橋下「大阪都政」論と地方自治制度  

 最近うれしいニュースが二つあった。一つは小学生の教科書の頁が3割位増えたことだ。「ゆとり」教育からの転換とのことだが、小学生のために素直に喜びたい。語尾でかき分ける本文なしのエグゼクティブ・サマリーを読まされるのでは、勉強が面白くなくなるに決まっているからだ。理想的には、先生がいなくても、好きな時に自分で勉強できるものが良い。「教えきれない」という先生方のコメントが分からなかった。誰かが書いたことを、ただ教えることよりも、生徒自らが興味を持つような契機を作ることに意を用いて、その反応を見て次の適切なヒント・教材へと導くのが先生の本来の役割ではないのか。そうでないと、有名講師にビデオで講義させる塾や予備校にかなわない。真面目なのは良いが、自分の価値の実現方法の追求の仕方が間違ってはいけない。冷凍食品でも賢く利用して相手を見ながら、ひと手間加える所に、工夫がありそうだ。
 もう一つは、大阪府知事の橋下さんの「大阪都政」論だ。久方ぶりにすっきりした政治家を見た。政治家が馬鹿だと国は続かないと、どこかの首相が言っていたので、本当に気がめいっていた。橋下さんの議論は以下の通り。大阪府の行政と大阪市の行政を抜本的に整理して、人口30万人程度の基礎的自治体と大阪全体880万人を管轄する広域行政に分ける。住民の身の回りのことを考える基礎的自治体と、空港、港、大きな道路、伝染病対策などを考える広域自治体に分けるのである。そして広域自治体を合わせて「関西州」を作るという考え方だ。具体的には260万人の大阪市を8つの基礎的自治体に分ける。大阪府のその他の地域も30万人で割り、あと20個位の基礎的な自治体を作る。そうすると大阪には28個前後の基礎的自治体ができて、府庁と市役所の二重行政はなくなるというのだ。そして関西州が出来れば、日本は大阪と東京という2つの都を持つこととなり、安全性が高まり、新たな発展を考える構図が描けるという。
 まともな考え方だと思う。大阪は、二重行政という意味では最悪だった。府庁と市役所の仲が悪く、競争して同じものを作ってきた。凄いのは、8割を超える橋下支持率をベースに、二重行政を本当に解消しようと考えていることだ。実現するためには、府議会で過半数をとり、市議会でも過半数をとらなければならないという。その上で、国に「大阪都政」更には「関西州」を作りたいという請願するという。そのために来年の統一地方選には全力をかけるというのだ。その意気や良し。
 基礎的な自治体の適当な大きさについての考え方は都市部については概ね一致している。人口50万では多すぎて投書も自分で読めないので、30-40万人ではないかというものだ。市長・区長の実務経験者の実感に加え、幾つか根拠がある。まず第一は、基準財政需要額の係数を全市町村の人口やデータとかけ合わせて理論的な行政需要額を出し、それを人口で割ると一人当たりの「理論的」な行政需要額のグラフが出来る。それが人口30-40万人の所でU字カーブを描き、それより人口が少なくても多くても行政費用が高くなるというのだ。たしか近畿大学の中井秀雄先生の研究ではなかったかと思う。20年以上前のことなので手元に本がなく確認できない。もう一つは京都大学村松先生の本に、政治家の給与はほぼ人口に比例してきめられるため、日本の水準では、選挙区人口が30万人を越えないと専業のプロの政治家が生まれにくいという議論がある。兼業政治家だと問題があるという認識の議論だったと記憶している。もっとも、名古屋の河村市長のように、政治家は庶民と同じ暮らしをしているアマチュアリズムの民主主義、政治家の方が良いという意見もある。それはそれで良い考え方だ。問題はどちらが、継続的に、確率的に良い政治家を輩出できるかだと思う。
 最近気がついたことは30万か、40万では、行政の有様はかなり違ってくるのではないかということだ。今から20年ほど前に、300小選挙区制が導入された。最適規模を40万と見立てた数字だ。江戸時代は300余藩だったという数字も影響していたと思われる。個人的には全国を350位に分けるべきだと考えている。代官所領の数も考慮に入れるべきというのが私の議論だ。(これは言葉のハズミです。代官所領の数を数えたことはありません。)頭に平均で33万人という数字があるのではない。実は全国を348に区分している地図がある。厚生労働省の二次救急医療圏の数だ。個々の地域の道路事情や歴史的な絆を考えると、こちらの方がまだ収まりが良いような気がする。
 「橋下都政」論が指摘する問題は当然ながら普通の県にもある。神奈川県庁は横浜にあるが、川崎も横浜も政令指定都市なので権限が県知事とほぼ同じだ。だから本当ならば、県庁は平塚あたりに移転しなければならない。さらに言えば、川崎、横浜選出の県会議員は誰のために何の仕事をしているのか聞いてみたくなる。眼を静岡に転ずれば、浜松、静岡の政令指定都市がある。残ったのは島田や磐田のあたりと東側の富士、沼津、御殿場方面と伊豆地区が県の治める地域だ。だから、静岡県庁は、磐田や島田に分庁舎を置いて三島に移転して来なければならない。静岡市に本拠を置くマスコミは、東静岡の駅前再開発で県の体育館を駅前に置くか、今の体育館の横に置くかを議論しているが、これも奇異なことだ。グランシップという県営の大公会堂が東静岡の駅前にあって大赤字なのに、まだ県のお金を使って県の施設を作ろうとしている。おかしいのではないか。県の施設は県内にバランス良く配置すべきだ。
 そんな政令指定都市という制度が持つ欠陥は明らかだ。韓国などで街の中心部が政令指定都市のようになると、そこが独立した行政区分となり、周りは周りで、どうも新たな行政単位を作り、二重行政を作らない工夫をしているようなきがする。地図を眺めているとそんな地図になっている。そうした観点での行政制度の変え方を調べるのも面白そうだ。橋下流に30万人で割っていくと浜松も静岡も2つにわかれる。静岡県は、9個の基礎的自治体にわかれることになる。政令市にならない地域には、自らの県の分庁舎を作って、そこを独立行政区として選挙をやってトップを選べば強制的に地域分割が完成する。要は昔のように郡役所・郡議会が出来ることになるわけだ。そんな自己解体的な県の行政があっったらどんな問題が起こるのだろうか。無駄が減って県の役人が少なくなるか、何のために、どれだけの人を抱えているか、はっきりしてくるような気がしてならない。人が余れば余ったで、やるべきことはいっぱいある。それは検地だ。日本では豊臣秀吉以来、検地が大々的に行われていない。どんなに素晴らしい地理的情報システムがあっても、土地の所有者がはっきりしてなくては活用するにも限界がある。