンカーが攻撃された。どうやら本格的なテロの対象となったといわれている。本来ならば、自衛隊護衛艦をタンカーの警備につけなければならないが、例によって法律が整っていない。米国は、中国軍の拡大に対して懸念を表明し、ようやく南シナ海に関心があることを表明した。
 眼を国内に転ずれば、暑さで頭がボーっとしているのではと思えるほどの無策が続いている。「円高を注意深く見ている」といって何か仕事をした気になられていては困る。専門家によれば民主党代表戦が落ち着くまでは動きがとれないという。何事もなく落ち着いたところで、大した策は出そうにない。国会議員の仕事は「事業仕分け」ではなく「法律作り」だということを忘れている。
 ほかにも気になることが幾つか。1つ目は中国人投資家の資産ヘッジなのか、マンション販売が好調だとの報道。為替相場を見るよりもなぜマンション販売が好調なのかを調べたほうが学ぶことが多そうだ。
 2つ目は「北朝鮮後の体制」について議論が始まっているということ。菅談話以後、また賠償請求の話がぐっと増えた。ひどいことに、日本が戦争に負けて占領されていた時期に決められたことまで日本の責任だという。
 3つ目は誰も秋以降の政治シナリオを明確に持っていないこと。小沢復権がささやかれるたびに一時的に現内閣の支持率が回復しているが、国会審議が始まれば、いずれにしてもまた落ちてくるしかないとみる。ねじれ云々の前に何かを成し遂げようとする意志が感じられないからだ。前内閣のような迷走を避けようとして漂流が始まったのかもしれない。
 その漂流の始まりには「オキュパイド・ジャパン(占領下の日本)」にあるのではないか。8月15日は何の日か、正確に知っている人はもう少ないと思う。第二次大戦で米国と戦争していたことを知らない若者も多いという。ポツダム宣言を受諾したのは14日、15日は、終戦詔勅玉音放送がなされた日だという。伝聞として書くのは、私自身まだこの世に生を受けていないからだ。そうした意味では戦前のことを実際に知る人はもう少ない。今年80歳となる昭和5年生まれの人でも1945年は15歳だったに過ぎない。その意味でオキュパイド・ジャパンの記憶は遠くなった。サンフランシスコ講和条約の調印されたのが1951年の9月8日であり、日本が独立したのはその条約が発効した1952年4月28日である。沖縄・小笠原ではその後も占領が続いた。
 アメリカの占領政策の全体像をはっきりと知ったのは、松村閣下の「戦争学のすすめ」(07年、光人社)という本であり、その記述が諸先輩の話と符合するからである。米国の占領政策は苛烈なものだった。松村閣下が主なものを列挙している。
 ①学校の教科書から国民の士気・団結を高め、伝統を教えるものを削除②軍需生産の禁止③特別高等警察の廃止と警察組織の地方分権化④鉄砲・刀剣の没収⑤国旗掲揚の禁止⑥連合軍司令部によるマスコミ記事の事前検閲⑦共産党員を含む政治犯の釈放⑧米軍向け売春施設の設置⑨愛国心・栄光追求の教育の禁止⑩民族主義的教育者および軍人の公職追放⑪教育制度の改悪と教師の労働者化⑫財閥解体⑬農地解放と地主の消滅化⑭華族・貴族などの社会栄誉システムの破壊⑮家族制度の破壊⑯秘密保護法の廃止⑰神社参拝の禁止⑱財産相続税の強化⑲皇室典範の法律化(明治典範の廃止)。
 その目的は、日本に軍事基地をおき、保護国とすることにあった。今も大きく言えばその体制が続いていると考えられる。軍隊が戦争期間中(戦闘期間+占領期間)に占領地の行政を行うのは作戦行動が直接妨害されることを防ぐ範囲のみであり、その他の行政行為は被占領国の権限であり、文化・伝統・憲法まで破棄したことは1907年のハーグ条約43条(占領地の法律の尊重)違反にあたるとのことである。
 もっと単純に考えれば、これらの施策は日本弱体化のための方策なので、元に戻した方が良いところは元に戻すという視点で見れば、日本を良くする大きなヒントがここにある。