日本とバングラデシュの絆
バングラデシュのダッカで起きたテロ事件で7人の邦人がなくなった。バングラデシュとは「ベンガル人の国」という意味だという。
ベンガル人には、世界的に有名な人が3人いる。ギタンジャリを書き1913年にアジアで初めてノーベル賞をとったタゴール。インド独立のためのインド国民軍の指揮を執り、最後は台湾の航空機事故で亡くなり、東京のお寺に眠るチャンドラ・ボース。そして東京裁判のパール判事である。自分も含めて、彼らを無条件で尊敬する日本人は多い。インドの3人と覚えている人もいると思われるが、インド人であり、ベンガル人だったのである。
第二次大戦後、インド帝国は、1947年にインドとパキスタンが分離独立し、1948年にミャンマーとスリランカが独立し消滅した。そして1971年に、ウルドゥー語のパキスタンとベンガル語のバングラデシュ(東パキスタン)に分かれたのだった。そしてバングラデシュは緑に赤の日の丸を国旗にした。数年前から人件費が高騰し反日感情を煽る中国から、多くの日系企業が移転集積する国の一つとなった。
多くのメディアは今回のテロ事件とイスラム国との関係をしきりに解説しているが、すっきりしない分析が多い。今後も本当の原因まで行きつくかどうかはわからない。そうした場合、国際関係においては結果から逆に原因を推論すべきと教わった。単なる過激派の場合もあるだろうが、ダッカの大学には多くのマオイストがいたことが気になっている。
大事なことは、これを機に日本とバングラデシュの絆をもっと強く太いものにすることだ。