「米国大統領の来日中止」と対等な日米関係

 沖縄県知事普天間基地の移転に関して、沖縄の意向は「辺野古への移転やむなし」と決まっているのに、政府が方針を決めないので動けないという。首相は、来年の市長選挙、県知事選挙、さらに言えば参議院選挙の結果を見て決めたいという。もし選挙で移転容認派が敗北すれば、結果的に米国との約束は守れない。どうしたいのか首相の意思が見えない。その結果、海兵隊のグアム移転、空母艦載機の厚木から岩国への移駐、沖縄本島南部の6施設の全面返還の実現が難しくなり、長年の交渉の成果が無駄になる。首相は急ぐ問題ではないと言い張り、米国は米国で、大統領の訪日を取りやめるとまで脅しだした。岡田外相は、嘉手納への統合で決着させたいと考えているが、地元の県知事、市長は反対し、米軍は、空軍と海兵隊の運用を一つにすることは避けたいと考えている。防衛大臣は、既定の路線でと言っている。ついには北朝鮮の労働新聞まで、鳩山政権で日米関係に亀裂、不協和音は今後さらに大きくなり、東アジア共同体構想は、米国にとって「飼い犬に手をかまれるようなもの」と評価した。

 日米安全保障条約は、首脳同士の信頼感、相手方の利害に対する洞察力、そして自国並びに自国の,将来についての意志が、この二国間の国際関係の基礎となっている。そして、1.核戦力 2.通常戦力(特に攻撃力) 3.軍事情報 4.シーレーン防衛 5.食料 6.軍事技術(ブラックボックスの技術)の6つを米国に依存している。こうした依存が前提にある以上、本質的には対等とはなりえないことは普通の国民ならば承知している。
 現在の日本政府は、国民の意図とは別個に急速に左傾化している気がする。住民対策や反核平和運動をベースに基地問題を相談しようといわれても、米国はおいそれとは乗れないだろうし、乗るべきではないと思う。仮に今回、「米国大統領が来日を中止」したところで、日本国民の大多数が反米親中となることはないだろう。むしろ現政権の政策・本質を国民が評価できるという意味で、良いことなのかもしれない。米国大統領訪日前に、多くの中国要人が来日する。しかし多くの国民は、2004年のサッカーの国際試合、餃子事件、チベット弾圧、ウィグル弾圧を忘れてはいない。

 もちろん対等な日米関係は我々日本人が目指す所のものだ。それは米国に要求するものではなく我々が自らの発言と行動を通じて、米国政府・国民の信頼を得ることによって絆を確認するものではないだろうか。その意味で目の前で他国に攻撃された米国部隊とともに戦えない自衛隊が頼りにされるとは思えない。まず日本は、自ら集団的自衛権があることを明らかにし、一旦緩急あった場合には立ち上がる意思を明確にする必要があり、安全保障条約を双務的なものにする。同時に非核3原則は「ツクラズ、モタズ、ツカワセズ」の新たな原則への移行を明らかにしよう。他国に使わせないことが防衛の根本的な考え方であることを鮮明にし、ミサイル防衛機器の開発に注力しても良いのではないか。それは防衛的なものなのだから、当然、同盟国と技術を共有する。そのうえで、思いやり予算の削減廃止があったとしても信頼関係に亀裂が入ることはあり得ないのではないか。

 アジア共同体や共通通貨の理想を語る前に、なぜドルが国際通貨となり、日本の円が国際通貨となっていないのか、今後の通貨制度はいかにあるべきか、堂々たる議論を展開してほしいと考える。私見ではその中で軍事力による保障がどのような位置を占めるのかをはっきりと自覚しなければいけない。ユーロの裏側にはNATOがある。国際的に名誉ある地位を占め、実力相応の評価を受けるためには抑止力を強化し、高齢化が進んでも、元気で言葉だけでなく行動で平和を守る志のある日本であることを証明することが何より必要だと思う。そしてそのことだけが対等な日米関係を支えるのではないだろうか。