沖縄の将来

 普天間移転は限りなく現行案に近いものに戻ってきた。政府は努力したと言訳するために、訓練のローテーションを九州各県に受入れるように言っているが、個人的には、まともではない考え方なので難しいと思う。というのは2カ月おきに転々とする海兵隊員の気持ちになって考えれば明白である。戦地で厳しい環境に置かれるのは仕方ない。合宿のような訓練もあるだろう。でも通常の訓練の際は、夕方になれば家族と一緒に過ごしたり、子供がいれば子供は基地の中の学校にも行くだろう。休みの前ならば外で酒を飲み気分転換もしたいだろう。若い時は人種国籍によらずそんな気分になると思う。普通の会社で、2か月ごとに勤務地を変えろというような業務命令を出す会社はない。労働組合を承諾させるのは大変だ。グアムに移転するはずの8千人の部隊に9千人の家族がいると言うので、4800人の海兵旅団にも5500人位の家族がいると思われる。さらに言えば、海兵隊の機能を考えると航空部隊だけ別のところへという人の気持ちが分からない。地上部隊、兵站部隊、指揮部隊と航空部隊の「4つの兵種が合わさって平時の抑止力、有事の本当の初動対応部隊として最初の数日の戦闘を受け持つ」役割の旅団なのに、移動手段の部隊(普天間の航空部隊)だけを遠く離れた所に切り離すことなど出来るはずもない。
 ここ数カ月の迷走と混乱を収束させるための第一歩はエライ人達の引責辞任でしかケジメがつかない。ここにきて日本の防衛大臣は2014年までには工事は終わらないかもと言い出した。埋立て開始は沖縄県知事選挙の後でとでもいうのだろうか。首をかけても約束を守るという大臣はいないのだろうか。
 1972年(昭和47年)5月15日沖縄は本土に復帰した。その時沖縄の人口96万人だった。それより15年前に本土に復帰した奄美大島では15年間に人口が6割減った。第二次大戦前、沖縄の人口は鳥取県より少なかったが、沖縄返還の際に、鳥取は人口56万人になっていた。産業別の就業可能数を積み上げても40万人となってしまうのではないかと心配された。そのため復帰に際し、「沖縄の人口を減らさないこと」というのが佐藤栄作総理の指示だったという。そして堺屋太一さんたちが観光開発に取り掛かる。大阪万国博開催準備で知り合ったアトランタ開発で有名な観光プロデューサー、アラン・フォーバスさんに相談する。「道路とか飛行場とかホテルは観光施設ではなく観光を支える施設。行きたいと思う魅力を作れ。魅力とは第一は歴史、第二は物語、第三は音楽と料理、第四は女性とギャンブル、第五は景色の良い所、第六は品揃えが良くて安価な商店街。このうち三つを揃えろ」と言われたという。([出所]「東大講義録 文明を解く」堺屋太一著03年講談社より要約抜粋)ちなみに現在の人口は136万人と、復帰時点から40万人程人口が増えており、2025年までは人口が減らない数少ない県とされている。観光客は本土復帰した72年には50万人に満たない水準だったが、2010年は545万人の観光客が予想されている。景気の低迷もあり昨年より減るという。
 沖縄は東京と同距離内にソウル、上海、台北、香港、マニラなどのアジアの主要都市が位置する地理的条件が観光地の条件として優れている。と同時にそれが軍地基地が集中する理由の一つともなっていることは否定できない。ワイキキ、マイアミ、中国海南島の三亜等、どういうわけか世界的な観光地は軍事基地と密接に結びついていることが多い。県内では、失業率を全国平均まで下げること、観光客を大きく増やすことが課題だと言われている。沖縄の将来は、そうしたことを踏まえて本年11月に選ばれる知事さんが何を考え未来に向かってどういうシナリオを描いていくかにありそうだ。学術都市として或は情報産業都市としての布石は既に打たれているように見える。それをそのまま育てることも重要だろう。その他に手はないかというと、大きくいうと2つの方向性があると思われる。一つは4月の半ばに超党派74名で国際観光産業振興議員連盟が発足したことで、日本でもカジノを公認しようという議員連盟が誕生した。運営がきちんと行われれば観光立国の起爆剤となりうると多くの人たちが考えている。その最初の有力候補として挙げられているのが沖縄、東京、北海道だという。大型の宿泊施設を持つ観光地ならば皆手を挙げたいはずで、全国の30都市はすぐ手を挙げるだろう。しかし最初の1ヶ所ならば沖縄になる可能性が高いのではないか。もう一つの考え方は、マイアミのように裕福なリタイアした人たちが集まるリゾートとしての未来である。そのためには医療施設スタッフの充実などがポイントなるような気がする。