韓国問題の核心 締結に14年かかった日韓基本条約

 先日、韓国の外務大臣が、ジュネーブ人権委員会でまた日本を非難したという。大統領も、外務大臣も、謝罪しろということは、お金を出せということだ。知人の年配の方に、現代韓国史を少し勉強しているというと「一体どうしてこうなってしまったのか」と聞かれることが多い。結論から言えば、今までの日本政府の安易な謝罪と賠償がこの「韓国問題」を大きくしてきたというのが自分の見方である。
 「事実ではなくとも、謝って済むことならば謝って済ませようという優しさが仇になった」と言っても良いと思う。「有罪と認めた方が、無罪を主張して延々と時間と費用をかけるよりは益し」と考えた政治家がいて、「これで解決」と考えていたら、その罪自体が人類史上許されることのない重大犯罪につくり変えられてしまったと説明した方が良いのかもしれない。
 普通の国民も様々な理由で何度も謝罪しお金も支払っていることを知っているので、多くの国民が「いい加減にしろ」と韓国に腹を立て始めたというのが現状ではないだろうか。新宿で行われている韓国民に対するヘイトスピーチなどは大嫌いだが、非核三原則ならぬ「非韓三原則」には共感する人が増えていると思う。韓国には「助けない、教えない、関わらない」という方針で対応しよう考え方だ。
 ただ海外にいる在留邦人の子弟がいわれなき非難と攻撃を受けていることに加え、靖国神社への放火など、現実としての反日テロ活動が増えている。この間は釜山の日本領事館の韓国人職員がデモ隊に暴行された。このまま無視することはかえって危険だ。しかし韓国政府自体が先陣を切っているので、法的な保護も期待できない。観光客に来い、投資をしろと言っても無理だろう。
 一方、米国は、安全保障上の問題から日本に自重しろと要求している。北朝鮮の政情が尋常ではなく、2015年12月に米国が韓国における戦時統制権を返還するという時期に、ガタガタしたくないのだろう。その結果、安倍内閣では、河野官房長官談話は否定しないが、その作成経緯については検証するという変則的な対応をとることとなった。
 慰安婦の問題は、事実の捏造と判断ミスの問題だが、韓国問題の核心ではない。慰安婦問題に対応するにあたっても、彼らが考えていることの全体像を踏まえて対応しなければ、次の問題が生じてくる。では何が韓国の狙いなのか。よく日韓基本条約を破棄すべきだとの主張が韓国側からなされることがある。馬鹿馬鹿しくて誰も本気にしていないが、そこに問題の核心を探るヒントがある。韓国は1948年8月15日に独立した。しかし日韓基本条約は1965年まで結ばれなかった。交渉妥結まで14年かかった。今論議されているいる問題はほとんど全てこの間に議論されている事の繰り返しである。

 *ただ慰安婦の問題は、問題とすべき事実がないと考えられていたので議論されていない。日本で売春防止法が成立したのは1956年、韓国で売春が本格的に禁止されたのは2004年である。慰安婦に関する河野官房長官談話が出されたのは1993年で、国連人権委員会におけるクマラスワミ報告(1996年)、マクドゥーガル報告(1998年、2000年)において「性奴隷」という言葉で日本の慰安婦問題が論じられることとなった。それは1992年以降、日本弁護士連合会が国連において慰安婦問題を「性奴隷」として扱うように活動した結果でもある。その活動の根拠は、吉田清治という作家が1977年以降主張してきた慰安婦狩りをしたとの虚偽の証言に基づいている。日韓双方でそれが虚偽であることも第三者によって証明され、吉田本人も嘘であることを認めた。クマラスワミ報告が国連で議論されている時点で日本政府には、きちんとした反論書ができていたと言われている。しかし反論することを止めたのが村山内閣であり、河野外相だったとされている。朝日新聞は虚偽の報道を広め、いまだにその訂正と謝罪をしていない。

 「韓国の対日要求全体を理解する一番良い方法は、米国が中心になって草案を作っていた(サンフランシスコ)対日講和条約に対する韓国の要求を考えること」というのが、日韓基本条約の経緯等を研究された藤井賢二先生の考え方だ。藤井先生は「李承晩当時の」と限定されているが、日韓基本条約をやり直すべきという主張をふまえると、そこが韓国問題なの核心なのだと思う。(http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/H21manabukai.data/H21kouza-fujihara1.pdf
 1951年4月26日付で韓国の国連大使がダレス国務長官特別顧問に送った書簡で、韓国は米国に次の6項目を要求している。日韓基本条約交渉は、「占領下の日本」時代に始まっているのである。1951年9月8日、サンフランシスコ講和条約吉田茂首相によって調印され、ようやく日本に主権が認められたのは、1952年4月28日だったのでそのほぼ1年前のことである。少し藤井先生の文章を抜粋引用しながら、注を補いたい。
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  ①韓国が連合国として処遇されること
  ②在日韓国人が連合国の国民として処遇されること。
1951年5月の段階でアメリカはそれまでの態度を変更して韓国を対日平和条約の署名国から外す意向を固める。その結果9月8日にサンフランシスコで対日講和条約に調印した52カ国に韓国は含まれない。韓国は連合国ではなかった。これに反発して、自分は連合国である、在日韓国人は連合国の国民であると韓国は訴え続けた。
(補注:戦後、占領軍は日本において中国人・韓国人が、連合国国民としてふるまうことを黙認していた。つまりやりたい放題だった。在日特権はこの時の経緯によるものがほとんどだ。その前は日本国民だったので、法的には差はなかった。戦後、犯罪があっても日本の警察が取り締まることが出来ず、各地で様々な驚くような事件が起きていた。駅前の土地が中国人・韓国人に占有されたのはこの時代である。今は暴力団とされる山口組が日本人と警察を守るために、在日の第三国人と戦った歴史的事実がある。)
  ③韓国が日本の残した財産を接収することが認められること。
  ④マッカーサーラインの維持。
(補注:これが竹島は韓国のものという主張の原型。藤井論文に詳しい。)
  ⑤対馬が韓国領であることの確認。
(補注:韓国が戦勝国ならば、当然、占領が認められるはずとの認識に立っているのかもしれない。李承晩が要求していることなので、今も対馬は韓国のものという主張が韓国内では盛んになされている。)
  ⑥日本の脅威に対する安全保障の確立。
 第1次日韓会談では、これらのうち①から④を韓国は日本に要求した。具体的には、まず①1952年3月5日の第4回基本関係委員会で韓国側が提出した「大韓民国と日本との基本条約」第1条は「韓国は日本を主権を持つ独立国家として承認する」というものでした。これは実際のサンフランシスコ平和条約第1条「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」と非常によく似ている。まるで韓国は連合国のようだ。日韓会談に関する日本側の公開文書を読むと、日本側代表たちもさすがにこれに驚いている。韓国は主観的には自らを連合国と考えていた。
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 それ故にこそ条約締結に14年間かかった。韓国の対日歴史認識は、今もこの6項目の上にあるのである。そして実際に出来上がった日韓基本条約には様々な付属文書がついている。日韓請求権並びに経済協力協定、在日韓国人の法的地位協定日韓漁業協定文化財及び文化協力協定、紛争解決に関する交換公文などである。
 日本側が日韓基本条約を妥結した背景には、李承晩ラインで拿捕された漁民の方たちの解放という問題も大きかった。劣悪な環境で抑留されていたのである。
 その交渉経緯は未だ全て明らかにされていない。来年は日韓基本条約締結されて50年になる。