政治ノート 交渉以前、沖縄へ行け

 11月の初めに鳩山退陣と連立組替えの兆しを読み取ってからも、相変わらず民主党政権のズルズルとした支持率の低下が続いている。5月に決着させると大見えを切った普天間の移転先も、ホワイトビーチ埋め立て案が消え、徳之島案は地元との話さえスタートしてないことが明らかになった。それで米国に何を検討しろ協力しろというのだろうか。米軍は「普天間のヘリコプター部隊は沖縄に駐留する海兵隊の足だから、移すのなら一万人の海兵隊員、キャンプハンセン、キャンプシュワブなどを一緒に移したい。」と至極当然な話をしていることが報道された。2時間離れたところに、ご駐車くださいでは、車を持っている意味がない。だからキャンプシュワブにヘリパッドをと考えた国会議員さんがいたんだと理解する。
 そうだとすると核兵器サミットで訪米する日本の首相とは日米会談を開かないという米国の対応は納得できる。首相は食事のときに隣に座るオバマさんに事情を説明したいと言っているようだが、そんな時間があったら沖縄に行くべきだろう。昨年の暮れのコペンハーゲンでの事態がまた繰り返されそうだ。米国の週刊誌には、「米国の言う通りにはならない」と胸を張ったとのことだが、国民は黙って下を向いているしかない。田舎の町内会でも、こんな町内会長がいたら、石が飛んでくる。どうして民主党からは声一つ出ないのか不思議だ。否、不思議を通り越して不気味だ。事業仕訳で研究法人の数を減らして偉そうなことを言う前に、自分の内閣と政党をまず仕分けるべきだろう。選んだ責任もあるから最低4年は我慢すべきだという毎日の編集委員もかなり変だ。自分は事態をどう評価するのか。目の前で起きている事態を理解できないだろうか。これは主義主張とは無関係な話だ。
 こうした緊張感がなく現実感のない政治やマスコミを産み出すシステムには欠陥があるのではないかと、最近考えるようになった。自分のやっていることの意味を理解できない人たちをエリートに選抜してきて、我々の生活をゆだねているからだ。自分自身も戦後教育の中でどっぷりと教育を受けてきた。日本史は1930年までしか学ばず、戦後の歴史は平和憲法から始まり、すぐに高度経済成長以後に飛んでしまうのが常であった。出来が悪い生徒であったため、その中で展開される論理には頭がいかず、難しい言葉を覚えることだけで精いっぱいだった。最近思うところあって憲法学の本を手に取ってみたが、学生時代のようにスラスラとは読めなかった。学生時代は憲法憲法の思考回路で読み、国際関係論は国際関係論の思考回路で読んでいた。あえて自分の頭でそれらを繋げようとは思わなかった。昨年9月以来、月を追うごとに、繋げて考えれば、立ち上がるしかないと考えるほど過激になり、ニュースを見るのを一時期やめた。
 先日、平沼さん、与謝野さん達の政党「たちあがれ日本」が発足した。平均70歳であることを理由に、マスコミは批判するが、どの政策が可笑しいのか、何処を較べて民主党より劣っているのか教えてほしい。「捨て石」となろうという人達を貶しめるべきではない。これで第3極は、杉並区長さん達の首長連合と、「みんなの党」と3つの選択肢を持つことになった。生れて初めて、今度の参議院選挙は最終的にどうなるのかなどと考えるようになった。

 昨年の8月の総選挙の各党得票をベースに予測すれば民主党議席は非改選60と改選75を合わせて135(過半数は122)となると共同通信は予測していた。支持率が半減しているので、これはありえない。今回の選挙では参議院の半数121人を、都道府県をベースにした選挙区で73名、比例代表選挙で48名を選ぶこととなる。比例代表は、衆議院と違って重複立候補が出来ない非拘束名簿方式だ。知名度が要求される。選挙区の方は
  定数1人区が29選挙区(29名)
  定数2人区が12選挙区(24名)
  定数3人区が 5選挙区(15名)
  定数5人区は 1選挙区( 5名)
となっている。民主党は報道によれば現時点で選挙区で55名、比例区で41名の候補者を立てるとされている。3年前の選挙で民主党は選挙区40、比例20の議席をとった。最終的に民主党の誰が選挙の顔になるのか今の時点では、はっきりしない。比例区は組織丸抱え型の知名度の高い候補を出せば安定的だと考えると、選挙区で42−43人以上当選させれば単独過半数となる可能性が高い。また一方、参議院民主党に迷走させないための砦とするためには、野党各派が選挙区において、そこから更に15人以上の議席民主党から奪わなければならないので、民主党がどんなに支持率を低下させたところで今のままでは野党は苦しいのではないか。だから「身を捨て石としても」と考える人がもっと出てくる気がする。