日系ブラジル人の可能性

 2022年のサッカー・ワールドカップの日本招致に向けてプレスリリースがあった。サッカーのJリーグができて一番大きな変化は、ブラジル、イタリア、スペイン等の国の人々を無条件に尊敬できたり、好きだったりする人が著しく増えたことだと思う。個人的にも世界が随分と広がった。サッカーのチームや選手の情報とともに、それらの国々がぐっと近くなった。彼らにとってもキャプテン翼はヒーローだったということも知った。2016年のオリンピックで東京が落選したのは残念だったけれど、リオデジャネイロで開かれるのは本当に楽しみだ。
 ブラジルには150万人の日系人の方がいて、その勤勉さと教育の高さから社会的地位が高い職業についてブラジルの発展に大きく貢献していると言われている。中南米屈指の名門校サンパウロ大学の学生の15%、教員の8%が日系人だそうだ。ブラジル全体の人口が2億人なので1パーセントに満たない少数派だが、サンパウロ市とその周辺にの半分の日系人で住んでいることを差し引いても高い比率だ。
 現在その150万人のうち、日本に30万人が滞在している。多くは自動車関係の季節工場労働者だ。群馬県太田市大泉町、栃木県小山市、愛知県豊田市豊橋市静岡県浜松市岐阜県美濃加茂市可児市大垣市などに住んでいる。完全にブラジル社会に同化しているため、子弟の教育問題で苦労しているという。こうした子供たちがより良く学べる環境が早く整備されるならばと思う。1908年に781人の日本人が笠戸丸に乗ってブラジルに移民してから102年がすぎた。100周年で日系人社会のトップとして挨拶されたウエハラさん当時80歳のスピーチが記憶に残っている。「9歳でブラジルに移住し、一言もポルトガル語話せなかった自分を熱心に教えてくれた片田舎の小さな小学校の先生に始まり、中学・高校・大学と多くの素晴らしい先生に巡り合ったお陰で今の自分がある。シビルエンジニアとして水力発電所の建設に寄与することができ、大学教授としてブラジル人の若者に教えることで恩返しすることができた。」というものだった。今の日本の公立学校でも日系ブラジル人を受入れているものの、残念ながら十分なコミュニケーションがとれてないようだ。ブラジルの習慣が分かってポルトガル語でフォローできる日本の人材が少ないという理由もわかる。しかし不登校や不就学が何万人もいるという状態を放置している文部省、外務省は何を考えているのかと思う。私はそれが日本らしいやり方ではないと思う。今でも戦前の日本植民地主義が非難されることがあるが、学校教育において現地の人を差別したという事実はないと思う。過去の歴史を礼賛するつもりはないが、この子供たちを日本の文化もわかる立派なブラジル人に育てることが日本らしいやり方だと思えてならない。ポルトガル語ができれば、スペイン語、イタリア語などを母国語とする人々とコミュニケーションが容易だという。彼らはブラジル、中南米、北米、更にはヨーロッパの人たちとの新しい交流窓口にもなるはずだ。
 ブラジルの空軍司令官はサイトウさんという日系の方だという。日本国内でよく見られるようになったエンブラエルという航空機はブラジル製だ。売上高で55億ドルあるらしい。95年に民営化し、顧客重視、新技術の追求、マーケティング対応を前面に打ち出し、急速に成長してきた世界第4位の航空機製造会社だ。従業員は2万4千人位いて、2002年には中国ハルピンにも合弁の年間25機を生産する工場をつくった。1969年、ブラジルの国営会社として設立された。同社の技術陣を支えるのが、やはりサンパウロ市から80キロ離れた町にある中南米最難関の大学といわれる航空技術大学だという。現在でも在校生の1割が日系人で、エンブラエルの工場にも日系人が数多いという。
 ブラジルにはもう一つ日本であまり知られてない優れた産業があるという。それは情報産業である。特にオンラインシステムでは優れているらしい。これは想像もつかないほどのハイパーインフレと治安が悪化に悩まされた80年代の副産物だ。ブラジルの金融機関はITシステムに膨大な投資を続ける以外に自己防衛することができなかったという。そのことは次第に世界で知られるようになっている。既に日本のはるか先を行く電子政府の先進国であり、世界銀行はブラジルの電子投票システムを世界で最も進んだシステムとして評価しているという。2006年の大統領選では1億3千万の有権者の投票結果が7時間後に集計された。豊富なエネルギーと自然に恵まれた一次産業の強さは多くが良く知っている通りだ。日本にいても個人のレベルでも、中国だけでなく、ブラジル、ロシア、インドという国々の人々との付き合い方で、まだまだやるべきあるのかもしれない。