魚の歳時記  マグロとボラと35度   

 報道によれば、欧州委員会は9月9日、激減している大西洋と地中海のクロマグロの国際取引をワシントン条約で禁止するというモナコの提案を支持すると発表しました。来年3月にカタールで開かれるワシントン条約の締約国会議で、投票国の3分の2の賛成が得られれば国際取引の禁止が決まるとのことです。さらに厳しいのは米国で、太平洋のクロマグロの国際取引も禁止するとの提案を出すとの報道が1ヵ月前にありました。資源が減少しているのは確かですが、その裏側でどんな力学が働いているか気になるところです。クロマグロの8割を消費しているのが日本だし、海外でクロマグロの商売をやっているのは、ほとんどクロアチア人なので合意が形成されやすい問題なのです。

 クロマグロは緯度でいうと40度から45度で獲れるものが高級だとされています。青森県の大間が北緯42度で、ボストンも北緯42度にあります。これに対して産卵後の痩せたマグロを捕獲して餌を与えて大きくした蓄養マグロというものがあり、これは緯度で言うと35度近辺で育てられています。地中海のスペインのカルタヘナや南半球オーストラリアのポートリンカーンです。この蓄養自体、日本の人が伝えた技術です。35度近辺には、産卵後のマグロが泳いでいて、餌もとれるし水温も適当なのです。
 
 とはいうものの、日本人がマグロを大食しだしたのはそんな昔のことではありません。昭和30年代以降に冷蔵庫が普及しだして以降のことです。それ以前はというより江戸時代から、赤身のヅケが主流だったのです。トロの脂は劣化しやすく、漁師さんしか食べることのできないものだったのです。逆に、活魚として流通していたボラは江戸時代から昭和30年代までは高級魚として扱われていました。汽水から淡水に順化させて池で飼っておけば、時化の時にも食べられる数少ない美味しい魚です。江戸時代に伊東市の富戸でも紀州家御用達のボラ漁がおこなわれていました。伊東では今でもボラは富戸の人しか食べないと言う人もいますが、その頃は、地元富戸の人しか食べられない程、江戸で価値がある魚だったのです。八丁櫓の早舟で鎌倉、江戸と送られました。ボラは出世魚ですし、お伊勢さんの伊勢市では冠婚葬祭にボラの活魚料理は今でも欠かせない魚とされています。実はボラとマグロには関係があります。塩田技術が地中海のフェニキアで始まったので、カラスミの起源も地中海だと言われています。イタリアで魚卵の塩漬け(ボッタルガ)には、ボラとマグロとサワラの卵が使われます。つまりボラが卵を持っているところでは、卵を持ったマグロやその子供であるメジが泳いでいるのです。ですから伊東にもマグロ漁の伝統があり、川奈の漁師さんが大手水産会社のマグロ船団の主力だった時代がありました。
 
 さて今後のマグロはどうなるかということですが、景気の問題もあり、昨年より冷凍マグロの在庫が多いといわれています。取引禁止と報じられれば、相場は少し上がるかもしれません。ただ、2-3年前から、日本ではマグロの蓄養と養殖が本格化してきています。卵から、稚魚から、ヨコワ、メジから、クロマグロを養殖する時代が始まっています。値段が上がれば、そうした事業が拡大するので、将来的にはあまり心配ないというのが私の見方です。伊東でも、外洋養殖や陸上養殖の設備をすれば、マグロの蓄養が出来るのではないかと思われます。また個人的には「マグロがなければ、寒ボラがあるさ」と考えています。もうすぐ寒ボラのシーズンが始まります。(伊豆新聞掲載原稿)