50代のための5つの新興企業の研究

 ここ数年の間に実に多くの新しい会社が生まれてきたようだ。その多くは50代で田舎で暮しの普通のオジサンには縁のない分野で生まれてきている。これからもうヒト働きするために新興企業の分析をしてみようと考えた。5つの分野の新興企業の活動を公表されている資料の中から追っていきたいと思う。
 
 まず一つめはPC、携帯、IPOD、電子ブック等の電子機器の上で主として若者たちに提供するサービス業だ。創業者のほとんどが20-30代であり、そのサービス消費に対する課金収入とそのサービスを使って作成されたコンテンツが引き寄せる顧客を対象にした広告収入が主な収入源である。ようやくPCを使い、携帯電話を使い、やっと携帯メールを使えるように50代以上の世代にとって何が起こっているのかを訳がわからない。こうした企業を頭の中でどう位置づけるべきなのか整理しよう。
 
 二つめは、オジサン達がこれからお世話になる医療・介護の分野であり、これは高齢化への大きなうねりとそれに対応する政策によって生まれてきた分野である。自分の両親たちの生活をみていて、様々なことを実感させられている分野と言っていいだろう。ただその中に隠れていて、多くの人が技術的に理解する素養を欠いている分野がある。バイオ技術の分野だ。バイオ技術は80年代以降に急速に発展してきたため知識が追い付かないのだ。それまでの高校課程においては生物は、光合成とメンデルの法則を中心とする暗記物の世界であったが今は違う。アメリカのハーバート大学が文科の学生に対しても生物学の履修を義務づけたのは何年か前だ。それなしに今後の世界に他する洞察力を欠いてしまうといわれていた。正直にいって、技術の素養が圧倒的に不足しているために、その分野で新たな発見や開発がなされたとの報道がなされても、まったく別世界のことのように聞こえてしまい、そのマグニチュードを実感できないのである。わからないときは、中学・高校の勉強から始めるというのが鉄則なので、そこからやってみよう。

 三つめは、国際化の分野である。典型的な戦後教育を受けてきた世代にとって、国際化とは英語を勉強し米国を理解することだと思ってきた。その意味では、サッカーのJリーグの誕生は大きかった。ブラジル、スペイン、イタリアといった国々について熱狂的に語る人々が増加し、子供達がそうした国々の選手を尊敬のまなざしを向けるということは、Jリーグ以前には考え難かった。ついこの間まで、ロンドンに出張する際に、サッカーの話はしないほうが良いと先輩から真剣に教えられていた世代にとってBJ何年(Before J-LEAGUE 何年)に生まれてAJ何年(After J-LEAGUE何年)に生きていると言ったほどの変化がある。ブラジル・ロシア・インド・中国・さらに中東の国々がぐっと身近に感じられるようになったのもつい最近だ。三菱商事は新入社員教育として中国語を義務付けたと聞いたが、まだ続いているのだろうか。この分野ではどんな事業や企業が生まれているのだろうか。この7月から通産省は低価格製品市場の研究をすすめることが報じられた。新興国を生産基地としてではなく市場としてみるべきなのだろう、日本でも経済格差のために、そうしたマーケットが生れたと考えるべきなのかもしれない。

 4つめは、エネルギー環境分野の事業だろう。特に電池技術の開発競争が激化している。景気が悪い中、この分野の技術者の採用だけは活発だからだ。自動車がどうなるのかも気がかりだ。本当に電気自動車が普及するのか、普及したとしても日本の企業は優位を保てるのかと議論が活発になってきた。確かに、エンジン付きのライブスチームを作るのは大変だけれど、ミニ四駆は誰にでも組み立てることができる。エネルギー環境分野は既存の大手が総力をあげて取り組みそうなテーマだ。その中で新興企業は何があるのかを1つの視点に据えてみよう。問題は要求される知識が幅広く、全体像をどう理解したらよいのかわからないことだ。一つ一つの動きを系統だって追って行くと同時にマクロのエネルギー経済論から全体像を描いてみれば、それなりの展望が開けるのではないだろうか。

 5つめは、様々な産業再編成の結果、日本で生じる余力や隙間を利用した事業が起きるのではないかという期待である。はたして農業、水産業林業といった1次産業は、新たな余剰人口を吸収できるのか、民主党の新たな農業政策によって、どのような変化と事業機会が生まれるのだろうか。民主党の政策とそれに対する反論を調べてみよう。昨年お会いした京都の先生はどうお考えになっているのだろうか。

 企業の戦略を考える際には、「誰が何を売るのか、競争相手は誰なのか」を考えると良いと教えられてきた。新興市場においては競争相手が誰なのか定かではなく、自ら面白いと感じた目標を実現するために、ただひたすら走りながら考えるものなのかもしれない。だとするならば田舎から定点観測する自分にも少し傍目八目の利もあるかもしれないと考えた。