沖縄と普天間問題の経緯

 沖縄は、個人的にはこれから勉強したいと考えている柳田国男先生の「海上の道」であり、折口信夫先生の古代研究であり、谷川健一先生のいう日本民俗学の原点です。谷川先生は「沖縄と日本は兄弟である。母を同じくする兄弟である。しかし父がちがう。母とは何か。言語民俗である。父とは何か。歴史である」と書かれています。日本と同じ言語、民俗を持ってはいるが、別の歴史を持つ誇り高い地域です。仏教体験が少なく折口のいう琉球神道が息づくところであり、民俗学においては日本の古代を映す鏡ともなるべき地域だそうです。

 そして第二次大戦後は、長らく米国に占領されていた地域でもあります。わが国の総面積0.6%を占める沖縄に、米軍基地の75%、自衛隊との共用施設も含めると25%の基地があります。その独特な地理的な位置から、東アジアの安全保障にとって戦略上重要な位置にあります。そして現在の普天間移転問題が「沖縄県知事の、日本の首相の意向」として90年代半ばに始まったようです。

 主な在日米軍基地としては、空軍には、嘉手納、三沢があり、海軍には、横須賀、佐世保、厚木の飛行場、海兵隊には普天間があるわけです。海兵隊が海外でまとまって駐留しているのは沖縄だけといわれています。横須賀は第七艦隊の空母の母港であり、乗組員の家族が住んでいるだけでなく、かつて空母信濃を作った第六ドックという巨大なドライドックと数千人の修理技術者がいるということが最大のメリットとされています。そして各地の基地には、有事の際に必要な兵器・物資の事前備蓄がなされているようです。普天間の移転問題は90年代の経緯の中から生まれてきました。中国の軍備の大拡張もその根源をたどれば90年代半ばの李登輝さんの再選総選挙の前後の事件に行き着きます。

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[出所]長谷川慶太郎岡崎久彦著 中国発の危機と日本 徳間1998より作成

90年前半の日米関係の状況
  米国 「貿易赤字財政赤字」という双子の赤字に悩む。
  ポール・ケネディ「このままではアメリカ経済が持たない」
  日本 バブルの余韻と不遜な発言。 
  米国 これに対応したジャパンバッシング 
クリントン政権の誕生
  「日本は行政指導し米国製品の輸入を妨害」と思い
  「数値目標導入を主張」
  日本特殊論による強硬姿勢。日米関係の悪化。
  チャーマーズ・ジョンソン「安保廃棄を切り札に圧力をかけろ」
  95年2月ナイ報告「アジア太平洋戦略全体から日米同盟は重要」
  「経済摩擦は同盟の基礎を揺るがしてはならない」とされた。
  日本バブルの後遺症で平成大不況。
  一方、米国好景気で株価高値更新。 
  95年秋に大阪APECクリントン来日の予定。日米交渉妥結。
  沖縄で少女暴行事件。来日中止。
  日米同盟の重要性を強調する予定が延期。
  反基地運動盛り上がる。
96年1月橋本内閣発足。直ちに西海岸で日米首脳会談
  「問題解決のため太田知事は普天間移転が最優先」
  と伝え、4月の首脳会談で普天間返還に合意。
  日米同盟の強化を強調。
  96年9月 日米防衛協力のためのガイドライン最終報告合意。
  太田知事、住民のため県も協力すると表明していた。

この間96年3月 台湾総統選挙で大陸と一線を画す李登輝候補を再選。
選挙の直前に、中国は演習と称してミサイルを発射。
米国は2つの空母機動部隊派遣。
中国軍を力で抑え込む。中国大軍拡の直接原因
 
98年2月、移転先名護市でヘリポート反対派が多数。
市長は賛成を表明して辞職。
出直し市長選挙の2日前に太田知事が移転受入れ拒否を突如表明。
沖縄問題の混迷が始まる。

(参考)村山内閣と民主党の成立
村山内閣(94年6月ー96年1月)村山・自社さ連立政権。94年7月、所信表明で自衛隊合憲、安保堅持に転換。95年1月、阪神・淡路大震災内閣支持率が急落、3月地下鉄サリン事件。7月、アジア女性基金発足。8月15日村山談話。96年1月、首相辞任したが、社会党委員長再選され、社会民主党に改称。一方、鳩山現首相は96年9月、新党を提唱し社民党から30人が同調。簗瀬、横路、菅らと民主党を結党。