亡き師、亡き友を思う

 8月になってパソコンの調子が悪く結局再インストールに追い込まれた。今年の終戦記念日も過ぎた。お盆の時期とも重なって、この時期なくなった人のことがなぜか思い出されるようになった。
 政府はやはり日韓併合に関する首相談話を出し、朝鮮王朝に関する宮内庁財産を韓国政府に「お渡し」するようだ。NHKも日韓青年の対話番組を作った。韓国の人たちが、知っている日本人として伊藤博文豊臣秀吉の名前をアンケートであげていた。どう知っているのかについてのコメントは慎重に避けられていた。この二人に対する歴史的評価は両国で大きく異なるからだ。どちらが正しいというのではなく歴史的評価を統一しようというのがやはり無理なのだと番組全体を通じて感じられた。その意味では自分の感想は小倉先生の意見に近い。外務省出身の岡本さんは、中国の台頭を予測した上で、日韓連携の必要性を説いたが、竹島に関する合意は不可能と述べた。岡本さんは、たしか一橋大の板垣ゼミの出身だったはずだ。板垣先生の「過去を踏まえて、将に来たらんとする将来に向けて、現在を生きる」という言葉が思い出された。板垣先生が生きておられたらアジアの将来に向けて何をなすべきかとお考えになったろうか。今一度先生の若いときからの著作を読みたくなった。
 14日は小中高と一緒だった友人の医学者の命日にあたる。ここ2週間ほど、必要があって、進展著しい生命科学の文献を集中的に読んでいる。彼がいたら、どれ程世の中に貢献しただろうと思う。まだ五里霧中の状態だが、医科学の世界で、どうやら大きな変化生まれていることだけは素人にもわかった。バイオテクノロジーの進展が予想されていたようにメデシンと結びつき始めたのだ。経験科学としての医学が、文字通りの科学となり始めた。20世紀の後半にはいってコンピュータ科学の目覚しい進歩が、分子生物学と化学と物理学を統合する形で生命科学を一挙に開花させ、私たちの生活にもろに影響を及ぼす生命工学に展開していった。その生命工学が薬学と医学の在りようを変化させている。この変化の全体像を捉えた本は出ていないというより、専門家であればあるほど、先陣争いに忙しく、素人を啓蒙するための本を書く暇がないのではないか。仮に書いたところで専門用語がまだ一般社会に普及していないために、わかりやすく書くことが難しく、まだそうした需要が少ないのかもしれない。それでも何冊か面白い本を見つけた。いずれもブルーバックスの中にある本だ。「考える血管」「現代免疫物語」「分子レベルで見た薬の働き」「アメリカNIHの生命科学戦略」などだ。知識そのものよりもその知識がどのように生まれてきたのか、ほかの学問とどのように関係しているのか、どのような流れになっているのかをもう少し学んでみたいと思う。読書が一段落するたびに友を思う。