米中の狭間で  中国の歴史を学ぶ(1) 

 オバマ大統領は今回の中国訪問で突発的なリスクを縮減するために「米国は中国を封じ込めようとは考えていない」というメッセージを中国に伝えたかったと言われている。逆から見れば、中国は「米国に封じ込められている」と感じていると米国では分析していることになる。軍事的には、中国は宇宙空間で衛星を攻撃する実験を行った。またサイバー空間で何者かが米国防総省に対する攻撃を行っていたと報じられている。さらには今年に入って、南シナ海で米海軍調査船の曳航するソナーが切断されそうになり、一触即発の危機となったといわれる。東アジアの地図を上下逆さまにして「北京から海を眺めてみると、韓半島、九州、沖縄を含む南西諸島、台湾で封じ込められているようなが気がしてくる」から不思議だ。だからと言って軍事力をドンドン増強されても迷惑だ。「中国海軍の西太平洋での影響力を抑制するために、米国と日本は協力する必要がある」と思ってない人は少ないと思う。

 中国を考える際に、改めて中国の「長い歴史」と「戦後の歴史」の2つの歴史を周りの世界との関係において学ぶ必要があると考えた。特に関心を払ってこなかったため高校レベルの知識で終わってしまうからだ。チベットやウィグル族との関係も知識が欠けている。高校では中国の長い歴史について多くの事件出来事を習うが、大局観にかけ、戦後の歴史はほとんど習わないからだ。中国の歴史(以下、中国史ノート)については岡田英弘先生の所説が個人的には新鮮であり、優れていると感じたので、それに基づき五・四運動までのノートを作った。その後のことは多くの文献に載っているので省略した。もう一つの関心は、第二次大戦後、国共内戦が終わって現代までの歴史を自分なりに概観したい。米中閣僚が北京で会議するのをテレビで見て、中国は、朝鮮戦争ベトナム戦争と2回にわたって米国と戦っているという事実を思いだしたからだ。その後どのように和解し、国際社会に復帰し短期間でG2といわれるになったかについて後日まとめてみたい。

1.中国史ノート(都市国家から国民国家へ) 

都市国家の時代(BC.2000頃-BC.221) 
  点としての都市と商業ネットワークの成立。

第一期八百年間(BC221-589年)
  秦の始皇帝の統一。
  漢民族が主役。
  長江以北の華北が舞台の歴史。
  184年以降、黄巾の乱で農業放棄、食糧不足。
  人口激減(5000万人→500万人)。

第二期七百年間(589-1276年)
  騎馬民族が主役。隋の文帝の統一、人口5000万に回復。
  華北だけでなく華中、華南に領域が広がる。
  隋・唐・遼・金の北アジア系政権。
  華北の自然破壊進行、中国の人口・経済の中心は華中の長江デルタに
*660年百済滅び。663年白村江の戦い倭人敗北。668年高句麗滅ぶ。韓半島南部は唐の同盟国新羅のみ残る。唐はいち早く撤退、新羅による半島統一。
*668年日本、天智天皇の統一政権。天武天皇による日本書紀の編纂着手。事実上の鎖国。国風文化の進展。

第三期六百年間(1276-1895年)
  漢民族と非漢民族の統合完成。
  遊牧・狩猟・農耕の各地帯を都市と商業交通網で支配。
  パミール山脈以東、ヒマラヤ・アラカン山脈以北の全東アジア。
  14世紀後半漢民族の明おこり、モンゴルより分離。制度はモンゴル式。
*1206年チンギス・ハーン即位、モンゴル帝国発展。東は日本海、西は黒海、地中海。13世紀、ユーラシア大陸全体が歴史の舞台となり、世界史の誕生。1234年オゴダイ金帝国を滅ぼす(華北)。1276年フビライ杭州占領(華中、華南併合)
倭寇の本質は西欧諸国大航海と同じ、モンゴルの陸上貿易の利権から排除されたため。海洋帝国の幕開け、現代に続く。
*清は、満州人・モンゴル人・漢人チベット人イスラム教徒の連合帝国。中国は、1644-1912年の間、満州人が支配する植民地。6000万人で安定していた人口が1700年に1億人を突破し、1834年には4億人になる。国土の大半は荒れ地で11%の可耕地は開発されつくされたため18世紀以降、大量に人口が流出。世界中に華僑が住む。

国民国家の成立:現代史は18世紀末のアメリカ独立とフランス革命に始まる。国境の内側に住むものがすべて国民であり、国民が国家の所有者。国民国家は戦争が強いため、軍事的性質をもつ。アジアとアフリカで植民地拡張競争。

清朝の動揺と変質。イスラム教徒の大反乱。1862年陝西省回族(中国語を話すイスラム教徒)と漢族衝突。甘粛省東トルキスタン(新疆ウィグル自治区)へ波及、ウィグル族(トルコ語を話すイスラム教徒)参加。西トルキスタン出身の英雄ヤアクーブ・ペグ、東トルキスタンイスラム神政王国建国。太平天国の乱鎮圧に功績のあった中国人将軍左宗棠(さそうとう)「東トルキスタンを取り返さないとモンゴルがつなぎとめられない」とし、湘軍(湖南省の中国人義勇兵)を率いて1877年東トルキスタン鎮圧し、新疆省を置く。辺境の統治に初めての中国人長官。清朝が決定的に変質し、モンゴル人、チベット人が不満を抱く。満州人・モンゴル人連合→満州人・漢人連合「満漢一家」への一歩。本来は、満州・モンゴル連合が、中国人を統治しチベットイスラム教徒を保護する建前だった。1884年清仏戦争ベトナムの宗主権をフランスと争う。仏艦隊、台湾を海上封鎖。1885年台湾省設置。それまでは辺境扱い。

第四期(1895年-)現代
 日清戦争での敗戦。外国留学帰りの行政官を登用し、1905年科挙の廃止。日本に大量の留学生。1911年辛亥革命。日本の陸軍士官学校出身の中国人将校による新式軍隊が清朝に反乱、6個師団の新式軍隊を握る北洋軍閥袁世凱が、日本留学帰りが組織する華中・華南の革命軍を圧倒し、中華民国設立(1912年)。1915年21カ条要求。1916年西原借款。1919年のパリ講和会議山東省権益を得ようとして五・四運動という全国的反発を引き起こす。

(以下省略)