北朝鮮 危機管理とその後

 韓国哨戒艦の撃沈事件は北朝鮮の魚雷によるものだと断定され緊張が高まった。6月には米韓軍事演習が予定された。演習といっても、北朝鮮側は相応の対応をとらざるを得ないため、食糧を含めて経済力が弱い北朝鮮は消耗戦に追い込まれる。日本の鳩山首相は「先頭を走る」と言ったが、どこに向かって走るのか、落とし所を何処にするのかは全く考えていないと思われる。米韓がどこまで追い込むのか、中国がどこまで北朝鮮を支えるのか、そして日本は何を約束させられていて、日本における北朝鮮の暴発にどう備えるのか気になるところだ。5月末には嘉手納には現在最強といわれるステルス戦闘機F22が12機が配備されるようだ。
 今から47年前の1963年、“三矢研究”という図上演習が行われた。統幕事務局長を長とする演習で、朝鮮半島で武力紛争が発生し、これが日本に波及する場合を想定し、その際の自衛隊の運用と手続きを統合的に研究したものだった。これが65年の国会でシビリアンコントロールの範囲を逸脱するのではないかと社会党岡田春夫議員に追及されて、上手く答えられなかったため、以後、国会でまともに防衛問題を論ずることが避けられるようになった象徴的な出来事である。危機を予測し絶えず思考実験を行い有事に備えておくことが、平時の軍隊や外務省の幹部の役目である。あまりバカなことを言う人は少なくなってきているが、「我が身大切で、きちんと議論したくない」政治家はまだ多い。自民党政権でも田母神さんは退役させられたし、現政権でも「トラスト・ミーという言葉だけでは安全は守れない」と実務部隊に訓示した部隊長は処分された。そんな環境の中で、宮崎で殺処分と防疫業務にあたり、離島での国土防衛の最前線にある自衛隊各位には本当に頭が下がる。
 瀬島龍三さんによれば危機管理には3つの原則があるとされる。([出所]「戦略なき国家に明日はない」瀬島龍三加藤寛著、日本政経文化社、平成7年刊より要約抜粋)
 第一の原則「予想しうる危機に対しては悲観的に準備し、いったん危機が起きたら楽観的(冷静)に対処する」
 第二の原則「危機に対処するには初動対応が極めて重要」初動対応いかんで危機管理の優劣がきまる。そのため平素から入念に準備しておかなければいけない。阪神淡路大震災の時に、地震発生から3時間半以内に5千人から1万人自衛隊が出動していたら、家屋の下敷きになって亡くなった人は半分になったいわれている。関東大震災の時は4個師団約5万人が救援に駆け付け、救急医療、食糧補給、消火活動にあたった。海軍は伊勢湾にいた連合艦隊が演習を中止し、神戸、大阪、名古屋から食糧、医薬品を軍艦に積み込み、横浜、横須賀、浦賀で陸揚げした。
 第三の原則「平時の準備」危機は事前に予測できないため、どうしても自分に関係がないと考えがちだが、現実のこととして平素から十分に準備する事が大事である。戦前の東京には陸軍の東京警備司令部があり、平時から東京に何かあった場合の災害対策を考え、今の警察庁、警視庁とも相談しながら有事の準備を進めていた。特に軍隊は有事のための組織であり、様々なシナリオを考えて万全の準備をすることは本来業務である。自衛隊はそう思っていても、政治の側での法制整備が十分に進んでいないのが問題だと思う。
 米国の戦略国際問題研究所は先頃、「北朝鮮金正日政権崩壊後のシナリオ」を想定し、その場合の米国、中国、韓国などの役割について発表したと報じられている。おそらく米国政府、韓国政府の意図を踏まえた上で発表されたと考えられる。北の政権が崩壊した場合、中国人民軍が北朝鮮の人道救済、治安維持、核兵器管理を担当し、米国や韓国は北朝鮮に軍隊を送ったり、韓国が北朝鮮をそのまま吸収しないというシナリオのようだ。仮にそうしたシナリオにたった場合、日本は何をし、何をするべきではないかを考えるのが外交安全保障の任にあたる人たちの仕事だろう。もちろん韓国が統一韓国を作るというシナリオもあるだろう。その際は東ドイツ、西ドイツの統合と同等の、或はそれ以上の重荷を背負うことになるが、それは、日本が口をはさむべきことではない。
 まず当面の軍事的緊張の高まりに対して日本は何をするか。6月の米韓合同軍事演習に或はその前に、日本の中での警戒度をあげる必要があるのではないだろうか。最悪の事態が起こると悲観的に考えて準備するとの方針に立てば幾つかの事態に準備しなければならない。軍事演習に際して米韓両軍が北朝鮮に侵攻する気はないと判断されるが、偶発的に交戦が拡大する可能性は否定できない。その際、ソウルが戦火に見舞われた場合の邦人救助に、法律的には自衛隊が救助に行けない。2週間前に普天間海兵隊が救助するのはまず米国人であり、日本人ではないというのを聞いて、米軍はトンデモナイという報道キャスターがいたが、本当は日本の法律がトンデモナイのである。安全を確保されたところでなければ、自衛隊は出動を禁じられている。これは日本が自衛隊に対し、行動できる場合だけを法律に記するというポジティブリスト方式で権限の付与をしているからだ。諸外国の軍隊は、通常原則自由であり、してはいけないことだけ(ネガティブリスト)が示されている。しかし救助に行かないことは、国民の自衛隊に対する期待を裏切るので、結果として自衛隊の信頼は大きく傷つくことになる。変な話だ。本当はその時、総理が「責任はおれがとる。超法規的に救助に行け」と命ずるかどうかが問われているのだ。次に北朝鮮弾道ミサイルに燃料を注入し始めた時、彼は躊躇なく破壊の指示を出せるかどうかが問われる。この時点で燃料注入が始まれば、日本ならびに日本にある米軍基地が狙われる可能性が高い。弾道ミサイルが発射された場合、7分から10分で日本が被弾するため、予め発射される前に壊すか、発射された直後に壊すか準備をしておかなくてはならない。発射される前に壊した方が確実だ。その時総理はどのような決断を下すのだろうか。もう一つは日本にある原子力発電所が何者かによって占拠され、米軍に協力しないように日本政府が脅されるという事態である。総理はどんな決断をするのだろうか。映画の見すぎと笑われようが、そうなる前に警戒度を挙げておいた方が良さそうである。既に海上保安庁には警戒度をあげろとの指示がなされたと報じられている。
 北の体制が崩壊した際に、まず気になるのは拉致された人々の救出である。おそらく、多くの国民の関心もそこにあるだろう。第二が難民支援であり経済復興である。日本はいつものように資金の供与が期待されるだろう。応分の負担はすべきだろう。しかし国際的な常識に外れる言動や国際法にのっとったとは思えない発言、事実に反する発言が、我が国の国益を傷つけ、日本の国民の多くが釈然としないでいることを多くの政治家は忘れている。特に90年代以降、日本の政治家が経済支援を口する時、国益ではなく利権を追求しているように見えることが多かった。それは政権交代しても変わらない。国の違いを越えて、全ての考え方を片方に幅寄せすることは無理であり、歴史的事実は事実として、淡々とした国際法の原理原則に基づいたクールな付き合い方が長期的に北東アジアの安定に寄与すると思えてならない。拉致問題対応と国内の方針決定に関することは除いて、対北朝鮮魚雷事件対応に関して、まかり間違っても先頭を走ることが期待されているわけでもないし、先頭に立つことが出来るとも思えない。