独学修行 あれこれ

 このところNHKの教育テレビやっているハーバードの白熱授業“JUSTICE"というのが面白くて時々、夜更かしをする。こんな政治哲学の講義があるのは新鮮な驚きだった。考えてみれば、古今東西どちらの国においても、哲学は対話を通じて教えられてきた。こうした授業を受ける機会がある人はつくづく幸せだと思う。その意味では、この番組にであった自分も幸せな一人である。いつか教科書を読みたいと思う。
 学校を出てから、個々の分野で実務に就くと、資格試験以外には、直接勉強することを要求されることは少ないと思う。
学校を出て自分は鉄鋼会社の原料マンとなった。まずは、何処でもそうだが、モノの流れを頭に入れることが第一の仕事となる。外国航路の巨大な貨物船が港につき原料が陸揚げされる。その前と後で船全体を大きな秤と見立てた喫水検定がなされ取引数量が決定される。アルキメデスの原理だ。成分分析、保税手続き等が行われる。
おおまかなことは先輩が教えてくれるけれども、それがどういう意味を持つのかは自分で学ばねばならない。会社のキャビネットにある古いトラブル対応時の記録資料や海運業、貿易業、鉱山業の本を読みながら経験を補うしかなかった。休みの時に本屋に行って一つ一つ専門書を買って読んでいった。
原料が陸揚げされると、銑鉄をつくるために溶鉱炉の配合計算が行われる。技術屋さんと組んで原料の使用とその需給計画を立てる。溶鉱炉の配合計算においてはマテリアルバランスをとることが重要だ。銑鉄とスラグを上手く分離させるためにスラグの成分をどう作りこむかがポイントとなる。成分分析表を読むためには無機化学の知識が必要だが、高校を出て以来、元素記号も忘れていた。次の休み日に高校化学の分厚い受験参考書を買い読直した。高校の時、あれほど面白くなかった化学が面白くなった。
スラグの成分の中の酸化アルミニウムはある一定の比率以下に抑え込まなければならない嫌われモノだったが、その酸化アルミニウムも、それが結晶になるとルビーやサファイアになる。そんなことに感動しながら無機化学を勉強しなおした。その後しばらく化学、鉱物学、鉱山学の本ばかり読んでいた時期があった。次にエネルギー管理の本や、公害規制や煙突の高さと排出ガス規制の本を読むようになった。
 知識が増えれば増えるほど、仕事が面白くなった。技術屋さんも自分達の話が少し理解できる事務屋は便利だから良くお声がかかる。そのうち新しい分野に取り組む際のやり方が何となく自分の中で決まってきた。
解らない時にはまず高校の教科書に戻る。そこからスタートして理解したい分野の専門書を3冊そろえる。もっとなじみのない分野は小学生向け中学生向けの本から始める。大学の専門書はざっと3冊を眺めて、そのうちの1冊を読む。そのあとで他の2冊をところどころ読み較べて、同じところと違うところをハッキリさせるというやり方だ。3冊も眺めていると専門用語が身についてくる。そのあともう一度精読し、どの本にも載っている原理原則だけを頭に入れる。
ここまでくれば専門家の話を聞くことが出来るようになる。説明されれば何が問題となのか理解することも可能になる。専門家の意見が違う時は、専門家同士の議論を頭の中で組み立てる。どの分野でも自分で独自のことを考えるようになるのは難しいが、専門家の意見を聞いてどれが本当そうかと推測するのは素人でもできるからだ。
大学時代からこの方法で勉強しておけばもう少し成績が良かったかもしれない。試験前に1冊の指定教科書を読むだけではなかなかポイントがつかみにくい。今ならば、指定教科書の目次をみて、その教科書と同じ分野の本を何冊か読み、その教科書の良い点不足している点を見極め、自分で何かのテーマを定めてレポートを書くだろう。書いてみて、自分に対して説明すると理解度がぐんと増す。そんなことを何回か繰り返していけば未知の分野もそう怖いことはない。 
 テレビのニュースを見るのが嫌になり、トロイの遺跡を発掘したシュリーマンの「古代への情熱」という本を読み返していたら、こんな話が載っていた。彼は家が貧しく14歳で実業学校を卒業し小さな商店の小僧としての道を歩んだ。最下級の仕事である。19歳になった時、船の船室付き給仕となるが、船が難破してしまう。やっとのことでアムステルダムに行き、生活のために軍人になろうとするが、いろいろな人の助けで外国為替事務所の事務員の職を得る。食べるのにやっとだった。収入の半分で生活費を賄い、残りの半分を学習費用に充てた。まずは読みやすい字を書くために有名な書家に20時間の授業を受けた。続いて語学の勉強が始まる。
 熱心に勉強する中で、「あらゆる言語の習得を容易にする一方法」を発見したというのである。その方法とは、非常に多くの文章を音読して決して翻訳しないこと、これに毎日1時間をあてること、そして常に興味ある対象について作文をすること、そしてこれを教師の指導を受けて訂正すること、前日直されたものを暗記し、次の時間に暗唱すること。記憶力は弱かったけれど、勉強のためにあらゆる時間を利用したという。英国教会の礼拝に2度通って英語の説教を聞き、それを口真似した。雨の日も、何かしら本を持って歩き暗記した。そうするうちに、20ページの位の文章ならば3回注意深く読めば言葉通り暗唱できるようになった。そしてゴールドスミスの小説とウォルター・スコットのアイバンホーを暗記したというのである。
 記憶力は夜のほうが集中できるので、夜中にこの暗唱をやることが効果的だった。こうして半年で英語。次の半年でフランス語をマスターした。そうするとオランダ語スペイン語、イタリア語、ポルトガル語を流暢に話し書くようになるのには1つの言語で6週間以上はかからなかった。次いでロシア語。近くにロシア語を話す人はほとんどいなかった。古い文法書と辞書とロシア語に翻訳された小説だけしか教科書が手に入らなかったが、6ヶ月後には何とか手紙が書けるようになった。その結果、24歳で貿易商会のペテルスブルグ駐在員となり大きく飛躍する第一歩を掴んだというのだ。今とは比較にならないほど悪条件で数カ国語を短時間でマスターした方法が書いてあった。最近よく耳にする、音読法、多読法の元祖はシュリーマンにあった。
 その時のシュリーマンは19歳から24歳。今なら大学生、大学院生の年だ。しかし年齢は気にしまい。人生後半にさしかかった自分にとっては、谷川健一先生の「独学のすすめ」という本の一節がちょっと救いになっている。「学問を始めるのはいつでもかまわない。年齢は関係ない。才能があるかないか、そんなことを気にする必要も全くない。山の頂きをきわめるのには、どこから登っても構わない。決められた登山口があるというわけではない。自分の得意なところから登ればよい。ただ必要なことは、たえまなくやることである。それさえあれば、いつかは山の頂きをきわめることできる。」