「沖ノ鳥島」事件への対応 

 浮上して日本の排他的経済水域を横切った潜水艦を中心とした中国艦隊は沖ノ鳥島近海で演習しているようだ。最新鋭のミサイルを搭載しているとのことだ。これは後世「沖ノ鳥島」事件として歴史に記録される事件となるかもしれない。数年前の重慶でのサッカー試合の時と同じ感覚だ。
 高校のとき習った1886年8月の長崎事件が思い出された。その年、清国の誇る北洋艦隊の定遠鎮遠など四隻が長崎に入港した。上陸した水兵が遊廓で器物を損壊して警官に逮捕されたことに端を発する。2日後、清国水兵数人が交番の前でわざと放尿し注意した巡査を袋叩きにした。これを見ていた日本人の人力車の車夫が激昂して大乱闘となった事件である。止めに入った警察官と清国水兵まで斬り合う事態となり双方に死傷者が出た。これを契機として日本国民の感情は大いに変わったと言われている。当時、鎮遠はドイツで建造された東洋一の軍艦とされ、「遠き外国(日本)を鎮める」という名前がつけられた清国自慢の新鋭船だった。
 今回の中国海軍のわが排他的経済水域での演習は、水兵の酒の上の事件ではなく、国家的意思の表明と考えることが妥当だ。友愛外交を唱える民主党外交政策として、どう位置付け、どう対応するのかを明らかにし、国家的議論をすべき事件だと思われてならない。中国に行って国家主席と握手してきた議員全員にその了見を伺いたい。
 日本の国土面積は37.8万平方キロだが、日本の主張に基づいて考えれば、領海と内水を合わせた領水の面積が43万平方キロ、排他的経済水域EEZ)は405万平方キロであり、合計すれば日本の管轄下にある水域は447万平方キロとなり、ロシアとほぼ変わらない面積を持っていることになる。世界で7番目に長い海岸線、世界で7番目に大きなEEZを持っている。同時に周辺各国と領土紛争を持つ国であることを事実として認識することから始めなくてはいけない。北方領土竹島、そして尖閣諸島と一筋縄ではいきそうもない相手国と交渉し解決しなければならない問題がある。外国人地方参政権付与の問題も、こうした領土紛争を持つ国においては、地方の問題が地方に止まらないということに問題の本質がある。
 数日前、テレビのニュース番組を見ていて普天間問題、徳之島での反対集会、日本の首相に対する米国の評価などについての報道の後で年配のキャスターが「首相は、日本には米軍基地を受け入れるところ等、何処にも無いと米国に伝えるべきだ」とコメントしたのを見て驚いた。もし仮に首相が、そんなことを言ったら、米国の国民、米軍兵士の奥さんや母親たちはどんな反応をするだろう。徳之島の町民の行動、沖縄の期待と行動を引き起こしたのは、米国ではなく、自民党でもなく、まぎれもなく現政権なのだ。
 首相の言動を分析すると、首相は核安全保障サミットで「米国の協力」という言質を引き出し、問題の期限のリスケと責任を米国に押しつけようとすると米国側に思われていたはずだ。コペンハーゲンの晩さん会での国務長官との会話を一方的な解釈で国内政治に利用しようとした前科を考えれば妥当な推論だ。だから米国は公式会談を設定出来なかった。駐米大使の懇願によって10分の会話が設定されたというのが実情ではないのか。
 米国は普天間問題は日本の内政問題であり、巻き込まれたくない。また沖縄の動きや実情も民主党政権よりも的確に把握していると思われる。素直に考えれば、桜井よしこさんが言うように、政治的なメンツを乗り越えて、普天間問題は辺野古へ帰っていくしかないだろう。思い付きの政策や腹案を押せば押すほど手足の自由が効かなくなっている。

 こうした国際関係に纏わる諸問題は自民党政権時代から様々な形で表出してきた。その底流と根源は、第二次大戦の戦後処理と日本国憲法9条の問題に行きつく。9条自体は第一次大戦後の1928年のパリ不戦条約に基づいている。現在までの日本政府は「日本は国際法上の集団自衛権を有しているが、憲法9条の下において許されている自衛権の行使は、我が国を防衛するため必要最小限度の範囲に留まるべきものであると解しており、集団的自衛権の行使はその範囲を超えるので憲法上許されない」という趣旨の見解をもっている。
 一般に、どの国の政府においても、政権交代、国際情勢の変化に対応して政府の方針が変われば、慎重な検討をして理由を十分に説明して政府見解を変えるのが普通である。憲法解釈においても同様であり、解釈だけでは済まない場合に改正となる。日本が集団的自衛権国際法上も憲法上も保持しているのは自明のことであり、否定できない。また米国との安全保障条約自体が集団自衛権の行使として締結されたものだと考えれば、憲法の抽象的な論議にのみにこだわることが、現実に起こっている事態への対応を危うくするものであると考えられる。また憲法論議自体が1946年前後の軍事力や戦争認識に基づいて行われるべきではない。
憲法9条があろうとなかろうと、日本が軍国主義化することはありえないと多くの人が確信している。東南アジアの人々がこれを怖れていると主張する中国や朝鮮半島の一部の人たちが、日本国内に残る古い思考や先のテレビキャスター氏のような情緒的なとらえ方を、自国の利益のために利用しようとする打算に基づく議論だと考えられる。ハッキリ言えば、日米安全保障体制をとりながら、集団的自衛権を行使できないとの解釈をとり続けることは、米国への甘えに他ならない。
非核三原則にしても、米国の核は問題とするのに、中国や、北朝鮮、ロシアなどの諸外国の核は問題とならない。変な話だ。447万平方キロのわが領域の防衛のために何をするのか、国民の合意を形成するために何をするのか現実的に考える時期に来ている。